やがて指揮者が再び腕を上げ、楽器から優雅な音楽が奏でられる。
それまでとは異なったその場の雰囲気の理由が分かるのに、時間はかからなかった。
「あら、貴方ナマエ様のお連れの方よね?」
俺に声をかけてきたのは、ざっくりと背中の空いたドレスの若い女だった。明るい髪色が、シャンデリアの放つ光を反射している。
周り誰かを従えている様子も無く、どうやら彼女も一人暇を持て余しているようだった。
たどたどしく返事を返せば、彼女はその整った顔で美しく笑ってみせた。
「綺麗な方よね…ミストレ様ともよくお似合いだわ。」
彼女は境界の中にいる二人を見て言った。ナマエとの日常のせいか、それともホムンクルスとしての感覚なのか。俺はなんとなく、女が吸血鬼であることが分かった。
よくお似合い、か。
だよな。俺なんかよりずっと、アイツの方がナマエと釣り合ってる。
「可哀想ね、貴方。」
「は?」
ナマエ達以外の吸血鬼相手に雑な態度は駄目だということは重々承知の上だ。
だが俺に向けられた女の視線は、明らかにこの場にそぐわないものだった。
哀れみと嘲笑、それから…。
「ナマエ様はお若いし、気紛れな方だから。猫を亡くしてしまってご傷心なんて言われてるけど。もしかしたら、飽きたから殺しちゃった、なんてね?」
じわじわと刺激するように、女の長い指が俺の首をなぞる。流石吸血鬼というべきか、慣れてるなと思った。
「…何が言いてえんだよ。」
「あら、吸血鬼相手に随分と反抗的なのね。躾がなってないこと。」
小さく笑いながらまとわりついてきた身体からは、刺激の強い薔薇の香りがした。
「婚約を契ったそばから貴方を拾うなんて、やっぱりあの子も吸血鬼ってことね。きっと、都合のいいオヤツ位にしか見られてないわよ貴方?」
蠱惑的なクスクスとした笑い声が耳元に響く。
婚約、か。相手が誰かなんざ、聞かなくても大体予想つくな。
そう冷静に考えていながら、やはり悲しいものは悲しかった。
「ねえ、悪いようにわしないから…私のところにおいで?」
「それはまた、素敵なお誘いで。」
「フフ…でしょう?」
女の言葉に、邸でナマエに言われた忠告を思い出す。
確かにこいつに付いていけば、ナマエに"捨てられる"ことは無くなる。ナマエが俺に"飽きた"と告げることもないだろう。もしかしたら、自らの所有物を奪われたとして固執してくれるかもしれない。
様々な事柄が、俺の頭の中に浮かんでは消えた。だが、俺の心は揺るぎはしなかった。
「悪ぃけど、俺は死ぬまであいつから離れる気はねぇよ。」
女の腕から逃れてそう言えば、相手は表情を一変させて俺を睨んだ。
「…後悔するわよ?」
「しねぇよ。」
「ふん、精々遊ばれて捨てられちゃいなさいよ。」
笑えない捨て台詞だと思った。
捨てられるくらいなら、そのままナマエに喰い殺される方がよっぽどマシだなと。そう思った俺は一般的思考を見失ってしまったのだろうか。
「偉いじゃないの、知らない人には付いて行かない。常識よね?」
「ナマエ…。」
「ただいまエスカバ。」
俺がナマエの顔を見れば、ナマエは少し不機嫌そうに返事を返した。
「勿体ないことしたねエスカバ?あーあ残念。」
「ミストレ、お前は俺が邪魔なだけだろうが。」
「まったく、冗談きついわミストレ、やめて。」
「ごめんごめん。」
ミストレも本当に冗談のつもりだったのだろうが、奴の言葉により俺の心境は更に暗くなった。
今日この場所に、来るべきじゃなかったとは思わない。
穢れた血のホムンクルスである俺を、従者として同族に見せること。つまり、ナマエが俺を認めてくれたということ。それが、嬉しかった。
…目を逸らしていただけだ。
ナマエはあの施設にいた奴等とは違う、俺を"俺"として見てくれる、他の吸血鬼とは違う…俺を……。
「エスカバ?」
「!?」
ナマエの俺を呼ぶ声に、視覚が光を再認識して現実に引き戻された。
「エスカバ、顔色が悪い。」
訝しげに眉をひそめたナマエが、俺の顔を覗き込んでいた。
「あの女の毒気にあてられた?」
「いや…なんでもねえよ。」
「そう……なんか疲れちゃった、部屋に戻ろっか。」
「え、おい!!」
ナマエは強引に俺の手を引くと、扉の脇に控えていた召使の開けた重いそれを通って廊下に出た。
疲れただなんて嘘、俺に気を使ったんだ…。
そう考えるのは、自意識過剰なのか。
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