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グラン様がそろそろ戻ると言ったので、私もグラウンドを出て、図書室へと向かった。最近本なんて読んでなかったし、まあいい気晴らし位にはなると思った。



「アイキュー?」

「エリオ?珍しいな、図書室に来るなんて。」

「することが何も無いの。外に行きたいけど、ガゼル様も見当たらないし…。アイキュー、ガゼル様何処にいるか知らない?」

「いや。外出許可が欲しいのか?」

「うん。しばらく風に当たってないしそれに、ここは草の揺れる音がしないんだもの。」


完璧すぎる人工芝なんて、寝そべっても何も感じない。不格好な雑草の方が、よっぽど緑の香りがする。


「不思議なの。なんの不自由も無いのに、ガゼル様も、皆もいるのに、この場所はまるで籠。ねえアイキュー、貴方は何のために戦ってる?」

「エリオ?」

「…なんでもない、ちょっと考え事してて。さっき少しグラン様とお話して…まあ忘れちゃって?」


そう、グラン様と話してからだ。胸がもやもやして、頭がぐるぐるして、酷くもどかしい。


「…エリオ、外へ行きたいんだろ?じゃあ、俺からガゼル様に言っておくから行ってくるといいさ。」

「え、でも、」

「どうせ本を読んでも途中で投げ出すんだろ?」

「いいの?」

「ああ、エリオのことだから、多分ガゼル様も許してくれるさ。」

「…ありがとう。」


私はアイキューにお礼を言って、私服に着替えに自室へと向かった。ガゼル様は彼に信頼を置いているし、外出してもきっと大丈夫だろう。


「ヘアゴム…」


そうだ、取りに行かないと。


「あれ?」


勝手に入るのには気が引けたけど、私はガゼル様の部屋へとやって来た。しかし、そこにあったはずの花の髪飾りはなく、


「…どうしてだろ。」


見慣れた青色のユニフォームだけが、無造作に脱ぎ捨てられていた。






*






さらさらと、聞きたかった草の音が聞こえて、束ねていない若草色の髪が、風に揺れた。
私は基地から離れた場所にある河川敷にいた。下の方では小学生であろう子供達がサッカーボールを追いかけていた。


「楽しそう…。」


皆、笑ってる。
私はそれが羨ましかった。

突風が麦わら帽子を掬った。ふわふわと飛ぶそれを目で追いかけて、私は後ろを振り返った。




「君は…」

「ぁ」


帽子が落ちた数歩先。

見覚えのある薄藍の髪、白いマフラー。

私はまだ距離のある帽子なんか捨てて、その場から立ち去ろうとした。けれど、背を向けて駆け出そうとしたその時。


「待って!」


彼の、まるで懇願するかのような声が、私の脚を止めた。
その"音"が、何故かあの時の風介そっくりだったから。


吹雪士郎は薄い色合いの麦わら帽子を拾うと、歩を進め、未だ静止する私の目の前に立った。


「はい。」

「…ありがとう。」


この人は、敵。馴れ合っていいわけがないのに。


「顔色、悪いけど、大丈夫?」

「…それを言うなら、和葉ちゃんだって元気無いんじゃない?」

「え、」


何で。


「どうして、私の名前知ってるの?」

「一回だけ、京都で会ってるでしょ?僕達。」

「……。」

「えっと、覚えてない?それとも」


そこまで口にしたところで、彼は何かに気付いたようで、私の顔をまじまじと見つめた。


「もしかして、」

「?」

「…ごめん、なんでもないや。」


そこで切られてもかえって気になる。…ともかく私は、吹雪士郎に和葉として会ったことがあるらしい。


「お久しぶり…ってわけでもないです、ね。」

「僕達と試合をしたってことは覚えてるの?」

「はい、その、ごめんなさい。」

「謝ることじゃないよ。きっと好きで忘れたんじゃないだろうし、ね。」


不思議な感覚だった。彼からも、確かな"孤独"を感じる。けどそれは、グラン様やガゼル様とは違う感覚だった。






この人は、私に似てる。





「どうしてこんなところに一人でいるの?」

「それはこっちの台詞だよ。まさか散歩中にエイリア学園の子に会うなんて思わなかった。」


無理に作られた笑顔に、私は"自分"を見た。姿形は違えど、彼は私の鏡のように思えた。


「…おんなじ。」

「え?」

「ねえ、教えて?私が貴方に会った時のこと。」


聞かなければならないと、そう思った。

私達は道から少し外れた草の上に腰を下ろした。






*






久しぶりに話した和葉ちゃんは、雰囲気も性格もそのままに、記憶だけを欠落させていた。
あの日京都で見たレーゼのように、エイリア学園に記憶を消されてしまったのだろう。理由は、マスターランクだったダイヤモンドダストが雷門と引き分けたからだと思ったのに、和葉ちゃんは試合のことを覚えていた。記憶を消されたのは、もっと前?一体何のために?


「ねえ、教えて?私が貴方に会った時のこと。」





…和葉ちゃんはあの時、泣いてた。エイリア学園の行いに対して、きっと罪悪感を感じたからじゃないかな?そして、僕にこう言った。大切な人を、自らの半身を、失った悲しみを知ってる?、と。そうして肩を震わせる和葉ちゃんは、どこか僕に重なって見えた。

…僕自身、一度、アツヤを失っている。そして現に今、再び"アツヤ"から手を離そうとしてしまっている。

"僕"を捨てたくはない、けど、アツヤを追い出すなんて出来ない。独りになんて、なりたくない。


失った悲しみを知ってるって?
知ってるよ…知ってる。痛い位に。


手を伸ばそうとしても、何処に伸ばせばいいのかが分からない。暗いトンネルを抜け出したくても、出口の光さえ見当たらない。



会いたくても、会えない…。






「君は、誰かを探してた。」






*






「誰かって、誰?」

「きっと和葉ちゃんにとって、一番大切な人だよ。」

「一番大切な人?」

「けど、まるでもう二度と会えないみたいに聞こえた。…誰を失ったのか、覚えてないの?」

「分からない。」


大切な人を失った?ガゼル様よりも大事な人?
二度と会えない?それはどうして?


「きっとその人は、和葉ちゃんにとって、自身の片割れも同然だったんだろうね。」

吹雪君のその言葉に、何故か心臓が高鳴った。鼓動の音が、全身に響き渡る。






誰?




私の脳を揺らす君は、誰?





『君、は…わた、しの…』




何?

私の、何?



あと少し、あと少しで、君を……





「エリオ!!」





聞き慣れたその声に、届きかけた"想い"が途切れた。



この声、は…



「…ガゼル様。」

「エリオ、一体何をしている。」


苛立ちを隠せない冷たいその声音に、私は確かな恐怖を抱いた。


「…吹雪士郎。」

「……。」


ガゼル様は怒気を含んだ瞳で吹雪君を睨んでいた。私はその視線を遮るように立ち上がると、背を向けたまま吹雪君にお礼を言った。


「…教えてくれてありがとう。私、頑張って探してみる。その人のこと、失ったのだとしたら、取り戻したいって思うから。」

「和葉ちゃん…」

「だから、吹雪君も答え…見つけてね?」

「…うん。」


数歩離れた場所で私を待つガゼル様へと歩を進め、隣に立つと、ガゼル様は私の片腕を痛い位に強く握った。


「…言い訳は後で聞こう。」

「はい…。」


エイリア石の力を応用したサッカーボール。蒼い光が私達を包み込んだ。その間際に、もう一度吹雪君へと振り返ると、彼は柔らかい微笑みを返してくれた。






*






「エリオ、外へ出た事を咎めるつもりはない。だが、何故敵である吹雪士郎と一緒にいたんだ。」

「それ、は…。」


私の現在地はエイリア学園研究所内部、ガゼル様の自室。こんなにも憎悪の感情を剥き出しにしてに怒られるのは、初めてだった。身が竦む思いで、寿命が縮まりそうだった。


「答えろ。」

「っ!?」


冷たい、左の手のひらで、やんわりと首を包まれて、私はこのまま彼に殺されてしまうんじゃないかと錯覚した。

けれど、


「……言えない。」

「何だと?」

「言いたくない。」


不思議。

彼に歯向かうことが、怖くない。


「エリオ、誰に口をきいているのか分かっているのか?」


ガゼル様の指先に力が入って、私の鼓動が速くなる。


「……もういい。」

「エリオ?」


私はもう、1人でも立ち上がれるから。


「ごめん、風介。ずっと一緒にいてってお願い、取り消すね。」

「……。」

「ぇ、あっ!!」


その言葉を口にした途端、風介の目の色が変わった。肩を強く鷲掴みにされ、壁に押さえつけられる。首を締めていた手は荒々しく顎を掴み上げた。


「どういうことだ和葉。」

「っ、いつまでも貴方に甘えるのはよくないと思ったから」

「何故そう思う?吹雪士郎にそう言われたの?それとも、私が嫌いになった?」

「違う、私は…」


"答え"を掴みたいと望むからっ、



「…許さないよ。」

「っ!!」

「駄目だ和葉。私から離れるなんて、絶対に許さない。」

「痛っ!!?」


風介が私の鎖骨付近に噛み付いた。甘噛みなんて可愛いものじゃない、犬歯が皮膚を裂き、血が出る程に強い力。腕で身体を固定されて、身動きがとれない。


「嫌だ、痛ぃ!痛いよ、風介!!」


肉体的痛みと、精神的苦痛と困惑から、涙が零れた。
どうして?どうしてこんなことするの?


「ゃ、ぁ…」


牙が離れ、唇が首を這って私のそれに重なる。拒否をすることも許されず、強引な深い口付けと涙に伴うしゃくりで、呼吸が苦しくて仕方がなかった。口の中に、風介の口に付いた自分の血の味が広がった。耳障りな声と水音が鼓膜を揺らす。

傷口から流れた血液が、服をじんわりと紅く染めた。痛い、痛い、苦しい、苦しい。



悲しい。










『触るなっ!!』






「嫌ぁ!!!」


舌が抜かれ、唇が離れる。



聞こえた、確かに聞こえた。
毒矢の如く私の心臓を貫く"声"。


「違う、違う違う違う!!」


呼吸をするのも忘れ、私は未だ涙の溢れる黒瞳で風介を見た。


「貴方じゃ、ない…。」


風介は、私の"拒絶"に動きを止めていた。腕の力が緩んだ隙に肩を押して、少しだけれども距離をとった。



「私の一番大切な人は、風介じゃない…。」

「!!」


直感的に言葉が出る。脳が正しいと感じるよりも先に、心がそうだと叫んでる。風介は呆気にとられたかのように呆然としていた。


「返して」

「エリオ?…」


何を?自分でも分からない。風介が私から何か奪ったとでもいうの?


「分からないの…思い出したいのに!!絶対に失ってはいけない、何よりも、誰よりも"大切"なものだったのに!!
返して…返してよ!!」


私は、一体何を言っているの…?
風介、どうして怒らないの?私が言っていることは、正しいコトなの?


「和葉、私は…」


先程とは打って変わり、優しく私の頭に触れようとした彼の手を、私は…





「触らないでっ!!」

「っ……。」


払って、しまった。








融解する"想い"。




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