狂戦士シリーズ | ナノ
04



世界の崩壊から幾日が経過したか。世界に生き残りの人間が居るとするならば、そろそろその大半が、日を数えることを投げ出し始めた頃合か。
消えないように、流されないように、宛先を失った文を綴り続ける行為が、傍から見れば痛々しいものだと気が付いたのは、つい最近のことであった。

ミユの朝は早い。

日の出と共に目を覚まし、軽いストレッチの後に、まずは家から少し離れた畑へと趣いて、無心で仕事を行う。すっかり耕し終えて土壌の整った畑には苗を植えて、水と肥料を撒き、まだ鍬の入っていないところには丹精を込めて振り下ろす。一時間近く作業をしたら、一旦の帰り支度を整えて、寄り道をしながら帰路を辿る。
フラフラと、少し離れたところを散策して、食べられるものや、育てられそうな種を見つけては、籠の中へ放り込んで行く。
帰った頃にはすっかり日も登り、腹の空き具合も丁度良い頃合。家の周辺の植木鉢に水を遣って軽く水浴びをしてから、朝食の用意に取り掛かる。
今朝拾ったものは、幾つかの木の実にブナ林のキノコ、イチジクの実が二つ。ジャガイモの生息地にも足を伸ばして、五つの収穫。干物と合わせれば、それなりに豪勢な食事になりそうだ。

ミユが腕まくりをしてキッチンに立つ頃、奥の部屋で、セッツァーはもそりと寝返りを打っていた。
眠っているわけではない。
起きている。
辛うじて。
夜型の生活が身に付いているセッツァーは、これまでリターナーの一員として仲間の生活リズムに合わせて動いてはいた。が、しかし何年も続いていた習慣がそう簡単に変わるはずもなく、少し間が空くだけですっかり元の低血圧仕様である。薄く目を開いたり、寝返りを打ったり、また目を閉じたりして、次の睡魔が来るのをうつらうつらと感じ取っては、ん゙んんと目を開く。思考の端で何とか覚醒を命じてはみるものの、効果は薄く、辛うじて上体だけはむくりと起こして、船を漕ぎつつ、ゆっくり意識が定まるのを待っていた。
部屋の外側から、ミユの料理の香りが入り込んできて、愈々起きねばいかんな、と、杖を片手によっこらせと立ち上がる。
居間に出た。
朝食を殆ど作り終えたミユが、くるり、振り返った。


「あ、起きた?」

「……」


ざわり、心のどこかが音を立てた。

――可笑しな光景だ。
生まれてこの方遭遇した事のなかった状況を前に、違和感を覚える。一軒家の屋根の下、朝に目が覚めて、誰かが朝食を用意すべくキッチンに立っている後ろ姿を見る――そういう平穏の象徴のような絵が、『今』という時間の上に訪れた。
全てが壊れた後になってから、初めて平穏の象徴を目にした。
あべこべで、ちぐはぐで、

卓の上には例の如く干物粥と、初めて見るその他の数品が並んでいて、また朝っぱらから凝ったものを作るものだ、と感心させられる。


「おはよう」

「……ん」

「もうすぐ出来るから、待っててね」


セッツァーが立ち歩くことについて、最近になってようやく、ミユは兎や角と口を出さなくなった。切っ掛けらしい切っ掛けが有ったわけではなく、単純に、セッツァー自身が以前よりもずっと体力を取り戻しつつあるからだ。
元より、本人が無茶をするような性格でないことは理解していたところ。フラフラと好きなように歩き回って、レンガの家の中を散策しているのを、何処か懐かしい気持ちになりながら見守っている。
昔、この家で、少しの間だけ猫を飼っていたのだ。
といっても、最初から最後までずっと世話をしていたわけではなく、野良猫が怪我をしていたところを拾い、治った途端に姿を消した猫を、探すのを諦めて今に至っている。ほんの数ヶ月程度の出来事だったが、動物を飼うのが始めてだったミユの頭には鮮明に記憶されていた。
それと、今の状況が、何となくリンクしているのが面白い。
同時に、何だかセッツァーが何処かへ消えてしまいそうな気がするのは、その時の猫と似たところがあるからなのかもしれない、なんて考える。

猫と人間の男とでは、大変な違いがあるのだけれど。


「これ……初めて見るな」

「ドングリ拾ったの。ペーストしてジャガイモに練り込んでみた」

「……ドングリって食えるのか」

「うん。美味しい?」

「……」


きゅっと、目を細めて。
継ぐ間もなく匙を口へ運ぶ。
どうやら寝起きは語彙力が死んでいるらしく、まともに食レポも熟せないセッツァーは、その代わりのように彼自身のもつ癖で感想を体現してくれる。何度か検証を重ねたところ、この仕草はどうやら『美味しい』という意思表示で間違いないようだ。

――猫か。

やはり、そう認識してしまうのは、致し方のないような気がしないでもない。


「そういえば、ミユ」

「ん?」


徐ろに、セッツァーが口を開く。
ミユはパタリと手を止める。寡黙というわけではないのに、彼の側から話題を振ることが、この一ヶ月で著しく減っていたから、少し珍しいな、と思った。


「裏口と寝室の扉、壊れたままで良いのか」

「……あ」


ハッとなって扉を見やる。
確か、ギリギリの体力でこの家を訪れ、蹴破ってから、ボロボロになった扉を壁に立てかけてそのままである。直すの、完全に忘れていた。
そもそも、あの木の板がどうやって壁にくっ付いていたのかを知らず、壊す前の状態を細かく思い出せないから、直そうにも直せないのだが。


「他にもあちこち壊れてるだろ、この家」

「う、うん」

「後でやっとくから、工具貸せ」

「直せるの!?」


ミユは素直に驚いた。
何せ、今まで扉が壊れるといった事象すら起きたことがなく、現状、壊れたままの状態にも段々と慣れてきて、『直す』という概念がそもそも消えていたところ。吹き抜けになっている裏口や寝室をセッツァーが気にしていたことにも吃驚であったが、それを直せる技術を持った人間が、こんなにも近くに居るなどとは、露ほども考えていなかった。
セッツァーの手先が器用なのは、嫌という程知っているのだけれど。


「お前……誰がブラックジャックを作ったと思ってるんだ?」

「……!」


呆れたように嘆息しつつ、コリコリと首を回す傷男の姿に、後光が射して見えた。










取り敢えずは、裏口の扉から直してしまおうと、毛破られた扉を取りに外へ出る。散策で何度か出ているから、間取り程度のものは分かっているが、目的あって訪れたのは初めての場所だった。
家そのものがそれなりに広いこともあってか、庭もそこそこ広く設計されている。ミユが耕している畑とやらは家の外を歩いた先にあるようだが、ここにも、庭全体の半分くらいのスペースを小規模なプランテーションにしている形跡があった。ガーデニング用のネームプレートに『Gysahl Greens』と書かれている。
ギサールの野菜を人間も食べられるらしいということを、先日セッツァーは知り得たばかりであった。裏庭で育てていることは、知らなかったが。
存外に広い裏庭である。
因みに、このレンガ造りの家は表の庭も広い。家そのものが、外から見れば普通の大きさに見えて、地下に降りてみればかなりのスペースを確保されており、物資が所狭しと詰め込まれていた。一軒家風の、ちょっとした要塞のようにも思える。
ワケありの隠れ家には、打って付けの設計。
作った人間が何を思って建てたのかは、セッツァーには知る由もないが、こうして助かっている命が有る以上、この場所を維持するように務めることが現状の口実になるだろう、と思っていた。
空を、飛べなくなってしまった以上は。
酒はある。カードもある。熟すべき雑用も探せば幾らでも見つかりそうで。
そういうことで暇を潰しながら、延びた余生の過ごし方を変えていけば良い、と。

ミユは、そんな姿勢のセッツァーを好ましく思わなかったようだ。

態々、破綻したギャンブルを続けたいと言い出したのは、つまりそういうことだろう。以前、セッツァーがミユを引き止める口実として用意したものを、どうしてか、今度はミユが用いてきた、という意味である。
あのときは、無意識だった。
今回のミユも同じだったのかもしれない。
勘が良いような人間には到底見えないし、実際、その通りであることも知っている。ただ、育った環境の所為で、自身のことにせよ、他人のことにせよ、負の感情というものに変に敏感な性質を持っていることは確かである。

――別に、死ぬことを考えたわけではなかったというのに。
あの娘は。


「……ん?」


足元に、何かがコツリとぶつかった。
扉を直すために訪れた裏庭だが、つい、いつもの癖で散歩紛いのことをしてしまっていたことに気付く。見下ろすと、ぶつかったものの正体が、それなりの大きさの石であったことに気が付いた。


「……」


不自然に、ふたつ。
並んでいる。


「……。墓、か……」


誰の。
考えるまでもない。
以前に聞いた、この家の前の主のものであろう。
即ち、ミユの家族の。


「これは、酷ぇな……」


設計もクソもない。ただ骨を埋めたと思しき土の上に、石を二つ置いただけである。あまつさえ、墓石紛いのそれに、意図的に傷を付けられたような跡まで残されている。
大方、墓碑銘を刻もうとして失敗したか。
そういう不自然な傷跡であった。

これも、そのうちに何とかせねばならないだろう。何しろ、嵐でも来たら風で飛んでいきそうな出来映えである。というか、寧ろ現に、たった今セッツァーの足が当たっただけで石の座標が僅かにズレた。どころか、知らずに踏み付けるところでさえあったのだから、自分の勘の鋭さを称えてやりたい。
途中で諦めたようなこの投げやりな形は、きっと、作った本人も、納得しているわけではない。
墓石もどきを元の位置へ戻して、正面に座り込む。
思うところが、幾つも有った。
残された人間というのは、こんなことでしか自分を慰められないのだ。
いつだったか、カイエンが言っていた。
死者は列車に乗って旅立つ、と。
自分が懸命に友の墓を立てていたとき、そんなことは疾うに理解していたはずだ。その形式が列車というのは知らなかったが、どんな方法であれ、死者が再び自分の前に現れることはなく、墓を立てたところで言葉が伝わるわけでもなく、全てが単なる自己満足で、無意味なことなのだ、と。
もし、死者と再会できる場所があるとするならば、それは悪夢の中に他ならない。
それでも、そんな理性を保ちながらも、気が触れたように木材を削り、杭を打ち、作り上げた。そして作り終えてしまってからも心の整理を付けられず、失ったことを思い出すのが嫌になって、折角作った墓を訪れる機会も終ぞ無くなって。
それでも、いつまで経っても、語り掛けることを止められないから、自分という人間は愚かなのだ。


「なあ、『リタ』とやら」


頭では、わかっている。


「ミユは、ずっと、アンタに手紙を書いていたよ」


本人は気付かれていないつもりだったのだろう。
そして、マッシュを例外として、実際に他のメンバーは気付いていなかった。ブラックジャックの船室で、夜、一人で書き物をしているミユの姿は、痛々しさを背負っていて。

セッツァーだけが、偶然に、机の上から放り転がり落ちて、屑籠に入ることなく、しわくちゃになってしまった紙屑を、拾い上げたのだった。
それを見たマッシュが、「前から、なんか書いているなーとは思ってた」と。獣ヶ原で出会ってから、何度かそういう場面を見ていて、本人の曰く日記をつけているのだと思っていたようだが。
他のものは既に破棄されてしまっていたようで、持っているのはたった一通だけ。以来、何となく、それはそのままコートのポケットに入れて、持ち歩いていた。
今も……ある。
ブラックジャックが壊れた時に、自分が海に落ちた所為で、一緒に濡れたそれは既にインクが滲んで、全く何も読み取ることができないただの紙になってしまっているが。

――リタへ。
簡素な書き出し。内容そのものも年齢相応とは表し難く、やはり子供の綴る文章のように簡素であった。

初めて、空を見たときのことが綴られていた。
透明だ、と呟いたときのことだ。
それの意味は、何も書かれては居なかったが。


「多分、アンタが生きていると思っていたんだろうよ。……いや」


『思っていたかった』か。
それとも、『信じていたかった』か。
どちらにせよ、丸めて屑籠に入れようとしていたのだから、望み薄だということは理解していたはずだ。気持ちは――痛いほど良くわかる。
セッツァーとミユには、似た所があった。
ミユが手紙を書き続けていたのと同じように、セッツァーもまた、幾日も繰り返し約束の丘を訪れたことがある。
それを無意味と知った日には、墓を立てた。
そうして死に切れず、ここに在る。
死者に語り掛ける悪癖が残っているのは、自分だけだと思いたい。


「……ミユは、元気だよ」


空元気だ。
心の在り処が地下に留まり続けている自分よりは、空元気の方が幾分マシだ。


「急に転がり込んで来たのに、挨拶もなしに、すまなかった。……暫く世話になる」


こんな独白をしたところで、相手はただの石と骨だ。脳が残っていないのだから、この言葉に意味は無い。時間の無駄だ。さっさと扉の修理に取り掛からねばならないというのに。自分は何をしているのか。
常々、思う。
くだらない。とても。


「……」


あまり、この場所は訪れないようにしよう。
墓石というものが目に入ると、嫌でも、思い出してしまうから。
そんなことを心に決めて、踵を返した。






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