空に浮かぶ島スカイロフトでは禁断とされ、伝説、空想――そんなあやふやなものでしかなかった『大地』という存在。 ゼルダを探すために特別な力を宿す石版によって女神の結界の一部を解き、空から大地へと降り立ったリンクは、その壮大な自然に圧倒され、ほんの少しの間、言葉を失ってその光景に見入った。 スカイロフトとはまた違う、濃密な空気。周囲を見渡す限りの緑。いったいどれほどの樹齢を持つのか考えるのすら気が遠くなりそうなたくましい木々たち。 雲海を抜け、空から降りる瞬間に見えた広大な風景も目に焼きついて離れないほどのインパクトをリンクに与えていたというのに、こうして実際に己の両足で立つと、その感動は何倍にも膨れ上がった。 これがゼルダが憧れた世界なのか。 あの黒い竜巻に巻き込まれた後、生きてこの大地へと降りてきたというゼルダも、こうして同じように感動したのだろうか。 そうだったらいいと思う願望と、きっとそうだろうという確信を抱く。 彼女は儚いようで強かな娘だ。案外、今頃はしゃいでいるかもしれない。 早くゼルダを捜そう。些細な喜びも分かち合えるように。 リンクは胸のうちに改めて誓いを立てると、大地の上をしっかりとした足取りで歩き出した。 不思議な場所だ。 リンクは歩き出してすぐに、自分が降り立った場所の不思議な地形に気付き、目を奪われた。 螺旋を描くように崖が連なっており、ところどころに人の手が入っていると思わせる人工物の名残がある。崖沿いに立てられた錆びた鉄の柵、植物の蔦が絡まった朽ちた柱の瓦礫。時に流れによって風化され、自然と一体化した静謐な遺跡たち。 そんな目に見えるもののひとつひとつが、リンクにとある伝承を思い起こさせる。 かつて人間は、空の下に広がる世界に根ざし生きていたという、そんなおとぎ話――。 「ここは封印の地と呼ばれてきた場所よ」 いつの間にかフィアが剣の中から飛び出して、リンクの後ろに立っていた。 リンクは軽く目を瞠りながら背後を振り返るが、ふわりと宙に浮く姿が目に入ると、ほんの少し、眉根を寄せて気まずげに目を逸らした。 フィアが女神に創られた剣の精霊だということが真実だということは理解していたが、まだ完璧には受け止められていなかった。 人間らしさを失い、まるで人形のように無表情なフィアを見ていると、どうしても心が納得することを拒むのだ。今まで一緒にいた時間は何だったのだろう、と。 そして自分の中にある想いをどう消化したらいいのか分からずにいる。 リンクはそんな整理しきれていないぐちゃぐちゃな己の心を隠すために、いつも通りの自分という仮面を被り、すぐに何事も無かったように平然とした顔をフィアに向けて、尋ねた。 「何かが封印されているのか?」 「ここの中心部を見れば、分かるわ」 すっと細い指先が示す場所を目で追いかけると、崖下にある円形の窪地の中心部に突き刺さった石像から、禍々しい何かが溢れ出して漂っているのが見えた。 遠目で見ていても、ぞっとするような気配を肌で感じる。 「凄く嫌な感じがする……」 「封印がわずかに緩んでいるようね」フィアは禍々しい気を放つ石像を見つめながら言った。「リンク、あそこまで行きましょう。あなたにしか出来ない仕事をひとつ、やってもらわないといけない」 まるで人形のように表情のない凍えた横顔をどこか遠いもののように感じながらも、リンクは頷くしかなかった。 中心部に近付くにつれ、嫌な予感のようなものが胸中を占めていく。 最初に降り立った場所に感じた静謐な空気とはあまりにも違うそれに、緊張感が張り詰めていった。 嫌だ、気持ち悪い、行きたくない、怖い。 リンクは込み上げてくる吐き気のようなものを堪え、自分の中にある恐れ戦きそうになる弱い心を叱咤しながら、石像の元へ辿り着いた。石像は紋様の中心部に、まるで溢れ出る何かを押し込めるかのように突き刺さっていた。 禍々しい黒い靄が立ち込めた石像の前に立つと、脳裏に巨大で邪悪な何か――それも夢の中で何度か見た、恐ろしくて強大な化け物――が飛び出してくる嫌なイメージが浮かんだが、そんな思考を振り払うように慌ててかぶりを振った。 「リンク、女神の剣の力を石像に」 フィアがすっと現れて、石像とリンクを交互に見やり、視線で行動を促す。 女神の剣の力――それが何のことを意味するのかは、すでに一度使ったことがあるのですぐに分かった。 剣を天に向かってかかげることで剣に溜まる力、スカイウォード。それを石像に向かって放てばいい。 リンクはフィアと目を見合わせて軽く頷くと、背中にかけた鞘から剣を引き抜き、その刀身を天にかかげた。 するとみるみるうちに青みを帯びた光が剣に宿っていく。 その光こそが聖なる力、スカイウォード。 リンクは黒い靄が漂う石像を真っ直ぐに見据え、スカイウォードを溜め込んだ剣を石像に向けて素早く振り下ろした。 剣先から放たれた青い光が石像を覆うと、石像に刻まれた紋様が白く浮かび上がり、禍々しい黒いオーラがすっと消えていく。 嫌な気配が一気に薄まっていくその様を、しかし険しい顔でリンクは見つめていた。力の残滓で淡く燐光を放つ剣を握り締める力は、その胸中を物語るかのように力強い。 リンクはひとつの予言を思い出していた。 導きの剣を抜きし若人、女神に選ばれし強き魂の持ち主なり。 大いなる災いの影を晴らす定めを与えられた運命の子。 剣の精をたずさえ、雲を越え、空を下り、巫女と共に強き光で大地を甦らさん――。 それはフィアが全ての始まりの夜に口にした予言だった。 リンクにはその予言が示す『大いなる災いの影』の正体が、ここに眠っているような気がしてなからなかった。むしろこれほど恐ろしく邪悪な気を感じさせるものが、他にあるとは思いたくない。 予言が真実だとするなら、災いの影、それを晴らす役目を背負うのはリンクだ。 気配だけでこんなにも恐ろしく震えそうになるのに、そんなことが出来るのだろうか。 自分にそんな力があるとは到底思えない。 望んでいることは、ゼルダを助けることだけなのに。 どうしてそんな『運命』というものを背負ってしまったのだろうか。 重々しく溜め息を吐いて、ふと見上げた空はどこでも青く、美しく澄み渡っている。 だというのに、その空模様に反比例して翳っていくリンクの横顔を、フィアは無言になってじっと見つめていた。 |