暗がりの中、私はゆっくりと目を開いた。
 私はベットから身体を起こし、自分の体調を確かめる。
 あれほどひどかった頭痛がすっかり治まっていることを確認すると、半開きになった木窓から差し込む月明かりを頼りに、部屋の中のタンスの中身を漁って、服を取り出した。
 下着姿のまま眠っていた私は、取り出した服を素早く着込むと、そそくさと自室を出た。
 寄宿舎の廊下はあちこちに飾られた明かりのおかげで暗くはなかったが、みんなが寝静まる時間のせいか人気が無く、恐ろしいほど静まり返っていた。
 こつん、こつん。歩き出した私の足音が、静寂の中でやけに大きく響くが、誰も起き出しては来なかった。
 私はことさらゆっくり歩きながら、リンクの部屋を目指した。
 やがて目的の部屋の前まで辿り着くと、扉を2回ほど小さくノックする。
「入りなさい」
 本来の部屋の主のものではない声が返ってきた。
「――失礼します」
 私はとりわけ驚くこともなく、言われるがままに扉を開き、中へと踏み入った。
 リンクの部屋にいたのは、騎士学校の校長であり、ゼルダの父親でもあるゲポラだ。
「おお、フィア。リンクの見舞いに来たか。お前にしては来るのが遅かったの」
 リンクとゼルダと私。この3人組がとても仲のいい幼馴染であることをよく知っているゲポラの最もな疑問に、私は頷いた。
「はい。私も少し体調が悪くて部屋で休んでいたので、少し前まで知らなかったのです。気絶したリンクが運び込まれたと他の人から聞いたばかりなのですが……」さらりと嘘と真実を織り交ぜつつ、私は尋ねた。「リンクはどうですか?」
 ベットの上には、死んだように眠るリンクが横たわっている。その寝顔は、眉間に皺が寄っていて、悪夢でも見ているのかもしれない。
「怪我はないようだが、まだ一度も目を覚ましておらん。そろそろ気がついてもいいころだが」
「そうですか……」私は少しだけ考える素振りをして、わずかに間を置いてから言った。「リンクが目を覚ましたら、伝えておいてくれませんか? ずっと待っているから、女神像の前に来て欲しいって」
「それは構わぬが……こんな時間に? お前のような若い娘がこんな時間に外をうろつくのは感心せんが……」
「大事な用事があるんですよ。私にとっても、リンクにとっても……とても大事な……」
 その言葉を、ゲポラ校長はどういう風に捕らえたのだろうか。
「……そうか。分かった、伝えておこう」
「ありがとうございます」
 深く問い質すことをせずにただ頷いてくれたこの人に、私は心から礼を述べた。



***



 空には美しい満月がぽっかりと浮かんでいた。
 その満月に照らされ、ほのかに青白く光る女神像の前に私は立っていた。
 私にとって唯一無二の存在と『出会う』ために。

 どれくらいの時間、そうしていただろうか。
 恐らくはそれほど時間はかかっていなかったに違いないが、ひどく短いようにも、恐ろしく長いようにも感じた。
 待ち人は、やって来た。
「フィア!!」
 洞窟の中で助けに来てくれたときのように、息を切らしながら、それでも力強く呼んでくれる私の名前。こんな風に名前を呼ばれるのは、一体何度目だろう。そんな詮無いことを考えながら、私は暗闇の中でこちらに向かって走ってくる彼を――リンクを見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「来てくれたのね、リンク」
 私からおおよそ3歩分の距離を置いて、リンクは立ち止まった。
「ゲポラ先生から、聞いたから。大事な話があるって……」
「うん、そう。とても大事な話があるの」
 優勝したら話したいことがある。そう言っていたのはリンクの方だったのに、今はその逆の状況なのが少しおかしい。そして悲しい。
「フィア、僕も君に伝えなければならないことが。ゼルダが……」
「ゼルダが行方不明なのは、私も知っているわ。でも、その話は少し後にしましょう」
「フィア……」
 目を見開いたリンクに、私はゆっくりと首を横に振った。
「ゼルダがいなくなった状況で、こんなことを言う私に困惑してるのは分かってる。でも、今はあなたにどうしても見て欲しいものがあるの。お願い」
 こんな風に言うのは、卑怯だと分かっていた。こう言われたらリンクが断れないのも分かっていて、私はリンクのお人好しさを利用する。今も、そしてこの後も。
「……分かった」
「ありがとう」
 思ったとおり、頷いてくれたリンクに私は微笑んだ。
 そして女神像の方へと振り返り、台座に描かれた紋章の前に立つ。
 羽を広げた鳥のようにも、羽のついた女神のようにも見えるその紋章にそっと手を触れる。すると紋章が淡く光り、それと同時に紋章が描かれていたはずの壁がすっと消えて、内部へと続く入り口が現れる。
 背後で息を呑む音がしたが、私は振り返ることなく、迷い無くその入り口の中へと足を踏み出した。



 女神像の内部は、まるで祭壇のような造りになっている。否、これは祭壇そのものである。
 中心部のわずかに盛り上がった段差――祭壇、その周囲に置かれた炎の灯った燭台。
 そして祀られるように祭壇の中心にある台座に突き刺さった一筋の剣。さらに室内の奥には、石版を填め込むためのもうひとつの台座がある。
 ここは聖なる剣の間。
 選ばれた魂を持つ者だけが引き抜くことの出来る剣が眠る場所。

 私は剣の突き刺さった台座の前に立つと、後を追って部屋に入ってきたリンクの方へと、ゆっくりと振り返った。
「――あなたがここに来る日を、お待ち申し上げていました。我が創造主より選ばれし運命のお方」
「フィア……?」
 リンクのいつも曇りの無い澄み切った青い目が、戸惑いに揺れる。私はそっと目を伏せ、自らの胸に手をあてた。
「私は、時の向こう……遥かな過去から大いなる使命を背負いしあなたの為に……私はその為だけに作られた存在なのです」
「わけが分からないよ……フィア……」
 行方も安否も知れないゼルダ。そして唐突に豹変してしまった私。
 あまりにもたくさんの出来事が、たった一日で起こりすぎた。リンクの戸惑いが、弱々しく首を横に振る姿からありありと伝わってくる。
 その姿に、憐憫の情が湧かないわけではない。それでも私は言わなければならない。
「どうぞ、この剣をその手に。我が創造主に選ばれお方――リンク」
「やめてくれ、フィア……どうして……」
 リンクは剣を手に取ろうとはしない。ただ私の目の前に立ち尽くして、私を、私だけをその瞳に映している。
 ――どうして。
 夢の中で全てを思い出したとき、私も同じようにそう思った。
 けれど、これはもうずっと前から定められていたこと。私は、リンクにこの剣を手にしてもらわなければならない。リンクを過酷な運命へと、追いやらなければならないのだ。
 たとえ、恨まれてでも。
「リンク、ゼルダは生きているわ」私はいつもの口調で大事なことを語った。すると弾かれたように顔を上げて目を見開くリンクに、私は静かに微笑む。「ゼルダはあなたと同じように大いなる使命を託された定めを持っている。あなたがゼルダとの再会を求めるのなら、この剣を手にするべきよ」
 誰よりもゼルダの近くにいながら、助けることが出来なかったことを後悔しているリンクの、大切な幼馴染を助けたいと思う優しい心。
 私はそんな心を利用する。
 そして利用しておきながら、目の輝きが変わるのを目の当たりにして、ちくりと痛む身勝手な私の心。
「……その剣を僕が手にしたら、君はどうなる?」
「どうにもならないわ。ただ、あなたの傍にいる。それだけよ。私はその剣に宿る、精霊だから……」
「フィア……」
「そんな顔をしないで。大丈夫よ、リンク。全てが終われば、また元通りになれるわ。私も、あなたも、ゼルダも。全て……」
 私は笑顔で嘘を吐いた。
 リンクはその嘘を見抜いたのか、それとも――。
 彼はじっと目を瞑った。そして少しばかりの静寂の後、強い意志の灯った目をゆっくりと開き、祭壇の上へと登る。
 私が横に退けると、リンクは台座の前に立ち止まり、剣の柄に手を伸ばす。
 そっとリンクの手が剣に触れた瞬間、私の中で湧き起こる歓喜の渦。それは主に出会えた喜び。
 ゆっくりと剣を引き抜き、その神々しく光を帯びた刀身を天に掲げる姿に、私は見惚れる。

 この瞬間、人間とも精霊ともどっちつかずだった曖昧な私という存在は、紛うことなく女神の剣の精霊になった。

「あなたを女神の剣の主として承認しました」

 これは全てのはじまり。

「――マイマスター、リンク」

 そして永久の別れの、カウントダウン。



12/01/17-12/01/21


  

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