昔…いや、小学校の卒業式か。 まだ3月も始まったばかりだというのに、校舎の外には人口的に開花時期を弄られた桜が咲いていた。
桜は人間の血を養分として色付くだなんて、そんなもの古い迷信だ。 例えば戦場に桜の苗木を植えたとしても、綺麗な桜は咲かない。大地にはこんなにも血が流れているのに、桜なんざあっけなく枯れちまう。
「そろそろ春だよな。」
簡易基地にある自室で、俺は昔を思い出して呟いた。
「暦の上であれば、とっくの昔に春ですよ参謀長。まあこれだけ長々と戦地にいれば、四季の感覚が薄れてしまうのも仕方ないですけどね。」
幼なじみ兼部下のなまえは、愛用の銃を布で磨きながらそう返答した。
「なまえ。」
「何です参謀長?」
「なんつーかさ、ちょっと名前呼んでくんね?」
「え、何ですか急に?」
「いーから。」
「…エスカ。」
「…ああ。ありがとよ。」
俺達は今上からのお達しで、とある独裁国家の紛争地帯にいる。 酷い王政に民衆が反旗を翻したはいいものの、その国の莫大な経済的資産を目的に同盟を組んだ国々が、王国側に兵士と武器を送ったのだ。国民は自国の平和を取り戻すために戦う道を選び、俺達の国は彼ら…もとい国際平和に賛同する国のひとつとして武力介入を決断し、この戦いにいくつかの小隊を派遣した。
しかし、捕えられた国民を人質にとられたせいもあり、戦いは予想より長引くこととなった。
「エスカバ、どうかしたの?」
なまえは銃を置き、俺の顔を見た。
エスカバ。
なまえにそう呼ばれたのは、何年かぶりだ。
「なんでもねぇ。…情報によれば、人質は子供を中心に餓死者が出始めてるらしい。いつまでも期を待ってる訳にもいかねえし、次でケリをつける。外部や他の奴等にもそう言っとけ。」
「了解。」
なまえはそう答えると、右耳のインカムから連絡を回した。
「決行は予定通りに?」
「ああ。作戦No.B-3、朝が来る前に終わらせる。」
「今までこんなにてこずってたのに、半日もかけないなんて…自信あるの?」
「無きゃ実行に移さない。これ以上は人質も兵も無駄な犠牲を出すだけだ。」
椅子の背もたれに寄りかかり、前髪を掻き上げる。
「大分疲れてるねエスカバ。」
「当たり前だろ。…なまえ、ちょっとこっち来い。」
「……っ!?」
近づいて来たなまえの手を引いて抱き寄せた。 鍛えられてはいるものの、確かな女の体の感触だった。
「ちょっと、いきなり何!?」
「っ、耳元で喋んなよ。」
「だって、」
「こーも疲れてくると、女っつーのが恋しくなるんだよ。」
「ろ、ろくに経験無いくせにっ!」
「うるせぇ。」
そう言って子供のように髪を撫でれば、なまえは大人しくなった。
「…ねえエスカバ。」
「ん。」
「帰ったらさ、お花見でも行かない?私もう、長い事桜を見てないの。」
「ああ、俺も。」
それは、家族でも恋人でもない俺達の、小さくとも大切な"約束"だった。
俺が腕を解くと、なまえは俺から体を離した。
「本当は俺も前線に出たいんだけどな。」
「駄目だよ。 エスカバ…いいえ、"貴方"はこちらの"頭脳"なんですから。戦場にて闘うことは、我々手足の役目。」
「……23時までに出撃準備完了、24時には作戦決行。」
「はい。」
*
戦争においても、随分と便利な時代になった。戦場の様子は幾つかの浮遊装置によって簡易基地の空間ディスプレイへと送られる。戦況が分かれば、より明確かつ確実な指示を出すことが出来る。だが、それはあちらも同じこと。勝利の決定打には事欠ける。必要なのは、優れた指揮官とそれに従う優秀な兵士。
『F地点突破、しかし人質の完全解放は、』
「チッ、予想以上に陣形の乱れが激しいな。だが軍にこれ以上の被害は出せねえ、被害は最小限に留める。」
インカム越しに聞こえるなまえの声は、大分焦っているようだった。戦後のこの国の再建において、国民は必要不可欠だ。
だが、こっちだってそれなりの人材を駆り出してる。ここで失うには惜しい奴等だっている。
「バメル、」
隊長が一つの決断を下す。
今夜この一紛争に終止符を打つのは確定事項だ。
「はい。なまえ、六割だ。人質の四割は捨てて構わない。」
『そんな!?』
「二度も言わせんな、俺の指示に従え。」
『……。』
救える可能性のある命を切り捨てることを、なまえは躊躇った。
その時、敵の攻撃によって戦地の浮遊装置が幾つか破壊されたらしく、それに伴って空間ディスプレイが閉じてしまった。
「なまえ!?」
『問題ありません、作戦を続行します。』
近辺の浮遊装置が破壊されたというのに、なまえはやけに落ち着いていた。
「勝手な行動はとるなよ?お前だって今後の軍にとって必要な存在だ。」
『勿論です。』
凛としたなまえの声が、妙に耳に響いた。
「……なまえ?」
周りにいる人間には聞こえない声で、なまえを呼んだ。
『何でしょう。』
「なまえ。お前さ、浮遊装置撃ってねーだろうな?」
『まさか。』
そんなことするわけない? 嘘だろ、何やってんだよなまえ。
「……なまえ、駄目だ、やめろ。」
『ミッションに支障をきたす行動はとりません。部下達の命も惜しいですから。』
「違う、そうじゃねーよ…。」
『…私は、戦火の犠牲となる弱者を救うために軍人となりました。……ねえエスカバ、私、貴方の事嫌いだわ。切り捨てていい命なんて無いのよ。』
「なまえっ!!」
『大丈夫、私は死なないし、約束だって必ず守るよ。』
なまえの通信はそこで切られた。
*
それから暫くして、また別の兵士から通信が入った。なまえの腹心の部下である男の声だった。 勝敗は当然こっちの勝ち。敵の頭が自害するのを、ディスプレイ上で確認した。
けど、俺は素直に喜べなかった。
『隊長、城内制圧完了しました。確認出来る範囲では、我が軍の死傷者も最小限に留まりました。人質は全員救出、しかし、ミョウジ下士官の姿が確認出来ず…、』
「うむ、…惜しい人材を失ったな。まずは負傷者の手当てからだ、亡くなった兵士の死体を回収するのはその後だ。」
…兵士の死体は、本国の土地に埋葬される。
エンバーミングなどの作業はしないが、傷だらけの遺体を遺族に渡すわけにはいかない。肉体を焼いて、遺骨だけを持ち帰る。
なまえの血は、あの美しい桜の一部となることもなく、ワケのわからない異国の土の上で灰になって消えることになる。
空が薄らと、"朝"の気配を感じさせた。
切り捨てていい命なんて無いとか言っておきながら、何自分からバッサリ捨ててんだよ。
大丈夫? 死なない? 約束だって必ず守る?
「……。」
静かさを取り戻した空には、まだ黒い煙がちらついていた。
「なまえ、お前分かってて言っただろ?」
今日が何月何日で、 何の日なのか。
「俺だってな、お前の事大嫌いだよ。」
一緒に桜を見たガキの頃から、
ずっと。
桜月が死んだ夜
桜月…陰暦の3月の異称。
|