狂戦士シリーズ | ナノ
その日、世界は引き裂かれた...



肌に纒わり付く砂塵に視界を覆われながらも、ざくりざくりと歩みを止めず前進する少女が一人。
目は赤く発光し、一時的に身体能力を強化した細身ひとつで、その双肩に人間一人を背負って進む。気を失った成人男性一人、引き摺るようにして、ただ歩く。
打ち上げられた砂浜から歩いていたはずが、いつの間にか白い砂は黄金色に変わっていき、見えていた目的地が少しずつ遠のいていくような気さえする。ミユは霞み始めた思考回路を無理矢理に留めながらも、そこへ辿り着くことだけを一心に考えて、半日以上を砂漠で過ごしていた。
早く、早くしなければ。思う傍ら、休みを入れなければ、水を飲まなければ、この人が死んでしまうと頭の何処かで理解していた。しかし、水筒はあれど、中身はなく、赤く濁った海水などを口に含ませる訳にも行かず、途方に暮れている。
悩みながらも、進み続けているのは、少しでも歩みを止めたら動けなくなってしまうと予感していたからである。高所からの落下、海への墜落、浜辺に打ち上げられて、船の残骸の散らばる向こうに知った顔を確認してからは、少しの時間も惜しいと一心不乱に泳いで、岸に戻ってからも、こうして一軒家目指して、休むことなく。心身ともに疲弊仕切っている今現在、如何にバーサク状態にあろうとも、脳が眠ってしまってはそれも意味を為さないのである。
見知った浜辺に打ち上げられたのは、奇跡であったと言えよう。
また、所持品がそれほど消えることが無かったのも幸いであった。ポーションは一向に目を覚まさない生傷だらけの男の救命に大いに役立ったし、装備品も剥がれ落ちることがなかったから、魔物との戦闘にも支障は無かった。仲間が居なくとも、一人でモンスター相手に立ち回ることができる程度には、バーサクの調律は取れるようになっていた。
ただ、絶望的に体力が残っていない。
怪我人を背負っている。
守りながらの戦いは、難しく、また、ミユ自身が意識を保つにも限界が近い。
セッツァーは、相変わらず目を覚まさない。
例え目を覚ましても、彼は幾つか骨を折っているから、まともに歩くことすら叶わないだろう。ポーションは致命傷を塞ぐところまでには届いたものの、しかしやはり、彼は眠りの中で、生と死のギリギリの境目を渡り歩いているのだ。
耳元で聞こえる微かな吐息が、偶に、途切れてしまうときがある。
そうしたとき、ミユは激しく焦燥に駆られ、呼び掛けて、身体を揺すって、と、切れ掛かった理性の中で生の世界へ引き戻すのである。赤く染まった視界の中では、ロクな対応など出来るはずもなく、恐らくはその度にセッツァーの身体を傷付けているのだとわかりながらも、他に為す術もなく繰り返す。

がくん、と膝が崩れた。
雪崩込むようにして、灼熱の砂の上に、背負った体重ごと倒れ込む。熱い、痛いと呟くこともならずに、その瞬間に消えかけた意識を引き戻して、もう一度立ち直ろうと前面に手をついた。
立膝をして、
起き上がる。
起き上がる。

――起き、上がれ、ない。


「……っ、」


目尻に涙が滲んだ。
喉が乾いて仕方が無いのに、こんなところで水分を浪費して溜まるものかと、堪えて、自分の腿に、鞭を打つ。
けれど、起き上がれない。
涙は流れていく。
悔しい、とミユは唸った。
悔しかった。
世界が壊れていく中で、飛び続けることが出来なくなった翼。操縦台から離れたセッツァーが、ティナの手を掴み叫んでいたから、ミユは脇目も降らずに台へ走り舵を握ったのだ。
使い方など、教わっていなかった。
いつもの彼の見様見真似で、飛んで、飛んで!と叫びながら必死で押さえ付けて、進路を守って、けれど、台は真っ二つに割れて船ごと大破した。
外れた舵輪だけ握りしめたまま、落ちた。
落ちてからも、その舵輪はポーチに押し込んで携えている。無力感のあまりに、捨ててしまいたいとさえ思ったけれど、どうしても手放す気になれなかったのである。
無力感は、未だ続いていた。
ミユは舵輪を取り出し、そして砂の上に突き立てて、それを支えに立ち上がる。

ふと、砂嵐が止んだ。
すぐ目の前に、目指していた屋根が見えた。

レンガ造りの一軒家。
ミユの家族が住んでいたところ。
ミユが唯一、帰ってこられる家――だった場所。
道化に焼かれ、あの日の色鮮やかな風景など見る影も無い。
ああ……やっと、辿り着いた。
吸い込まれるようにして足を踏み入れると、居間の間取りの空間に、二人分の白骨が転がっていて。


「……ただ、いま」


応える声は無い。
応える声は無い。
骨が転がっている。
これは家族だった人達だと、思考するまでもなく理解した。

心はすっと凪いでいて、何も考えられない。

外はまた砂嵐が吹き荒れている。轟々と鳴り響く風の音は、この家の中にだけは何故だか入り込んでこないような、錯覚。木窓も扉も燃え尽きて、砂は飛び込んで来るというのに、只々無音で、荒んだ心には丁度良い冷たさであった。
知らない人の家みたい。
自分のせいで、ここは何も無くなってしまったのだ。


「……」


背負って、引き摺っていた人を、風の当たらない死角へとゆっくり下ろして、しかしバーサクは解除せずに、ふらりと裏の庭へと歩いていく。今、バーサクを止めてしまえば、きっと気絶してしまうから、赤の世界の中をぼんやり、ゆらゆら、ふらふら進みながら、勝手口のドアノブに手を掛けた。
施錠されている。
ロックを外しても、鉄製の扉は開かない。見れば足元に大量の樽が積まれていて、恐らくは反対側にも、同じようにバリケードが張られているのだろうと察した。道化の来訪の後、ここからリタとミユを逃がした母は、たった一人でここに立て篭もって、家を焼く炎と戦ったのだと知った。
あの白骨は、片方は、母に相違ない。
もう一人分の、自分とそう背丈の変わらない白骨は恐らくはリタ――船でミユを逃がした後、この家に戻って母を救おうとしたのかもしれない。

ミユは、扉ごとバリケードを蹴り飛ばした。


「……」


はやく。

早く、しなければ。
バリケードに使われていた桶からちょうど良いサイズのものを掴んで、裏庭の井戸へ寄っていく。石造りの囲いの鍵を引きちぎって、縄に桶を繋いで下ろしていく。
水源は、死んでいなかった。
引くとカラカラと音を立てて登る桶の中の水を、零さないように手に取って、また家の中へと踵を返す。
キッチンのあったところに、幾つか食器が散乱していた。
熱で少しだけ焦げたスプーンを手に取って、濯いだ後、彼の元へと戻っていく。
赤の世界が揺らいだ。
もう、限界だ。


「ねえ」


声を絞り出す。
相手は、無音のままであった。


「ねえ、水……汲んで……きた、から……」


起きて。
飲んで。
早く。

死んでしまう。
死んでしまうよ。


「セッツァー……!」


青紫の唇。
どれだけ掬って運んでも、匙でこじ開けて流し込んでも、水は口の端からツーと零れて喉に届かない。息はしているから、舌根が沈下していることもないはずで、それなのに届かないことがもどかしい。
嫌だ、と声が漏れた。

見渡しても、叫んでも、駆けても、何処にも居なかったのだ。

落ちながら気を失って、目覚めたとき、外れた舵輪はしっかり握っていた癖に、仲間の手は一人として握っていなかった。
何処にも、誰も居なくて、やっと見つけたセッツァーは死に掛けていて、呼んでも揺すっても目を覚まさなくて、ポーションも、飲んでくれなくて。
セッツァーと一緒に落ちたはずのティナさえも見つからない。
辿り着いた家には、家族の遺骨が二人分。
もう、もう世界に、ミユを知る人は誰も居ないのだ。
蒼白になって眠っているこの人しか。

ミユは堪らずに、自らの口に水を含んだ。そのまま唇ごと押し付けて、強引に流し込んでいく。
こくり、と喉のなる音がした。
極限状態なのはミユも同じことで、こうでもしなければ一人になってしまうのだという恐怖感が増幅し続ける中で、次第に思考が薄れていくのを、自らの大腿部に木片を刺して引き戻し、口移しを続けた。
バーサク状態は解除されていた。
頼る相手も、手段も無い。もう駄目だ。

このままでは自分自身までも死んでしまう、と、思った。


「……こ、に……いる、のか」


自分ではない人の、声がした。


「ダリル……」


誰の声か、認識してから、ああ……と息が漏れる。
ああ、生き返った。
セッツァーが生き返った。言葉を発した。僅かにだけれど、目を開いた。ここに居る。何処にも行かずに、ここに。
わたし、は、ひとりに、ならない。
よかった。
よかった――……

遠のいていく。
離れていく。
だめだ、と最後に自分の心に鞭を打って、ミユは残っている桶の水を、半ば浴びるような形でグイグイ飲んだ。ここで眠っては共倒れだと、眠い頭を覚醒させていく。
少し気力が回復したような気がして、ぺたんと床に着いたまま動かなかった足に、また力を入れた。あと少しだけ頑張ってくれと、さっき太腿に刺した木片はそのままに立ち上がる。もうセッツァーを背負う力は残っていなかった。なので、引き摺って、燃えていないはずの二階の部屋へと運んでいく。この家はレンガ造りだから、先代の家主が丹精込めて作り上げた家だから、どれだけ道化の放つ火が灼熱であろうとも、耐えてくれているはずなのだ。
扉をまた、バリケードごと蹴り飛ばす。
荒くなった息を整えながら、周りを見渡すと、そこには変わらないままの寝室が有って、布団の上にダミー人形が置かれていた。
母は、ミユが逃げたのを誤魔化すために、ここに囮を用意していたらしい。そして、結局すぐに見つかってしまったために使われることが無く、二階は道化の手が及ばず元のまま、少しだけ埃を積もらせている。
また、じわりと涙が滲んだ。
けれど、今度はしっかり水を飲んだ後なので、もう我慢しなくても良いか、なんて考えて。
セッツァーをベッドの上に横たえる。埃っぽいのは我慢してね、と心の中で声を掛けて、地下へ急いだ。
物置になっている階下。暮らしに使うもの全てがここに収納されている。
ミユの母とリタが、こんな人里離れた場所に居を構えていたのには相応の理由があっての事だった。ここは、襲撃を受けても、暮らせる環境そのものは残るように設計されていて、母はそれを保つためにいつも一所懸命だった。
だから、今という時に、この家の特性は有難いものだった。
倉庫から手当に必要なものを掻き集めて、再び階段を上がっていく。

セッツァーは、今のところは規則的な寝息を立てて眠っていた。
しかし、何処に何が影響しているかわからない。医者なんて概念はコーリンゲンにまで行かなければ無いものだったし、だからこそここに住む者は、有事の適切な処置と生活の知恵、また護身術などを叩き込まれるのである。
一人でも、生きていけるように。

暖炉に火をつけて、そこでお湯を沸かしながらベット脇に立った。


「ちょっとだけ、ごめんね」


高そうなコート。
脱がせる。
シャツ。
切る。
そのうちに薬を用意しなければいけないな、などと考えながら手当をしていると、暖炉の火が次第に大きくなっていて、部屋全体がほんのりと暖かくなってきて、ミユ自身をも眠りに誘おうとするのである。
まだ少し、あと少し。
外はすっかり暗くなっていた。
包帯を巻き終えて、毛布で包んで、砂漠の夜で凍えてしまわないように。
パチパチと、薪の弾ける音が心地よく、ぐらりと前に頭が倒れた。
こういうとき、火は恐ろしい、と、思う。
ゆらゆら、意識を吸い込まれてしまいそうだ。
力が抜けて、床に、膝をついた。
彼の眠るベッドに額を置いて、長く、息を吐く。

もう大丈夫だよ。
頭の中で、自分自身の声が囁いた。






prev / next

戻る


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -