狂戦士シリーズ | ナノ
01



世界が終わるのは、二度目であった。
倣って、この、何をする気にもなれない無気力感というものもまた二度目である。ブラックジャックが外側から順に破壊されていく様を眺めている時間は、恐らくは一瞬だったはずなのに、セッツァーの目には酷くゆっくりに感じられた。亡き親友もあの景色を見たのだろうか、などと考えて、そうでないようなるなら、あれは酷いトラウマになったことだろうと、今になって思う。

――『今』?

違和感に、気がついた。
今は、いつだ。
ここは何だ。自分は未だ世界の中に居るというのか。景色が、歪んで、割れて、壊れていく様をあれだけまざまざと見せつけられておいて、それでいて尚まだ息をしているというのか。何よりもまず怪訝の感情が生まれて、身体が何処にあるのかを探してみると、胸のところで、鼓動が鳴るのがはっきりと伝わった。
だとするならば、ここは何処だ。
長い間混濁して深く沈み切っていた思考が、次第に鮮明になっていく感覚がする。パチパチ、何かの弾ける音を、暖炉の薪だと認識した。
目を開く。
――見慣れない天井だ、と、何かの書物で見たような感想を抱いた。


「……生きているのか」


まだ、こんな薄汚い世界の上、それすらも壊れて無くなったというのにも関わらず、みっともなく背筋を丸めて、重苦しい何かに押し潰されそうになりながらも、生きているというのか。
上体を起こす。同時に身体の何処かに痛みが走って、小さく声を漏らした。
ああ、ざまぁねえな、と嘆息する。
きっと亡き親友と同じ景色を見たはずだというのに、同じ絶望感を味わったはずだというのに、何故こうも生かされてしまうのか。何故、抗えない何かに掬い上げられてしまうのか。セッツァーは、常から、自分などが生きていなくても時が流れるのを知っている。そして、終わった世界であろうと、続くことを知っている。だからこそ、こうして息をしていることをくだらないと思うのに、反吐が出るほど、世界が嫌いで仕方がないというのに、留まってしまうことを心の底から悲観した。
まさか、ここまで世界が崩壊しても、自分の方は終わらずにいるだなどと、露ほども考えなかったものだから、尚更に。

辺りを見渡す。
見慣れない天井であるのだから、当然ながら室内も見慣れないもので溢れていた。豪奢な調度品のない質素な民家、という内装は久々に見たが、しかしレンガ造りという昨今あまり見掛けない建築仕様に違和感を覚える。
レンガ造りといえば、そう言えば、とセッツァーはある節に思い当たった。
『アイツ』の『故郷』という場所も、確かレンガ造りだったのではないか、と。


「ん……」


そのとき、不意にベッドの脇の辺りからくぐもった声が聞こえた。
見ると、青髪をシーツの上に散らして、ベッドに顔だけ突っ伏している少女の姿。


「……ミユ?」


何故、ここに、と疑問符が浮上すると同時に、『レンガ造り』というワードが少女の存在と符合した。
するとここは、ミユの家なのか。
その割には……火事に遭ったという割には、随分と生活感が残っているように感じられる。少なくとも長く家を空けていた際の寂れた感じはなく、そういう場所でしか生きてこなかったセッツァーには、そのベッドの上で眠っていたという事実を前に、少々むず痒いような心地になる。
ここに彼女が居るということは、つまり、と考えて、一度思考を遮られた。
ベッドに突っ伏していた頭が、むくりと起き上がったからである。


「あ……」


目が合った。
しかし、会話はなく、ミユは数回目をゴシゴシと擦ってから、もう一度セッツァーを見た。
そして。


「おは、よう……?」


惚けた声。
まだ夢心地のようである。
ミユはもそり、起き上がり、近くに置いてある桶の中から濡れたタオルを取り出した。絞って、部屋の外へ消える。何をしているのか、意識の状態が現状のミユよりは正常であるはずのセッツァーだが、やはり未だ複雑なロジックを組み立てられるほどには回復していなかった。ただ見送って、戻ってくるのを視界に入れると、ミユはセッツァーの顔周りに蒸されたタオルをぽんぽん、ぽんぽんと軽く押し当てる。


「……」


無言。
無音。


「……。ねえ」


ふと、ミユがポツリと零すように言葉を発した。


「もしかして、今、起きてる?」


震えるような声音である。
目を開いているのだから、当然起きているに違いない。この娘は、何を当たり前のことを尋ねているのだ、と、セッツァーは眉根を寄せつつ頷いた。
起きている。
伝えると――瞬間、ミユは豆鉄砲を食らったような顔になって、呆けて、蒸しタオルを手に持ったままピシリと固まった。


「ほんとに……?ほんとに、起きてる?」


だから、そう言っているのだが。


「じゃ、じゃあ!えっと、外、どうなったか、わかる?何処まで覚えてる?何が起きたのかわかる?」

「?……ある程度は、わかっているつもりだが」

「!それじゃ、名前、言える?貴方の名前と、私の名前と、わかる?」

「……。……お前、まさか」

「……」

「ミユ――俺はどれくらい寝ていたんだ」


途端。
ミユの涙腺が決壊したのが見えた。
見えたが、しかし、セッツァーにはどうすることもできず、じっと彼女が落ち着くのを待った。

後でわかったことであるが、飛空艇が落ちたあと、セッツァーが最初にこの家へ連れられてから、実に十四日という時間が経過していたらしい。今、この瞬間にその正確な数字は知らないまでも、その十四日間の間でミユは延々、延々と、目覚めるかもわからないセッツァーの介抱を続けていたのだということだけは理解した。
そんなものは頼んでいない、と考えるのが常であるはずが、しかし、この状況下でセッツァー自身も随分弱気になっているらしい。申し訳ないことをした、と素直に思った。
泣きじゃくるミユの曰く。
最初の数日は嘔吐が止まらなくて、呼び掛けても返事がなく、薄く目を開いていたり、閉じたり、という状態が暫く続いていた。
三日が過ぎた辺りで、吐く回数が減り、量も減り、少しずつ拒食の状態が治りはしたものの、やはり会話はできず、食事の最中に気を失うように眠りに入ることもしばしば有った。
そして、十日目の夜。
目が開かなくなった。
吐くことすらも無くなった。
何が原因かわからなかった。
息が細くなっていった。
もう駄目だと思った。
それでも命は終わっていなかったから、諦めず、あるだけの道具やら食材やら薬やら、下手な魔法でも何でも全て使って、丸一日を掛けて蘇生をしたのだという。
それからはまた、意識があったりなかったりの繰り返しを続けて、今、ようやく、会話が可能なレベルにまでセッツァーが戻ってきた。
途切れ途切れのミユの言葉を要約すると、大まかにはそんな内容であり、セッツァーは絶句して少女の様子を眺めたのだった。

自分ほどではないが、ミユも身体の至る部分に包帯が巻き付けられているのが見える。
顔は蒼白で、唇の血色も悪く、ペタンと弾力を失った髪には埃が見え隠れしていて、ロクに寝てもいないのか、オッドアイの目元に濃い隈があり、ついでに泣いた所為で赤くもなっている。セッツァーは自分自身の状態を詳しく把握していないものの、ミユの今の状態が良くないことは火を見るよりも明らかであった。
初めて出会った時――ブラッドファングの狂犬病に罹り弱っていた頃でさえ、ここまで窶れてはいなかったというのに。
精神面、である。
あの頃と決定的に違うもの……一人の命を負っている責任、誰も頼ることができない孤独、仲間の不在、悪化する状況、足りない物資。
世界の崩壊。
それが理解出来てしまった頭脳を、恨んだ。


「ミユ」


声を掛けようとして、惑った。
何を言うべきか、考えて、息をひとつ。


「……世話、かけた」


心許ない声音になった。
ミユは一度、スンと鼻を鳴らしたあと、良いのだと言って続く言葉を遮った。それを受けて、セッツァーは、決まりの悪い心境に陥る。
出会ってたった数ヶ月、数えられるほどの月日しか経っていないが、しかし、仲間として、同じ船の上で寝食を共にしたという影響は大きく……貴族社会の中を渡り歩く人格者のセッツァーが、柄にもなく言い淀んでいることを、当たり前のように察せられてしまっているのである。
僅かに視線を逸らすと、また鼻を啜ったミユが徐に立ち上がった。


「お腹、空いているでしょう」

「ああ……多分」


実際のところ、よく分からない。
が、折角話題が逸れたのだから、便乗しておくに越したことはない。頷くと、ミユは自身の状態をまるで労ることなく、すっくと立ち上がって、蒸しタオルと温水の一式を手に抱えた。


「わかった。待ってて」


ズ……と。
ズズ、と。
包帯の足を僅かに引き摺って駆け行く。負傷しているのに、足取りは軽く、余程セッツァーの覚醒が喜ばしくて仕方が無いのだろう。
入り口の向こう側に響く足音が遠ざかっていくのを聴きながら、再び天井を仰いだ。
眠気が有る。
誰も居なくなった途端に、また眠ってしまいそうな心地であったが、しかし、ぐっと堪えて上体を起こした。途端、ぐらりと目眩が訪れて、吐き気までも戻ってきたようだったが、それも抑えて、辛うじて動く片手で顔面を覆う。
もう一度寝てしまったら、戻ってきたミユが、どんな気持ちになるか。
何度でも思う。察せられてしまう自分の頭脳が憎らしかった。

――もしかして、今、起きてる?

普通は。
普通は、目が開いていたら、起きていると考えるのが正常な思考。
しかし、環境、経緯、対象など、それらのうちひとつでも狂ってしまえば、正常な思考というものは失われてゆくものである。
目が開いていても意思が無く、浮上しては沈むサイクル、そういったケースは幾らでも存在する。ミユの言葉の意味は、つまり、セッツァーの目が開いていても、明らかに意識の状態が不安定……そういう場面に、この十三日間のうちに何度も直面させられていたからこそ、彼女の判断力は一瞬の麻痺を見せた。
不安にさせたことなどは、想像に難くない。
意図しないこととはいえ、だからと言って気にせずにいるというのには、彼女とは些か関係性が近過ぎる。

女を泣かせた回数など、数えていないが。
仲間という立場の誰かを泣かせたのは、初めてだ。

苦しい、と、思った。
苦しくて、居た堪らない、と。
それは、セッツァー自信が、生きることに前向きではないから。そういう自覚が、あってのことで。
それなのに救われて、どころか窶れて倒れてしまいそうになっても尚、献身的な蘇生を施されて、挙句、目を覚ましたら泣かれる程にまで、彼女の心を、気持ちを、この十三日間のセッツァーが全て握っていた。
ともすれば握り潰してしまうほどにまで、強く、ミユを縛り付けた。
自分にそこまで尽くされる価値はないと、セッツァーは常々思っている。
そんな自己評価など知らぬとばかりに、望んでもいない命の恩人のポジションに、ミユが、自ら進んで収まってしまった。

これから彼女を、どういう風に扱えば良いのか。

これは所謂『負い目』というもの。
罪悪感と、情けなさで一杯になって、ただ一言感謝を述べることすら烏滸がましく思えてならない。
添え木と包帯で処置をされた足を、少し動かしてみたが、しかし、とても歩くことは儘ならぬようであった。どころか、また目眩に苛まれて、そもそも二本足で立てるかどうかすら怪しいところである。
今すぐに、この場を去りたい。
そんなことを思ったが、叶いようもない。


「……どう、したもんかな」


今後のことを考えられることは、世界の状況を鑑みると、それはそれは幸福なことなのであろう。
対象が、自分でさえなければ。
苦虫を噛み潰したような顔をして、セッツァーはやや投げやり気味に、ぼすん、と枕へ後頭部を預けた。






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