14
*
小刻みに進む確かな時間の中で、私の心は徐々に変化しつつあった。それを実感したのは、ついさっきのこと。
「和葉、来て。」
空間を共有する彼に呼ばれ、わずか数メートルしかない距離を更に縮める。ベッドの縁に腰掛ける風介の前に立ち、何かと首を傾げると、
「髪、結ってあげるよ。」
優しく微笑む彼の手には、見覚えのある、美しい光沢を放つ花があった。
風介が私の髪に触れやすいように、私はベッドには座らず、そのまま彼に背を向けて床に座り込んだ。
櫛が、するすると髪を通っていった。
その感覚が、指先が、妙に懐かしくて。
彼が髪を結終える頃、私は……。
「和葉?」
「……。」
泣いて、しまっていた。
…こんなんじゃだめじゃないか。泣かないって、決めたじゃないか。
悲しくなんてなかったし、何を考えていたわけでもなかったのに……
ぼたぼたと落ちる雫の止め方が、分からない。
駄目だ。
私が泣いたら、また風介を傷付ける。
「……ごめん。」
「どうして謝るんだい?」
震える私を、風介は後ろから抱き締めた。水面から水を掬うかのように、優しく。
「放して?」
「……嫌だ。」
ほんの少しだけ、強くなる腕。
「違うよ、私も風介に触れたいから。」
そう言えば、風介は戸惑いながらも私を解放した。
体の向きを変えて、彼の首に腕を回した。
身体を抱き返してくれる腕に感じたのは、懐かしさとは似て異なる温かさだった。
*
自室のベッドの上に寝転がり、天井を見た。
私はそれに腕を伸ばし、指を突き立て、まだ記憶の断片ですらない"君"の輪郭をなぞる。
私の髪には、あの花のヘアゴムが戻っていた。
『本当は知ってたんでしょ?』
否定する瞳の揺らぎ、肯定する脳。
自身の精神の安定を図ろうとする堅い防衛本能を、これほど疎ましく思ったことはない。私は、それほどまでに"弱い"とでもいうのだろうか。
…いや、きっとそれだけじゃない。失った分の"溝"を埋めようと、私の中の風介の存在がどんどん大きくなっていったせいもある。
それがワタシ、緑川和葉の邪魔をする。
……先日、バーン様とお話する少し前、あの時間。
勉強机に並んだ数ある中の一冊、【ことわざ辞典】。うさぎのキャラクターが描かれた、小学生低学年向けの古びた本の中から、一枚の写真が出てきた。
写っていたのは、若草色の髪の幼い女の子……あれは、私。笑顔で、カメラに向かって小さな花冠を差し出していた。
よく見れば、ピントが少しずれている。まるで小さな子供が、遊びでシャッターを押したかのように。
「……ねぇ、」
『和葉』
ねえ、聞いて。
貴方の声、思いだしたの。
君の髪の感触も、櫛で梳く感覚も、
もう分かるんだよ?
「まだ、だめなの?」
私は自分の脳に問い掛けた。
混沌とした頭のまま、宙に上げた手のひらを開いて、姿の見えない彼らに手を振った。届くはずもないけど、心の中で"いってらっしゃい"と唱えた。
きっと今東京では、雷門とカオスの試合が開始されていることだろう。
『頑張って、ね』
そう言ったら、ガゼル様は嬉しそうに私の頭をなでてくれた。
「…………。」
開いていた指を、強く閉じる。
応援してる、って、
どうしてか言えなくて。
また、近くなる
君に、終焉に。
―――――――――――