*
「おい、何やってんだよ。」
「本読んでる。それが何か?」
「見りゃ分かる。そーゆーこと言ってんじゃねえよ。」
ナマエはベルベットのワンピースを着ていながらも、床に寝転がって本を読んでいた。
白いタイツと紅い靴に飾られた足がぱたぱたと揺れる。こいつのこの姿にはお嬢様の欠片も見えない。
「エスカバー、マッサージしてー。」
「じゃあ服払いてソファーの上にでも上がれ。」
「……。」
ナマエは渋々といったふうに読んでいた本をたたみ、立ち上がって俺を見た。
「…何見てんのよ。」
「こっちの台詞だ!」
まさかこいつ。
「服、払いて頂戴。」
やっぱりか。
グダグダ言っても無駄だと分かっているので、俺は小さくため息をついてナマエのスカートを軽くはたいた。
「お前、俺がいない時はどーしてたんだよ?」
俺がそう聞くと、ナマエは瞳を揺るがせた。
しかしそれも一瞬のことで、ナマエは質問に平然と答えた。
「……猫。」
「?」
「猫にやらせてたわ。」
猫っつっても、おそらくただの猫じゃねえんだろうな。
「俺はそいつの代わりってことかよ?」
「まあね。」
ナマエはソファーに横になり、再び本を開いた。
ナマエの背中に手を伸ばし、掌に力を込める。
「あ、エスカバ、貴方何色が好き?」
「何でだよ?」
「新しい首輪。」
「いらねーよっ、!!」
「痛ったぁ!!」
変に力を込めてやれば、ナマエは高い声を出してソファーを叩いた。
「っつ〜……やっぱり貴方よりあの子の方が余程お利口さんだったわ!血はくれなかったけど彼の方がずっと綺麗な顔してたし、肌も白かった!!」
「悪かったな残念な見た目してて!」
「ぎゃぁ!!」
ナマエの背中を潰すかの如く膝に力を込めれば、今度は蛙の様な声を出した。
それでも謝らないのはやはり吸血鬼のプライドなのか、ナマエは俺の顔目がけて本を投げた。
分厚いその本は見事俺の額にクリーンヒットし、俺はデカいダメージを負って床に倒れた。
「調子乗るなエスバカ!!」
「ぐぉっ!?」
腹に硬い靴が乗ったのが分かった。
足が退けられ楽になったかと思うと、ナマエは俺に馬乗りになった。
「な、まさかお前っ!!」
「ふん、珈琲牛乳の分際で私を足蹴にして!」
「痛っだぁ!!?」
ナマエの牙が俺の首に突き刺さる。しかも昨日と違って力加減に遠慮が無いから尚更痛え。腹が減ってんのかどうかは知らねえが中々離れねぇし。
つーかさっき昼飯食っただろ。
「あ、そうだエスカバ。」
「っ、ぅ、…何だよ急に。」
急に耳元で喋るもんだから、思わず肩が震えた。
ナマエはひょいと顔を上げると、至近距離で俺の顔を見た。
「大事なことだからよく聞いてね?」
俺の傷口は放置かよ。
血止まらないんですけど?
「言い忘れてたんだけど、この邸の主って私じゃないの。」
「ぇ、」
「私のお兄様のお邸なの。明日、"議会"から帰って来る。部屋から好きに出て構わないとは言ったけど、そういえばお兄様に貴方を飼う許可貰ってないんだった。」
「…それってまずいんじゃねーの?」
「まあね。だから気をつけて。」
気をつけてって、それだけかよ。
「そのお兄様とやらに駄目だっつわれたらどうなるんだよ。」
「その場合は殺すわ。当然!」
即答かよ。
こいつ血も涙も無えな。
「例え不完全でも、貴方を"外"に放すわけにはいかないわ。それじゃあ、私がお兄様達の留守を狙ってまであの施設を潰した意味が無い。」
凛とした紅い目に射抜かれ、俺は動けなかった。
しかしナマエはすぐにいつもの雰囲気を取り戻し、俺に笑いかけた。
「心配しなくても大丈夫よエスカバ。絶対に許して貰うから。」
和かな声でそう言うと、ナマエは俺の頭を撫でた。
まだ共に過ごした時間はそれほど経っていないし、この邸の暮らしにだって慣れていないというのに、俺の居場所はここしか無いと思った。
俺を売った両親のことはもう親とは思えなかったし、あの暗い部屋から出してくれたのも、この女だ。
ナマエの身体に、優しさに触れる度。冷めきっていた心が、徐々に熱を取り戻していくのが分かった。
「あぁ、零れてるじゃないの。」
そう言って再び俺に身体を寄せ、血を掬うために舌を動かすナマエの背に、俺は腕を回した。
「ン……説得頼んだぜ、お嬢様?」
「ご主人様、でしょ?」
「調子乗んなっつの。」
―――――――――――