「痛っ、」


立ち上がる最中、無意識のうちに言葉が漏れた。
雨宮さんのおかげで立つことは出来たものの、どうやら私はさっきの拍子に足首を変に捻ってしまったらしい。


「大丈夫?」

「え?ああ、うん。平気だよこれくらい。」


雨宮さんが私の手を握ったまま、心配そうに眉を下げたのでそう返したのだが…。心の中では、前本運んでもらった時にもこれと同じような事言ったな、言葉のボキャブラリー少ないな私!!と、物凄く己を恥じていた。


雨宮さんの手を離れ、私は痛む右足に負担をかけないよう左側に体重をかけた。


「名前さん、足首…。」


と、雨宮さんに指摘された。

流石に気付かれたか。
反射的とはいえ、声を発してしまったことが悔やまれた。


「あー、多分ちょっと捻った。保健室行って来るね。」


助けた友人に向かってそう言えば、彼女は付いて行こうか?と眉を下げた。でも、私が一人で行けるから平気だと明るく振る舞ったので、彼女は「そっか、いってらっしゃい!」と言って手を振った。

私がぎこちない足取りで動き出せば、皆も元通りに試合に戻った。


…うぅ、痛い。生理痛も影響してなお憂鬱…やっぱりついて来て支えてもらえばよかった。そう思っても今更とため息をついた、その時だった。


「名前さん!」


名前を呼ばれて振り向けば、雨宮さんが私の後を追い掛けて来ていた。


「雨宮さん、どうかしたの?」


私が不思議そうに首を傾げれば、彼は一瞬驚いたような顔をしていた。
でもすぐに優しく微笑んで、「痛いでしょ?肩貸すよ。」だなんて、平然といい男フレーズを言ってのけた。

正直助かるけど、皆の視線とかどうなのよ…。

少しというか大変恥ずかしくはあるが、やはり一人で歩くのが辛いので肩をお借りすることにした。


片腕を雨宮さんの首に回せば、当然っちゃ当然なんだろうけど手を握られた。それに私が驚き、思わず肩を震わせてしまったので、雨宮さんは「あ、ごめん…。」と短く謝った。


「いや、謝らなくていいよ!!ちょっとびっくりしただけだから。」

「そう?」


雨宮さんは心配そうに私の顔を覗き込んだ。う、顔近…。


「ひょっとして迷惑だったかな?」

「そんなまさか…すごく助かります。」

「ほんと?なら良かった!」


ぱあぁ!と、向日葵のように眩しい笑顔。
表情がくるくると変わる、とても魅力的な人だと思った。彼が他人に好かれるのも分かる。

一方の私は、彼に嘘をつきっぱなしだ。胸の内に広がる恐怖と気まずさを隠すために繕った、愛想笑いの笑顔と苦笑。


…ああ、私は雨宮さんが怖いんだ。

私とは対照的に明るくて、皆に好かれてて。彼が私を嫌えば、皆も私を避けるようになるのではないか、と。その可能性が怖い。必要以上に関わって、ひょんなことで不快な思いをさせてしまうくらいなら。ずっと関わらずにいて、穏やかな毎日を送りたい…。


「えっと、もう片方の手で支えてもいいかな?」

「あ、うん。どうぞ。」


優しい人。
なのに彼の優しさを素直に受け取ることが出来ない自分を、卑屈な人間だと思った。


「いいの?サッカー。」


雨宮さん、すごく楽しそうだったのに。

申し訳なさそうに私が尋ねると、雨宮さんは爽やかに答えた。


「ちょっとくらい抜けても大丈夫だよ。もう自由に運動していいんだし、好きな時にできるから。」


そういえば病気で激しい運動を禁止されてたんだっけ。
こんな元気で明るい人なのに、ちょっと信じられないな。


私は女子にしては背が高い方なので、雨宮さんとの身長差も小さく楽に歩くことができた。

痛みを引き摺ってやっと着いた保健室に先生はおらず、私はこんな時に限ってぇ!!と歯を食い縛った。


「先生いないみたいだね…名前さん自分で手当てできる?」


雨宮さんの問いに私は正直に「で、出来ないです…。」と言った。あはは、と、心の中に乾いた笑い声が響く。


「じゃあ僕がやってあげるよ、座って?」

「え!?」


促されるまま保健室の長椅子に座らされ、結局怪我の処置までしてもらうことになってしまった。

何が入っているのか明記されたシールの貼ってある引き出しから道具を取り出している雨宮さんの背中を見てから、私はジャージの裾を捲りソックスに手をかけたのだが。

……あ。


「……。」


しまったあぁ!!爪にがっつりペディキュア塗ってるぅ!!
うわあどうしよ、はっきり言って人様に見せる程上手でもないし、こんなギラギラの爪先見せて引かれたりしないかな?中途半端にだらしなーくソックス脱ぐわけにもいかないし。

くっ、塗るんじゃなかった…後悔しても遅いけど。
だって、こんなことになるとは夢にも思っていなかった。偶然にも体育が自主になり、偶然にもボールが飛んできて、うっかり足を挫いて、まさかの雨宮さんが肩を貸してくれて、そしてまたまた偶然にも保健室に先生がいなくて…。


「えっと、名前さん?」

「はいっ!?」

「足、見せてもらってもいいかな。」


う、塗ってから日が経ってぼろぼろに剥がれてた方がまだよかった。それなら、結構前に友達と遊んでノリで塗っちゃいました!で済むのに、こうもがっつり描き込まれてるとそうは言えない。

道具を抱えた雨宮さんが、座っている私の前に膝を着いた。あ、駄目だ、これはもう覚悟を決めないと。


「…あのっ、足、変にギラギラしてるけど気にしないでね?ほんとギャルみたいになってるけど、調子こいてるとか、全然そんなんじゃなくて!ただちょっとした出来心だったんです!!」


早口に弁解を述べながら、私は意を決してソックスを脱いだ。無駄に鮮やかな私の爪先を見た雨宮さんは、驚いた顔をしていた。


「名前さん、これ自分でやったの?」

「うん…。」


…ああ、終わった。
なんかもう、終わった。


「すごいよ!」

「え?」


私がしくしくと心の中で涙を流していると、雨宮さんの声がしんとしていた保健室に響いた。


「名前さんって、やっぱり器用だね。細かい模様とかもすごく丁寧だし、上手。」

「えぇ?」


そ、その反応は予想してなかったよ雨宮さん。
というかちょっと、他人に足元凝視されるのって案外恥ずかしいんですが…ぅ、そんなに見ないで下さい。


「こんなの、素人クオリティだから雑だよ。人に見せられる程の出来でもないから、あんまり見ないでいただけると嬉しいです…。」

「そう?でもすごく綺麗だよ?」


わお。ちょっと聞きました奥様?爪の話ではありますが、私今生まれて初めて同年代の異性に綺麗と褒められましたよ!?バンザーイ、バンザーイ!!今夜はお赤飯ですね隊長!!


「っと、手当てするんだったよね。」

「お願いします…。」


濡れタオルで腫れた足首を包まれれば、針で刺したような痛みが走った。思わず顔が歪んでしまったけれど、声が出なくてよかった。
雨宮さんの手際は見事なもので、私が緊張から気を紛らわそうと少し窓の外の景色を見ている内に終わっていた。


「はい、終わり!」

「ありがとう。」


鋭い痛みの引いた足首に感心すると同時、私はまた心の中でうなだれた。


「なんか、私雨宮さんにお礼言ってばっかりだよね。」

「いいよ、俺が好きでやってるんだし。それに、ありがとうって言われれば誰だって嬉しいでしょ?」

「そ、そうだね…。」


眩しい。眩しいよ雨宮さん、正に太陽の如しだよ。
脱いだ靴下を手に取って履こうとすれば、膝を着いたままの雨宮さんとばっちり目が合ったので、私は手を止めて首を傾げた。


「どうかしたの?」

「んー…勿体ないなあって思って。」

「何が?」

「爪。せっかく綺麗なのに、隠してるなんて勿体ないよ。」


例えお世辞だったとしても、そう言ってもらえて嬉しかった。


「はは、足だもん。学校なんだから裸足でいるわけにもいかないでしょ。それにどっちかて言うとあんまり見られたくないから、ちょうどいいんだよ。」

「どうして?」

「どうしてって…ほら、調子こいてるとか思われたら嫌だし。」


私はそそくさとソックスを履き直した。


「だからっていうか、絶っ対に隠してたいってわけでもないんだけど…とりあえず誰にも言わないでくれると嬉しいです。」

「分かった、言わないよ。」


ふふっと、膝に手を置いてしゃがんでいた雨宮さんが小さく笑った。何がおかしかったのかは分からいけど、笑い方が可愛らしかったのが印象的だ。


「マニキュア、誰にも見せてないの?」

「うん、男女含め今のところ雨宮さんだけ。あ、足の爪に塗るのはペディキュアって言うんだ。最初は運気アップのために始めたんだけど、割と楽しくて。医者行った時、待ち合い時間に読んだ雑誌の女性は大地からパワーを吸収するって特集を見たのがきっかけでさ。色や柄にもそれぞれ意味があるんだよ?」

「へぇ…。」


って、いかんいかん。つい饒舌になって、雨宮さんにつまらない話をしてしまった。

長椅子の下から取り出した台座に丸めた毛布を置いたところに足を乗せるように言われたので、怪我をした足をそこに置いた。本当は心臓より高い位置の方がいいらしいが、そんなに大きな怪我じゃないしこれで構わないみたいだ。氷嚢が当てられても、テーピングがしっかりされていたから今度は痛くなかった。


「…雨宮さん、そろそろ戻っていいよ?」

「え、名前さんは?」

「私は先生待ってるよ。ほら、学校で怪我したら手続きとかあるから。」

「あー…そう、だね。」


雨宮さんは冷やし過ぎも良くないからね?と言って私に氷嚢を手渡すと、ゆっくりと立ち上がった。


「じゃあ、お大事に。」

「うん。あ、雨宮さん!」


扉に手をかけて微笑んだ雨宮さんに、私は言葉を足した。


「足、本当にありがとう!サッカー頑張ってね!!」


長椅子に座ったままそう声をかければ、雨宮さんは一瞬目を開いて、それから嬉しそうに「うん!」と返事を返してくれた。


扉が閉まった音を最後に静かになった保健室には、窓の外で木々の葉が揺れる音がした。

一人になって肩の力が抜けた私は、ぱたりと上半身を長椅子の上に倒した。

ああ、平和だ…。なんて思いながら、少しだけ、雨宮さんの顔を思い浮かべた。






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