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*
「風介やめろっ!!お前が行ってどうこうなるってモンじゃねえだろうが!!」
「放せ晴矢っ、私はっ…」
分かってる。
今更、私一人の力では何も出来ないなんてこと。
分かってる、本当に。
けど、どうしても諦めきれないんだ。
爆発による風が、私の髪を、樹海の木々を揺らした。
無駄だと分かっていながらも藻掻くこの様を、自分でも馬鹿な行為だと分かっていた。
「風介様っ!!」
頬に鋭い衝撃が走った。
一瞬、何が起こったのか分からなかった。私を羽交い締めにしていた晴矢の腕が解ける。しかし、私はその場から動くことが出来なかった。
「……クララ?」
「事態を把握しているのなら、和葉の行動の意味も、ちゃんと理解して下さい!!一体何のために、和葉があそこに残ったのかお分かりでしょう!!」
「……。」
普段、他人に弱みなど見せるはずなどないあのクララが、泣いていた。
「風介、和葉は貴方があの場に戻ることを、望んでなんかない。」
「修児…。」
膝が崩れた。
じゃあ、私は一体どうすればいい?生きているのなら、助けてやりたいんだ。君が望んでくれるのなら、すぐにでも手を伸ばすのに。
「どうして……っ。」
いつもそうだった。
和葉、どうして君は、最後まで一人で抱え込もうとする。
「何故、私を頼ってはくれなかったんだっ…!!」
何も出来ない自分が、酷く愚かしくて。自身の無力さを実感させるこの現実が、歯痒くて仕方なかった。
「あ、君っ!!」
警察の声がした。
私にかけられた言葉ではない。
振り向くと、1人の少年が駆け出していた。
「待て、何処へ行く!?」
その背に向かって私が問えば、奴は一つに束ねた黄緑の髪を揺らし、一瞬だけ足を止めた。
それから私を見て、小さく口を吊り上げて見せた。
「どこって、そんなの決まってるだろ!」
再び駆け出し、道無き樹海へと迷いなく飛び込んだその背中を、私はどうしてか、追うことが出来なかった。
あいつが向かう先など、一つしか無いというのに。
*
「……。」
重い瞼を開けると、新緑の木々が私の目に飛び込んだ。
私はどうやら、富士の樹海の一画に倒れているらしい。私を助けてくれた蒼のボールは、最早使い物にならない程にその姿を崩していた。
「…ありがとう。」
私はうつ伏せのまま動けなかった。
やわらかな光が降り注ぐこの空間は、一瞬天国と見紛う程の美しさで、地面の雑草に紛れて咲く小さな白い花々は、儚いながらも自身の存在と生命を誇示していた。
けれどその白は、私の身体から流れる血で赤く染まっていった。
背中に負った酷い火傷のせいで、起き上がることさえ出来ない。
小さいながらも瓦礫という確かな衝撃を受けた頭にも傷を負い、その痛みは脳の内部にまで響いている。
身体中が痛いし、重い。まるで鉛のよう。
…あの崩壊から逃れて来たはいいが、この広い森を抜けるのは無理だと、嫌でも分かった。
早く止血しなければ、命が危ない。仮に生きていたとして、障害を背負う可能性だってある。
「……ごめん、なさぃ…。」
けれど、どうしても動けない。
ぽたり。
血とは違う、透明な雫石が落ちた。
指先の感覚も薄れ、次第に視界も霞んでいく。
最後まで諦めずに生を望んだ。
また皆で笑い合える未来を願った。
こんなところで、私は終わってしまうのだろうか。
何一つ、希望を叶えられてないのに。
約束だって、果たせてない。
……なのに着実に近付いて来る、"死"の気配。
何故、運命はこれほどまでに残酷なんだろう。
どうして、瞼はこんなにも重たいのだろう。
「……ねぇ、」
再び戻ることのなかった私の半身。
もし、生まれ変わったなら…
その時こそは、
ずっと一緒にいてくれますか?
全身から力を抜こうとした、その時だった。
「和葉!!」
幻聴なんかじゃない。
しっかりと鼓膜に響いたその声は、私の目を醒まさせるには充分だった。
少しの間忘れてしまうことはあっても、決して失うことはなかった、私の大切な記憶。
その中心にいた君は、あの頃と同じ声音で、姿で、私の前に戻って来てくれた。
激痛を我慢して起き上がる。
立つことは出来ないから、草の上に座って彼を見た。目の前までやって来ると、膝を折って目線を合わせてくれた。
「どう、して、私が…ここにいるって、分か、った、の……?」
不思議に思って問えば、彼は明るい笑顔を返してくれた。
「離れていても、ずっと繋がってるから。和葉が何処にいるかなんて、簡単に分かるよ?」
さっきまでの絶望は何処へやら、私の心は今、大きな光に照らされていた。
「それに、"呼んで"くれたでしょ?」
ああ、彼も同じだったんだ。
ちょっとだけ、記憶を頭のどこかにしまっていただけ。
棄ててしまったわけじゃ、なかったんだ。
「それより和葉、大丈夫っ!?怪我してる、」
心配に瞳を揺らし、私の身体を気遣って宙に手を彷徨わせるその姿が、懐かしくて、嬉しくて、目尻が熱くなった。けれどその熱が、自然と私を笑顔にさせた。
怪我の痛みなど無視して、私は彼に思いっきり抱き付いた。
首に腕を回すこの体勢は、傷を負った身体には酷く辛い。
でも、そんな痛みなんて関係ない。今まで背負って来た心の痛みに比べれば、なんでもないと思えた。
「お帰り、リュウジ!!」
ずっと、待ってたんだから。
私の言葉の意味を理解すると、彼は私の背中を優しく包み込むように抱きしめた。
「ただいま、和葉!!」
嬉し涙なら、止める必要なんかないよね?
ひとつ、またひとつと涙が溢れ出る度に、自分が満たされてゆくのを感じた。
けれど、煌めく涙と共に零れた赤い血が、リュウジの服に染みを作ったのと同時。
ふっ、と、
私の身体が崩れた。
瞼が落ちて、視界が真っ暗になる。
受け止めてくれたリュウジが、私の名前を何度も呼ぶのを、私は薄れゆく意識の中で聞いていた。
ぷつり。
私の中で、何かが切れる音がした。
そして
とある少女の終焉
温かな腕の中で。
貴方の心音を子守唄に……。
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