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「…ねえ風介。」



リュウジとヒロトが出て行った後、和葉は少し俯いて口を開いた。



「どうしてリュウジ君、寂しそうな顔してたんだろう…。」

「ぇ、」



和葉の言葉に、正直私は驚いた。

だってリュウジは、そんな表情は一度だって見せなかった。和葉を不安にさせまいと、始終笑顔を取り繕っていたのに。

それを……。



「和葉、何故そう思うんだい?」

「…分かんない。」



和葉自身、自分がそのような疑問を抱いたことに対して困惑しているようだった。
支えている体に腕を回して軽く抱き締めてやれば、和葉は力ない手で私の服を握った。






*






"エイリア"の壊滅後、和葉は暫くの間を覚まさなかった。

病院のベッドの上に横たわり、体のほとんどを包帯に包んだその姿は、私達を不安にさせた。

胸まであった髪は、頭部の手術のために短くなっていた。


和葉が目を覚ました時、私は彼女の隣にいた。

私が少しうとうととして、目蓋を閉じかけた時だった。
和葉はその潤む黒瞳をゆっくりと開き、包帯の巻かれた細い指で、私の頬に触れた。



「風、介…?」



吐息のような小さな声に、眠りかけていた脳が一気に覚めた。



「和葉…私が、分かる……?」



「何言ってるの?当たり前じゃない。」



弱々しくもしっかりとした肯定の言葉に、私は心底安心した。



「…風介、泣いてる?」

「泣いてない、もしかして目が悪いの?」

「あはは、可愛いなあ風介は。」

「……。」



可愛いだなんて、男が言われてもあまり嬉しくはない。
けれどこの時ばかりは、嬉しくて仕方がなかった。

和葉は頭に受けた衝撃のせいで、脳に障害が残る可能性があると診断されていたからだ。



「目が覚めたのなら、医者に知らせないと。ああ、瞳子姉さんにも連絡しないとね。」

「うん…。」



傷の消えた頬を撫でれば、和葉は小さく笑った。
ナースコールを押してから、携帯を使うために席を立つ。



「ヒロト達にもメールしてくる、リュウジも…きっと喜ぶだろうね。」



てっきり、嬉しそうに口元を綻ばせるものだと思っていた。だから和葉がきょとんとした表情を浮かべ、首を傾げた理由が分からなかった。
けれど、彼女は濁りの無い素直な瞳のまま、自らの疑問を口にしたのだ。



「ねえ風介。りゅうじ、ってだぁれ?」

「え……。」



一瞬、和葉が何を言っているのか分からなかった。



「和葉、君もしかして…」



まさか。



「あ、もしかしてお日さま園に新しく来た子?」

「いや、……和葉は、リュウジを"知らない"の?」



覚えていない、ではなく、あえて知らないのかと聞いた。
すると和葉はまたにこりとした表情を浮かべた。



「知らないよ。だから会うのが楽しみだな。ねえ風介、そのりゅうじ君は、お見舞いに来てくれたりするかなあ?」

「うん…来てくれるよ。」

「そっか!…ふふ、早く会ってみたいなあ。仲良くできるといいんだけど。」

「できるよ、和葉なら…。」



体の中を、血液がどくどくと嫌な音をたてて巡っていく。
自分自身を落ち着かせるために、和葉に触れた。



「風介、どうしたの?手、いつもより冷たい。」

「…何でもない、気にするな。」



私を覚えているならそれでいい?

そんなの違う、それじゃあ駄目なんだ。



和葉、君の本当の幸せは……。



「ひっ、いやあぁ!!」

「和葉!?」



それまで穏やかな表情を浮かべていた和葉が、急に何かに怯えたように悲鳴を上げた。
ナースコールによって病室を訪れた看護師が和葉に駆け寄る。



「和葉ちゃん!?大丈夫よ、どうしたの?」



看護師が彼女を落ち着かせようと優しく背中をさする。
私はその様子を、ベッドから一歩退いた位置から見守っていた。


やがて和葉はゆっくりと口を開いた。



「かが、み、が……。」

「鏡?」



和葉の指差す先には、病室の壁に取り付けられた長方形の鏡があった。



「鏡が、怖いの…。」



当初、彼女が怖れているのは"鏡"自体だと思っていたのだが、それは大きな間違いだった。

和葉が"見たくなかった"のは、鏡に映った自分の顔だった。
自身の顔を見ることを頑なに拒むその姿は、まるで"双子"を否定しているかのように思えた。



「……。」



私はその場を看護師に任せ、病室を後にした。

携帯の使える場所まで移動し、電話帳を開く。瞳子姉さんよりも先に、私はリュウジに電話をかけた。

和葉が目覚めたことを伝えると、奴は予想通り、大いに喜んだ。



「けど……。」



言葉が、続かない。

期待と喜びに溢れたまま再会するより、事前に伝えておいた方がいいのに。

まるで喉を茨で縛られているかのような感覚だった。



「和葉は、」



お前を覚えてないんだ。



「……。」



もし、私がリュウジの立場だったら…。



きっと、独り声を荒げて泣いたことだろう。






暫くして病院にやって来たのは、瞳子姉さんとリュウジの二人。


瞳子姉さんが医者と話している間、私はリュウジと話していた。



「現状、和葉はお前のことをお日さま園の新入りだと思っている。早く会ってみたいと、笑っていたよ。」

「そう、なんだ…。」



複雑そうな顔をして、リュウジは頬をかいた。



「会っても、平気なのか?」

「平気だよ。」



壁に背を預け、病院特有の白い天井を仰ぐ。

見舞いを重ねるうち、薬品の匂いにももう慣れた。



「…ヒロトに聞いた。」

「何をだ。」

「俺がエイリアを追放された後のこと。」



リュウジは俯き、伸ばした足の靴先を見て呟いた。



「和葉は、ずっと俺を待っててくれたんだ。だから、今度は俺が待つ番なんだよ…。」

「和葉がお前を思い出す保証はないんだぞ?」

「いいんだ。仮に他人になったとしても、そこからまた仲良くなればいいだけだし。」



隣を見やれば、リュウジは太股の上に乗せた拳を震わせていた。


「強がるな、逆に惨めだ。」

「……。」



瞳子姉さんが病室に行くと言ったので、私も椅子から立ち上がる。



「和葉が…」



私の数歩後ろを歩くリュウジが、急に足を止めた。



「和葉が、言ったんだ。昔、一緒に絵本を読んでて、それで…」



漆黒。

けれども確かな光を持った双眸が私を見据える。



「結局最後はハッピーエンドなんだから、途中で放り投げちゃ駄目だ、って。」

「……。」



ふん、下らないね。

その一言が、言えなかった。








願い、抱くだけならいくらでも。

思うだけなら自由だし。




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