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*






小刻みに進む確かな時間の中で、私の心は徐々に変化しつつあった。それを実感したのは、ついさっきのこと。



「和葉、来て。」



空間を共有する彼に呼ばれ、わずか数メートルしかない距離を更に縮める。ベッドの縁に腰掛ける風介の前に立ち、何かと首を傾げると、



「髪、結ってあげるよ。」



優しく微笑む彼の手には、見覚えのある、美しい光沢を放つ花があった。






風介が私の髪に触れやすいように、私はベッドには座らず、そのまま彼に背を向けて床に座り込んだ。


櫛が、するすると髪を通っていった。
その感覚が、指先が、妙に懐かしくて。
彼が髪を結終える頃、私は……。



「和葉?」

「……。」



泣いて、しまっていた。


…こんなんじゃだめじゃないか。泣かないって、決めたじゃないか。

悲しくなんてなかったし、何を考えていたわけでもなかったのに……

ぼたぼたと落ちる雫の止め方が、分からない。






駄目だ。
私が泣いたら、また風介を傷付ける。




「……ごめん。」

「どうして謝るんだい?」




震える私を、風介は後ろから抱き締めた。水面から水を掬うかのように、優しく。



「放して?」

「……嫌だ。」



ほんの少しだけ、強くなる腕。



「違うよ、私も風介に触れたいから。」



そう言えば、風介は戸惑いながらも私を解放した。
体の向きを変えて、彼の首に腕を回した。

身体を抱き返してくれる腕に感じたのは、懐かしさとは似て異なる温かさだった。









*







自室のベッドの上に寝転がり、天井を見た。

私はそれに腕を伸ばし、指を突き立て、まだ記憶の断片ですらない"君"の輪郭をなぞる。


私の髪には、あの花のヘアゴムが戻っていた。









『本当は知ってたんでしょ?』








否定する瞳の揺らぎ、肯定する脳。

自身の精神の安定を図ろうとする堅い防衛本能を、これほど疎ましく思ったことはない。私は、それほどまでに"弱い"とでもいうのだろうか。


…いや、きっとそれだけじゃない。失った分の"溝"を埋めようと、私の中の風介の存在がどんどん大きくなっていったせいもある。


それがワタシ、緑川和葉の邪魔をする。




……先日、バーン様とお話する少し前、あの時間。


勉強机に並んだ数ある中の一冊、【ことわざ辞典】。うさぎのキャラクターが描かれた、小学生低学年向けの古びた本の中から、一枚の写真が出てきた。

写っていたのは、若草色の髪の幼い女の子……あれは、私。笑顔で、カメラに向かって小さな花冠を差し出していた。


よく見れば、ピントが少しずれている。まるで小さな子供が、遊びでシャッターを押したかのように。







「……ねぇ、」









『和葉』









ねえ、聞いて。





貴方の声、思いだしたの。






君の髪の感触も、櫛で梳く感覚も、

もう分かるんだよ?








「まだ、だめなの?」






私は自分の脳に問い掛けた。










混沌とした頭のまま、宙に上げた手のひらを開いて、姿の見えない彼らに手を振った。届くはずもないけど、心の中で"いってらっしゃい"と唱えた。


きっと今東京では、雷門とカオスの試合が開始されていることだろう。






『頑張って、ね』





そう言ったら、ガゼル様は嬉しそうに私の頭をなでてくれた。








「…………。」



開いていた指を、強く閉じる。









応援してる、って、
どうしてか言えなくて。








君に、終焉に。

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