狂戦士シリーズ | ナノ
表層を揺蕩う



夢と現の間を縫って歩くような、或いは、茫とその場に立ち尽くしているのか、腰を落ち着けているのか、横たわっているのか、判別の着かない浮遊感の中にセッツァーは居た。
自分はここで何をしているのか。記憶に残る最後の映像を頭の中で再生して、ずしりと心が重くなった。歪な色合いの空から拒絶されるように振り落とされた、そんな絶望感が、胸に強く残っている。

端的に言えば、つまり、リターナーという組織の目的は失敗したのである。

あのとき、エンジンも、モーターも、バルーンも前羽根も後羽根も、全てが言うことを聞かなかった。局部発生した重力の渦に多方向から引っ張られて、愛機ブラックジャックは文字通りに『大破』したのであった。あの高さから船ごと落ちて、クルーが無事であるはずもないと、ただ惨憺たる結論がそこに在るのを見た。舵を握る手が雨嵐やらで滑って自由に動かず、どころかロクに立つことすらも儘ならず、にも関わらず、風に煽られてバランスを崩した緑髪が宙に足を掬われて真横を通り過ぎようとするのを、考えもなく咄嗟に掴んでいた。
引き摺られて操縦台から離れていくとき、目を赤くした少女が、そこへ一心に駆けていくのが視界の端に映ったのである。
彼女はやはり昔の親友に似たところがある、などと暢気に思ったのは、走馬灯の代わりのような何かが働いたのだろう。握りしめたはずのティナの手はあっさりと引き離されて、その瞬間に、叫び出したい衝動に駆られたのを覚えている。

そこで記憶が途切れて、今に至った。

暫くの間、異様に身体が軽く感じていて、その視線の向こう側にいる見知った女の影が、カラカラと笑って自身を突き放したような感じがしたのを漠然と思い返す。この分だとまたすぐに忘れてしまいそうな予感がするが、これが夢であるのならば、きっとそんなものなのだろう。納得をして、意識をまた重いところへと回帰させていく最中に、少し寂しいような、悲しいような、虚しいような感覚がしたが、流石に、こんな場所でも尻を追い掛けるわけには行かないらしいのである。誰かが自分の名前を呼んでいたような気がしたが、今はそれもなく、ただ微睡みの只中だった。

恐らくは、ずっと目は薄く開いたまま、意識だけがあっちへ行ったり、こっちへ飛んだりしているようだ。ぼんやりと見える景色は薄暗くて、冷たい印象を受けるというのに、何処からか聞こえるパチパチという薪の音が心をゆったりと落ち着かせた。かと思えば、ぷつりと意識が途切れて、次の瞬間には空間が少し明るくなっていたり、という不可思議な現象に直面する。随分と長い間こうしているような、たった数分しか経っていないような、色んな錯覚が同時にやってきて、ぐらりと激しい目眩がした。

強烈な嘔吐感に襲われ、目が覚める。


「……ぅ、」


嗚咽。
そのまま噎せるようにしてぶちまけて、呼吸を整えるよりも早くに次の波が来る。嘔吐いて、吐いて、苦しみの中で僅かに目を見開くと、丁度、吐瀉物が収まるように桶が設置されていて、みっともなくシーツを汚すことは避けられたらしいことを薄らぼんやりとした頭で理解した。
『吐くところ』と、わざわざ、丁寧に書き記されている。
誰かがここに置いたのだと知った。
自分を介抱した人間がいることを察した。

――誰、だ。

考えると、また嘔気がやってくる。桶を手繰り寄せて喘いでいると、腰の辺りで何かがもぞりと動いたのを察知した。
何かというよりは、『誰か』。
振り向こうとしたが、叶わず、もう一度胃酸が出ていくのを留めさせようと苦心する。食べていないのだから、出るものなど無いはずなのに、込み上げるそれを抑えられず腹に腕を回すと、後ろにいる誰かがそっと背に手を当てた気配がした。
ゆっくり、撫ぜられる。
下から、上へ。我慢をするなとばかりに、腹から口まで。
手の動きに合わせて、また胃酸を吐いた。


「ちょっと、頭上げるね」


耳が拾った、聞き覚えのある声。しかし、これは誰だったのか……靄が掛かったような不鮮明な感覚がして、まともに思い出すことが出来ずにいた。
枕と後頭部の間のところに、すっと腕が差し込まれる。
力、抜いてて。大丈夫だから。
子供に言い聞かせるような口調は、実にシンプルな指示であったために、すっと耳に馴染んだ。頭が持ち上がる。背面に何かを挟まれた感じがして、楽な姿勢を取ったことで幾分気分が収まった。
セッツァーは、若干高くなった枕に投げるようにして頭部を預ける。
すると、また眠気がやってきた。


「まだ、休んでて」


声が、柔らかい真綿のような心地良さを孕んで、意識を包み込む。


「おやすみ」


そのまま深海に誘われるように、再び微睡みの中へと沈んで行った。



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