朝から気が気じゃなかった。
授業には身が入らなかったし、話し掛けてくれるファンの子達は逆に煩わしかった。心配してくれてるのに、邪険に思ってしまう自分が嫌になって、また機嫌が悪くなった。
原因は頬にある絆創膏。というか、ニキビ。
この"私"が顔に絆創膏をつけているなんてと、今学園内ではちょっとした噂になっていることだろう。
「なまえ、怪我でもしたのか?」
「バダップ…貴方までそんなことを聞くの?」
「君が顔に傷を作るなど、よほどのことが無い限りあり得ないからな。」
彼の言う通り、いや、学園内の皆も知っての通り、私は顔に傷がつくこと、汚れることを極端に嫌っている。
戦闘訓練ではそれはちょっとした弱点に成りえるが、この私、亜風炉なまえがそんなヘマをするはずがない。
容姿端麗博学多才、才色兼備…何に関しても常に完璧であることが私のモットーだった。
醜い嫉妬や嫌悪の感情を羨望へ変えることこそ、私の求める"魅せる美"。
私を嫌う奴等が私に対して、感嘆の息を漏らす瞬間が堪らなかった。
愛と美の女神、アフロディーテの美しさと、戦場に咲くジャンヌ・ダルクの烈しさを持ちえる存在。
それが私の目指す物。
そして今越えるべき目標は目の前にいるこの男、神童、バダップ・スリードだった。
「貴方にちょっとでも近づくために、ほんの少し夜更かしした結果がこれよ。」
「深夜、教官の監視下であっても、生徒の武器等の使用は認められていないはずだが?」
「銃もナイフも使ってないわ、私はただ勉強してただけ。」
「では何故…」
「聞かないで!!」
私は会話に嫌気が差してその場を離れた。
バダップは訳が分からないといったふうに眉を潜め、首を傾げていた。
*
最悪。
「……ぅゎ。」
思わず声が漏れてしまった。
というのも、目の前にとある女子生徒の集団があったからだ。
別に彼女達が嫌なわけじゃなく、私が嫌っているのはその中心にいる男だった。
通ろうと思えば通れるんだけど、私の髪は目立つから絶対あいつにも見つかる。
というか、あいつの親衛隊の女の子に絶対気付かれる。かといって私がわざわざ引き返すのも嫌。
幸い、絆創膏を貼ってるのは奴の寄りかかっている壁の反対の頬だ。
私は軽く息を吐いて、その難所を通過しようとした。
しかし。
「あ、なまえ様!」
気付かれた。
彼女達が私に向ける眼差しは、同姓としての憧れに近い。
決しては手の届かないけれども、目指すべき空の上の女性。
なまえ様。
そう呼ばれるのも悪くはなかった。
しかし挨拶をしてくれるのは嬉しいけれど、今回ばかりは無視してほしかった。
「なまえ?」
ほらきた。
私は足速にその場を去ろうとしたのだが、奴に腕を捕まれてしまった。
「…何か用なのミストレ?」
「ソレ。頬っぺた、どうかしたの?」
そう尋ねるミストレーネは表情こそ綺麗でも、瞳は私を嘲っていた。
「私は別になんともないんだけど、貴方は随分と楽しそうね?」
「そう?気のせいじゃない。」
ミストレーネの手袋に包まれた左手が、私の頬を撫でる。
「……。」
こいつに触られると虫酸が走る。
その愛らしい容姿、性格…自分でもよく分からないけど、私はこいつを受け入れられない。
しかも、私はミストレーネに負けている。バダップ・スリードに次ぐ存在は私ではなくこいつ、ミストレーネ・カルス。
私はこいつの全てを認めなくない、だから"大嫌い"。
「私急いでるの、じゃあね?」
手を払って足を動かすと、奴はあのハイトーンの声で私の名前を呼んだ。
それを無視して歩き続けていたのだが、ミストレーネは私に向かって何かを投げた。
咄嗟に振り向いてそれを受け取る。
私の手のひらに収まったそれは、ニキビケアクリームだった。
私がミストレーネを睨めば、奴は勝ち誇ったような笑みをうかべ、自分の頬…私の絆創膏が貼られた部分を指でたたいていた。
私は奴が愉快な分、いや、その十倍不愉快だった。
*
「…消えてる。」
翌朝、私の頬のそれは綺麗さっぱり無くなっていた。
鏡台の上にあるクリームを見て、私はまた不愉快になった。
自分では縁の無い物として所持していなかったため、正直助かった。
けれど今考えれば、誰か適当な友人にでも借りればよかったと後悔している。
「…はぁ。」
いくら嫌いな人間だからといって、借りた物をそのままにしておくわけにはいかない。
他人に頼むのも気が引けるし、そもそも私は人にお願いするという行為自体あまり好いてはいない。
「仕方ないなあ。」
私は重い腰を上げた。
*
あまり他人には見られたくなかったので、ミストレーネが1人でいる時を狙って話し掛けた。
すると奴は待ってたと言わんばかりに満面の笑みを浮かべた。
「はいこれ、どうもありがとう。」
「ああ、どういたしまして。」
なるべく早く会話を切り上げてしまいたかった。
なのにミストレーネは私の髪に手を伸ばし、そのままくるくると指先で弄び始めた。
「なまえの髪は綺麗だね、見ていて飽きないよ。」
色素の薄い金色が、視界の端で踊る。
奴の触れた部分だけ、切り落としてしまおうかとも考えた。
「そう、それはどうも。」
素っ気なく返せば、ミストレーネは両手で私の頭を包み込んだ。
全身にぞわぞわとした感覚が走る、まるで虫に這われてるみたい。
「ねえ、どうしたら君はオレに堕ちてくれる?」
「ふふ、突然何…」
ふざけたことを言い出すの。
「他の人間同様、私は貴方に劣ってる。貴方は他に可愛い女の子達を沢山"持ってる"じゃない。」
整った顔で綺麗に笑みを作り、皮肉を込めて言ってやった。
それを分かっているからこそ、ミストレーネは私の顔を包む手に力を込めた。
「君がいいんだ、なまえが欲しい。」
「どうして?」
「さあ?どうしてだろうね。」
…答えになってないわよ。
「あ、そうだ、いいこと考えた。」
ミストレーネが瞳を輝かせた。
「ふーん、聞かせて?」
「なまえ、君に決闘を申し込む!」
「はぁ?」
いきなり何を言い出すんだこの男。
「何のために…負けた方が勝った方の言う事きくとか、そんな下らないことしたくないから。」
「まさか。ちょっとした手合わせをお願いしてるだけだよ。」
手合わせ、か。
…これはひょっとしたらチャンスなのかもしれない。
私は考えた。
あくまでも、私がミストレーネに負けているのは数字の上だけだ。
今後実技の授業でぶつかる機会もないだろうし、この手合わせで私がこいつを打ち負かすことが出来たら、私は事実上ミストレーネに対し敗北を与えることができる。
私とミストレーネの試合だもん、ギャラリーはきっと沢山来る。
「…いいよ、乗ってあげる。」
「やった。」
私が了承の答えを返すと、ミストレーネは早速教官の許可を貰って来るとはしゃいでいた。
「…馬鹿じゃないの。」
負けるつもりは無かった。
ミストレーネの考えることとか、奴が何故私にこんな話を持ちかけたとか。
どうやって奴の顔面に傷を作ろうかと胸を弾ませる私には、そんなこと考えてる暇は無かった。
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