狂戦士シリーズ | ナノ
02



処置用の薬品の臭いなどが充満していることに比べて、出された食事からは然程何かが香るわけでもなく、見栄えも質素なものである。実際、それは料理というよりも『干物と米を白湯でふやかしたもの』と表記するのが正しく、ミユは申し訳なさそうに眉尻を下げていた。
「あんまり美味しくないと思う」とのこと。

口に含むと、確かに申告の通り、味は薄く食感も殆ど無い、如何とも形容し難い感覚が喉を通った。食感に関しては、病人食ということで意図的に柔らかくされている節はあるものの、この薄味はきっと、限られた食料を可能な限り水分で膨張させている故のことだろう。
セッツァーは、もう一口、口に運んだ。
最初、何故かミユは自ら匙を手に取りセッツァーの口元まで運ぶというモーションを取っていたのだか、おそらく昏睡及び朦朧とした状態にはそうしていたのかもしれない。すっかり癖付いてしまっていたらしく、指摘するまで、それが絵的に問題があることだと気が付いた様子もなかった。片腕はしっかり動くセッツァーだが、酷く居た堪らない心地になったことは言うまでもない。
更にもう一口、食べる。
……。

空腹とは恐ろしいもので。
とても、美味しく思えてしまった。


「まともに食べられるもの、少なくて。今、頑張って畑を作り直してはいるんだけど……やっぱり時間掛かりそう」

「……『畑』?」

「うん。まだ残ってたから、ちょっとずつ耕してる」

「……。……『耕してる』?」


ハタケ。
タガヤシテル。

セッツァーはパチパチと二回瞬いた。

――畑、耕してる?
ミユが?
というか、一人で?
その包帯だらけの体で?
男一人の面倒を見ながら?
畑仕事をしていた……?


「暫くは干物ふやかして食べるしかないんだよね。今度、天気良さそうだったら、森の方も見てくるつもり」

「……」

「ちょっと東の方にジャガイモが自生してるんだけど、この辺りは土壌も腐ってないみたいだから、もしかしたらまだ生きてるかも」

「そ、う……なのか」

「あと、今は砂嵐が酷くて近付けないけど、砂漠の方にスイカもあるんだよ」

「へぇ……」


聞きながら、干物粥をパクパクと食べ続ける。
後でまた嘔吐感がやってくる可能性を考慮すれば、あまりペース良く食べることは避けた方が賢明であろうことはわかっているのだが、機能の低下した胃にさえもじんわりと美味しくて、地味に手が止まらない。ミユの作った料理が不味かったことなど嘗て無かったが、まさかこの深刻な食力不足と、食べる本人の不調という壁を前にしても、その条件が適応されるとは思いもよらなかった。
その上、畑を耕しているとか、自生している食物を採取しに行くとか、諸々。
以前、チラリと、ミユにはサバイバルの素質があるのではないかと、考えたことがあった。どうにも、案外それは予感などではなく、本気の予知だった可能性も、無きにしも非ずである。

カラン、と、空になった木の器の上にスプーンを置いた。
ついに完食してしまった。
彼女の表情を窺うと、僅かに驚いた様子ではあったものの、そこには、少しの安堵が混ざっているようにも見て取れた。


「……完治、どれくらいだろうな。足」

「え……あ、と……二ヶ月か、三ヶ月か、くらいかな……杖とか、探したら倉庫にあると思う」

「そうか。助かる」

「あとね、お酒とか煙草とかもあったよ。具合良くなったら開けよう」

「……そんなモンまで有るのか」

「うん。この家、何かと訳アリな人が暮らすのを目的に作られてるから、割と、何でもあるんだ」


語るミユの口調は重い。
以前に聞かされた家族というのが健在か否か、考えずとも、状況を見ればすぐにも察しのつくところであった。死んだと考えるのが妥当……付け加えるなら、この家の中で息絶えた、と言ったところか。

彼女の曰く。
この家を建てた人間は元帝国軍の脱走兵で、随分と長い間を、一人で身を隠しながら暮らしていたらしい。レンガ作りにしたのは、当時の技術では最も頑丈な造りとされていたからのよう。実際、道化に火を放たれても然り、無事であったのだから、余程細部に手を回して丁寧に作り上げたのだろうと、技術屋たるセッツァーは考察した。
次に家主となったのが、とある母娘であった。行き場もなく彷徨い途方に暮れていたところを、既に年老いて生き難くなっていた家主の男に拾われたらしい。程なくして家主が病死した際に、所有権を引き継いだのだそう。


「お母さんとリタはマランダの出身なんだけど、町を追い出されたって言ってた」

「追い出された?なんでまた」

「父親が犯罪者なんだって。当時はマランダが独立国だったから、北行きの船も出ていて、そこから流されたって」


父親は、と、言いかけて、止まる。
ミユもそれ以上を語ろうとはしなかったし、恐らくは死んでいるのだろうが、しかし、彼女がそれを聞かされた様子は無いのである。

それよりも、今の話がこの家の歴史の全貌であるのなら、次に家主となるのは、今目の前にいるこのミユということになる。
脱走だの島流しだのと、何かと居場所を追われてきた者ばかりが転がり込む不可思議な縁を持つ家だが、それをミユが継ぐというのは、言葉には形容し難いが、どこかしっくりと、妥当な巡り合わせであるような気がした。

では、自分はどうだろう。
セッツァーは考える。
元より孤児で身寄りがなく。
拾われた貴族社会からも零れ落ち。
自由を求めて空を渇望しても、結局出自と育ちからは逃れ切らず、得た物はある友情とその喪失のみで。
死んだように生きていたところに、やっと現れた生き甲斐のような仲間達も、散り散りになって生死不明。

引き摺られてきたこの家の住人に、成り得るとでもいうのだろうか。
まさか。
自分に居場所など、何処にも無かった。
それが欲しくて空の上に船を浮かべても、結局は得た端から全て失ってばかりで、夢のひとつも叶いやしないのだ。

ミユを見た。
目が合うと、彼女はあどけない笑みを返した。


「そういう経緯だから、この家って、生きるために必要なものは最低限、揃ってるの」


全くもって、その通りのようだ。
こんなにも世界が何も無くなっているのに、ここには食料と水がある。ベッドと暖炉がある。治療に使える道具もある。何なら、酒と煙草まで揃っている。
無論、物資は有限であろう。
しかしミユは今、本人の曰く、畑を耕してるとのこと。時間は掛かるようだが、食料に困難するつもりは毛頭ないとでも宣言しかねない、堂々たる物言いであった。
最早、安泰どころではない。
この家に居る限り、自分は世界の影響を受けないのだ。


「怪我、治ったら」


ぽつり、ミユが零した。


「……ううん。なんでもない」


しかし、言葉は続かなかった。
セッツァーは訝しんだが、しかし、深追いすることはなく黙り込んだ。

怪我というのは、セッツァーの状態のことを言っているのだろう。薄らぼんやり理解する。引き摺りながらも働いているところを見るに、ミユは自分の怪我のことなどを構うつもりは端から無いようである。
が、セッツァーには、意識が戻ってからというものの、何度も、何度も、チラチラと視界に入って、気になって仕方がないのであった。
――片足が折れているのは、ミユも俺も同じ条件ではないか、と。
そんな思考に至るようになったのも、恐らくは彼女が『仲間』というカテゴリに属した人間であるからに相違ない。それ故に負い目は重苦しく、ただ頼るだけの甘えたこの状況が甚く解せない。
怪我が治ったら、どうするか。
そんなものは決まっていた。

立て直す。
現状を。
当面の『理由』はそれで充分に事足りる。
生かされたのなら、生きるしかないのだ。それ以上も以下もなく、死に損なったからといって自害を連想するような、そんな大層ご立派な理由は持ち合わせが無かった。
ともなれば、他にやることも無い。
物資も情報も足りていないが、何の皮肉か、今回は自分を助けた人間が居る。
そいつも生きていて、怪我を負いながらも環境を整えようとしているのだから、当然、それを手伝わない選択肢は無い。

腐れ縁というものを、セッツァーは信じたことはなかった。
しかし、昔に出会った奴隷の娘とこうして暮らすことになるなどと、露ほども考えたことはなかったし、そもそも、多数あったはずの仲間の中からよりにもよって、だ。
よりにもよって、ミユである。
腐れ縁と言わずして、何と言い表せば良いやら、他にぴたりと嵌る言葉が思い付かない。
何ともむず痒い心情の正体を知る前に、訪れた眠気を、堪えた。
腹の膨れた途端に睡魔に誘われるなど、格好のつかない話である。


「眠いなら、寝ててね」

「……でも、お前が」

「頭を打っているみたいだから、今は、あんまり難しいことは考えない方が良いかも」

「……。……そうか」


そうか、頭。
自分は頭を打っていたのか。
そっと手を額に触れさせると、指先から布地の当たる違和感が伝わってきて、頭にも包帯が巻かれていることを理解した。
同時に、今になってようやく、度重なる目眩と嘔吐の原因を知った。これでは、例え足に別状が無かろうと、まともに動ける日は近くはなさそうである、と。
早くて、三日。
三日で立ち上がるまでがやっと、と言ったところであろうか。
判断して、セッツァーは渋々と頷いた。











寝息を立てる彼を窺い見るのは、これで一体何度目になろうか。本来ならば一生訪れるはずのない機会で、過去の自分ならば考えたことすらもなかった稀なる現象が起きている。
嬉しい、というのは少し違う。
怪我をしているし、顔色も悪いし、それなのにロクな食料も無く、大した治療もしてあげられない。寝息を立てているセッツァーを眺めて、温かな気持ちになることなどあるはずもなかった。
けれど、心臓が動いている。
さっきまで、意識も明るかった。
随分回復した。
会話が出来た。
目の前にある顔が、今にも死にそうな寝顔などでは決してない。そのことに酷く安堵して、ミユは井戸水で食器を洗いながら、腰を抜かしてしまいそうなのを必死で耐えている。
……が、手放しで喜べる状況にはない。
これはさっき、会話をしていて感じたことだ。

――セッツァーは、思ったよりも、落ち着いていた。

どうしてか、ミユは、それを『良かった』と感じることが出来ずにいた。


「……」


怪我が治ったら、セッツァーはどうしたいのだろう。

尋ねようか、迷いもした。言葉を躊躇ったのは、恐らく、あまりにも彼の反応が『普通』だったから。

世界が崩壊する前と。
世界が崩壊した後で。
同じ精神状態でいられるということが、果たして有り得るのだろうか。

少なくともミユには不可能な事柄であった。打ち上げられた浜辺から歩いて家に到達して、セッツァーが目を覚ますまでの間、片時も離れずに、縋るようにして、心を、ただそこに置き去りにして、悲観から目を逸らし続けた。少しでも気を抜けば、自傷をしてしまいそうな。或いは、看病をしているはずの男を見殺しにしてしまう幻惑の中で、それならばいっそ殺してしまった方が、なんてこともチラリと思い浮かべるなどした。
苦しくて。
恐ろしくて。

けれど、セッツァーは、至って平静であるように見えたから、僅かに引っ掛かりを覚えた。


「……」


――もし。


「……ううん。有り得ない。大丈夫」


もし。
世界がこの惨状に見舞われるよりも、前に。
彼の精神状態が、ずっと、今と、変わらないままの、沈み切った沼の底から抜け出せないような、そんな絶望感の中に、ずっと、有ったのだとしたら。
世界が平穏であろうと、壊れてしまおうと、構うことがないほどの絶望に、常に苛まれていたのだとしたら。
――仲間を失った悲しみに匹敵する、またはそれ以上に深くて仄暗い世界の中を、ただ、立ってやり過ごす。
そういう感覚を、ミユは知っていた。

ぶるり、身震いする。


「……有り得ない。有り得ない。大丈夫」


保証は何処にも無い。
セッツァーはジドールの出身なのだ。それも、煌びやかで華のある夜の街の表舞台と、ゾゾに繋がるどす黒い裏社会との両面を行き来して、どちらにも属さない灰色のラインに身を置いていた。
思えばミユは、セッツァーのことを何一つ知らない。
人となりや趣味趣向などは知っている。頭が良いことも、体力がなく疲れやすいことも、低血圧の癖に早朝の空が好きなことも、恐ろしい風体でいて案外と面倒見が良いことも、知っている。
けれど、そこに繋がる原因を知らない。
『過去』を知らない。

知ろうとしたことはあった。二人の間で行われていた『賭け』のために、必要なことであったから。
けれど、彼はおくびにも出さなかった。
そのことについては、ヒントも無しに問題を出すなんてズルいと、その程度にしか思っていなかったが、もしかするとセッツァーは、ミユに限らず、誰にも昔のことを話したことが無かったのかもしれないのだ。

――彼の足の怪我が治ったら。

もしかしたら、彼は、ミユに気付かれないようにして、行方を晦ますかもしれない。
何故だか、そんな予感がして。


「……」


そうなったとき、私は、どうするだろうか。
既に、セッツァーとミユとの『賭け』の条件は破綻している。
探すだろうか。
諦めるだろうか。
――考えたくもない。

ミユは頭(かぶり)を振って、思考を止めた。






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