「皆、そろそろ終わり!お昼の準備出来たから、ちゃんとクールダウンして食堂に集合ね!!」
自らの両手をメガホン代わりに、彼女はグラウンドにいる俺達に向かってそう叫んだ。
声の主へと振り返れば、円堂によく似た明るい笑顔があった。
「お疲れ守!はいタオル。」
「おう!ありがとななまえ!」
「どういたしまして。はい、豪炎寺君も!」
「ありがとうございます。」
「もー敬語じゃなくていいって、最近いつも言ってるでしょ?」
「いえ、その、癖が付いてしまって。」
「…むぅ、なんか疎外感感じる。」
「いや、そんなつもりはっ、」
「はは、分かってる。」
なまえさんは、円堂の二つ上の姉だ。
俺が彼女と初めて会ったのはフットボールフロンティア本戦前、稲妻町でのことだった。
俺は学校から帰る途中に、なまえさんとすれ違った。
彼女は高校の制服を着ていたのだが、その顔立ちや纏う雰囲気が、あまりに円堂と似ていたものだから、俺は、「円堂?」と、思わず口に出してしまった。
すると、声をかけたつもりは無かった彼女が振り返ったのだ。
俺は一瞬驚いたが、すぐに以前円堂が話していた"姉"の存在を思い出した。あっちもなにかを閃いた様子で、「もしかして、"ゴウエンジ君"?」と、俺のことを聞いた。
「そうですけど、あの」
「わぁ、やっぱり!?うんうん、守から聞いてるよ?豪炎寺君、雷門に来てくれて本当にありがとう!!」
「いえ、大したことじゃ…。」
「あ、自己紹介がまだだね!私、円堂なまえ!!…ん?でもさっき私を見て円堂って気付いてたね?」
「すいません、その、あまりにも円堂と似ていたもので…。」
髪も短いから尚更だ。
「んー、よく言われるんだよね。自分ではそんな似てると思わないんだけどなぁ…。それよりさ豪炎寺君、今時間ある?」
「はい、大丈夫ですけど…」
「じゃあさじゃあさ、サッカーやんない!?」
「はい?」
その言葉に、やっぱりこの人は円堂の姉さんなんだということを実感した。
「豪炎寺君のシュート見せてよ!!女の子だからって手加減無しね!?これでも君より二つも年上なんだから!!」
制服のスカートを翻して喜ぶ彼女は、本当に嬉しそうだった。
しかし、俺が彼女が制服であるということを指摘すると、彼女は悔しそうに唸り、後日また会おうと約束をした。
「なまえー豪炎寺ー!!行かないのかー!?」
気が付けば、他の皆は既に宿舎へと向かっていた。
「今行くー!!。豪炎寺君、一緒に食堂行こっか。」
「……はい。」
俺は少なからず、彼女に好意を抱いていた。
*
なまえさんは自らイナズマジャパンのマネージャーに志願して、俺達と一緒にライオコット島へとやって来ている。高校はいいのかと問えば、そんなもの心配いらないと自信満々に返された。どうやら成績や学力は弟とは違うらしい。
朝、俺はいつもより早く目が覚めた。
窓の外を見ればまだ太陽は顔を出してはおらず、空は薄らと白んでいた。二度寝をする気は起きなかったので、軽くランニングでもしようかとグラウンドに足を運んだ。
「?」
グラウンドの中央に、一つの人影が見えた。誰かが一人で練習でもしているのかと思ったが、どうも違うようだった。
「なまえさん…?」
彼女の足下には、サッカーボールが3つほど転がっていたが、どれも静止している。
ボール同様、なまえさんもただその場に立っているだけだった。こちら側に背を向けているため、なまえさんはまだ俺の存在に気付いていない。
朝は苦手だと言っていたのに、珍しいな…。
「なまえさん、」
「ぇ!?ぁ、豪炎寺君…。」
いきなり声をかけられて驚いているのか、彼女はどうにも狼狽えていた。
「おはようございます、今日は随分と早いんですね?」
「あは、はは…まあね。豪炎寺君こそ早起きで、自主トレ?」
「はい、目が覚めてしまって。」
「そっか……偉いね、豪炎寺君。」
なまえさんは、そう言って微笑んだ。
けどその笑顔は、どこか苦しそうで。
俺はなまえさんのこんな表情を見たことが無かったから、正直驚いた。
いつも、周りの空気までも変えてしまう、明るい笑顔を浮かべている人だと思っていたから。
「なまえさん、どこか悪いんですか?」
「え、どうして?」
「元気、ないように見えましたから。」
「うそ…ああ!ちょっと眠くなっちゃったからだなきっと!私二度寝してくるよ、頑張ってね豪炎寺君!!」
何かを隠していることは明らかで、彼女は嘘をつくことが苦手なんだなと思った。
しかしそれを打ち明けてくれないことが、少し残念だった。
なまえさんはボールを拾おうと手を伸ばしたが、俺はその腕を掴んで制した。
「疲れているなら休んで下さい、俺がやっておきますから。」
顔を上げたなまえさんの目は、何故か潤んでいて。
「ううん、私にやらせて?」
弱々しく笑うなまえさんを見て、俺はただ頷くことしか出来なかった。
ただ、なまえさんの元気が無いように見えたのはその時だけで、朝食の時間にはもうすっかりいつもの調子に戻っていた。
だが、俺はなまえさんのあの笑顔に対する不安と心配が、どうにも拭いきれないでいた。
「なまえさん、おかわりっス〜!」
「オッケー、はい壁山君!」
炊飯器から味付け御飯を盛るなまえさんを、円堂はじっと見つめていた。
「円堂、なまえさんがどうかしたのか?」
「いや、何かさ…なまえ、ちょっと前までは料理なんか全っ然出来なかったのになって。」
「…そうなのか?」
「うん、なんかFFIが始まるちょっと前位から急に始めてさぁ。」
円堂が眉を潜める。すると俺の隣に座っていた鬼道が口を開いた。
「好きな男でも出来たんじゃないのか?」
「ぶッ!?」
「ゴホッ!」
「大丈夫か二人共…?」
俺はお茶を軽く噴いただけだったが、円堂は完全にむせていた。
「待て鬼道、だったら何でなまえさんはこうしてライオコット島にいるんだ!」
いくら弟が代表選手だからといって、普通は好いている男の近くにいたいと思うはずだ。
「まさか…」
「そのまさかかもしれないな。」
「ま、まさかってなんだよ豪炎寺、鬼道!」
周りに聞こえない程度の声で話す俺達。
鬼道はゆっくりと口を開いた。
「イナズマジャパンメンバーの中に、なまえさんが好意を寄せている男がいるということだ。」
「えぇー!?」
円堂が大声で驚いたせいで、食堂にいる皆がこちらを見た。
「…どうかしたの守?」
「なまえ、あの、いや、何でもない何でもない!」
隣で鬼道が小さなため息をついた。
…本当にそれだけなのだろうか。
*
その日は午後から練習が無かった。俺達はそんな監督の配慮を有り難く受け取り、それぞれ他国のエリアの観光などをして過ごすことにした。
だが俺は、少々疲れが貯まっていた。
円堂達とは後でイタリアエリアで落ち合う約束をし、俺は少し宿舎で休むことにした。
カタン。
俺が宿舎の廊下を歩いていると、円堂の部屋の中から何か物音がした。
おかしい、今はこの部屋には誰もいないはずだ。
俺は気になって、部屋のドアに手をかけた。
「え、」
部屋の中に在ったのは、"1"と書かれた背中。
中央に立つのは、見慣れたオレンジのユニフォーム。
そして短い栗色の髪から、俺はそれを一瞬円堂本人かと思ったが、すぐに彼女だと分かった。
「なまえ、さん?」
俺が名前を呼ぶと、なまえさんはビクッと肩を揺らした。
「あは、は……豪、炎寺、君?」
なまえさんは円堂のユニフォームを着たまま、気まずそうに振り向いた。
「ばれちゃったなら仕方ないなぁ。守には内緒だよ?」
「それは、構いませんけど…どうして、っ!?」
そこまで言いかけて、俺は急に言葉を止めた。
なまえさんが、急に服を脱ぎだしたからだ。
「な、」
「はは、何照れてるの豪炎寺君。ちゃんと下にTシャツ着てるから大丈夫。」
なまえさんはユニフォームを畳んで元の場所に戻すと、またあの寂しそうな顔をした。
「いいなあ、豪炎寺君は。羨ましい。」
「え、?」
突然の言葉に、俺は戸惑った。
「これでもさ、小学校の時は私もフォワードやってたんだよね。」
「なまえさんが、ですか?」
「やっぱり似合わない?」
「いえ、そんな…」
「でもね、中学に上がってから、やっぱり男子との差を実感するようになった。フットボールフロンティアに出れるのは、男の子だけだし。というか、女子サッカー部自体無かったしさ!」
無理に作られた彼女の笑顔を見るのは、胸が締め付けられた。
「だから未練がましいけどせめて、出場できなくてもチームの一員としてここに来たかった。」
「……。」
「出来なかった料理も頑張って、マネージャーとしての仕事も必死に覚えて。私、これでも結構頑張ったんだから。」
俺がなまえさんに近づくと、彼女は俺の目を真っ直ぐに見た。
「私、女の子に生まれてきちゃったこと、凄く後悔してる。神様を呪っちゃうくらいに、悔しくて仕方ないんだ。」
「っ、なまえさん!」
自分でも訳が分からないまま、俺は彼女を抱き締めていた。
「俺は、なまえさんが好きです。ずっとなまえさんが頑張る姿を見てきた、貴女の声に、何度も励まされた!」
「豪炎寺、君…。」
「俺は、貴女が女性で良かったと思います。」
「……。」
「貴女が、好きなんです。」
「…そっか、嬉しい。」
けれどいくら彼女を抱く腕に力を込めても、なまえさんが俺の背に手を回すことは無かった。
数字の無い背中
君の背中に在るのは、
私の残酷な夢。
だからどうしても触れない。
だって届かないんだもの。
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