風呂に入ると、その日あった事柄がじわじわ甦ってくる。
そうだ、今日は部活中に雨宮さんと目が合った。
「……。」
思い出して、私は下唇を噛んだ。だってこの感情は、まずい。 嫌だ嫌だ嫌だ、そんなんじゃない、違う。
自己嫌悪に陥って、鼻をつまんで湯船に潜った。一番風呂だから、汚ないなんて抵抗は無かった。それに後々髪洗うし。
私は、雨宮さんのことが好きなのかもしれない。あくまで、かも、だけど。
恋をするのは自由。でも、私が彼を好きになるのは駄目だ。雨宮さんは高値の花すぎる、雑草のような存在である私なんか無理に決まってる、最後はきっと哀れみと虚しさしか残らない。
自分でも分かってるんだけど…私は、惚れやすい。 共学でも異性と関わる機会が少ない私は、ちょっと優しくされただけで期待をしてしまうのだ。勘違いだと重々理解はしているのに、どうしてもときめきを抱かずにはいられないのだ。 馬鹿で寂しい人間だなあと、常々思う。だからというか、私がこれまで好きになった人は皆、フェミニストとかチャラい人とか彼女持ちだとか。
ともかく綺麗な恋なんてできるはずがなかった。 いい加減学ばなきゃ、大学に行くまで彼氏はいらないんでしょ?私。
「…はぁ。」
雨宮さんは単にすごく優しい人なだけ、彼女もきっといる、タイプは絶対可愛くて笑顔が素敵な美少女!!
よし、と。
私は風呂を上がった。
バスタオルで身体を拭いていると、自分の爪先が目についた。数週前、10本の指の爪それぞれに塗られた色は、爪が伸びて根本を浮かせ、先の方は所々剥げてしまっていた。このままでは不恰好だし全然綺麗じゃない。 私はパジャマを着ると、部屋に戻って足を組んだ。
綺麗な水色の除光液をコットンに染み込ませ、不恰好になった爪へと当てる。古いのを全部とることができたら、今度は色とりどりの小瓶を手にとった。白磁のベースコート、それが乾いたらピンクとゴールドを乗せて竹串の先でマーブルにする。細い筆の先に乗ったパステルグリーンでクローバー、キラキラと光るパールホワイトで左足の中指と右足の親指にだけシロツメクサを咲かせた。仕上げにトップコートを塗れば完成。鼻につんとくる匂いも嫌いじゃない。
うん、我ながら納得のいく出来だ。
自己満足で小さな幸せを感じつつ、私は広げていた瓶を棚に仕舞った。 様々な色や種類のマニキュアの小瓶が並んだそこは、我が部屋で一番カラフルでキラキラしてて、綺麗な場所。 その棚を見るだけで、私は心持ち幸せになれた。爪先をこうして飾ることは、私の密かな楽しみだった。 学校で堂々とマニキュアをして過ごすには勇気がいるし、クラスで浮く。先生にも注意される。だから私は、こうして普段は隠れる足の爪を彩るのだ。手に塗るものをマニキュアと言うのに対し、足に塗るものをペディキュアと言う。 靴を履き替える時とか、タイツ越しにきらりと光る、綺麗な色のついた爪が大好きだった。 手足の爪は全部縦爪、指先も細くて爪の面積もちょうどいい。 この指が、手足が。唯一にして絶対の私の誇りだった。顔は自信ないけど、この手と足ならそこら辺のクラスメイトや一般人よりはずっと綺麗だと胸を張って言える。
そういや明日は体育あるんだ、じゃあソックス履かないとなあ。
そう思いつつ、私は眠りについた。
*
…晴れてるなぁ、これは今日もテニスコートか。
そう思い、私は軽く息を吐いた。
「名前ちゃん、次体育自習だってさぁ。」
「え、マジで!」
ジャージに着替えようと鞄に手を掛けた私は、友人の言葉を聞いて舞い上がった。 その…正直に言ってしまうと、世に言う二日目とやらでかなり下腹が重い。体育監督は男の先生だし、自習とあらば動くのをサボってコート脇でお喋りできる。
着替えを済ませた私は、数人の友人と共にコートへと向かった。
ああ、そういや今日どっかのクラスと合同だっけなぁ。 先にラケットを取りに来ていた知らない女の子達を見て思い出した。
「やっぱ真面目にやってる人少ないよね。ラケットいらないか。」
隣に立っている幼なじみが言った。
「どうせやらないしね。」
下腹部の痛みに、私は率先して賛同した。
「男子は第一グラウンド?」
「そ。サッカー、クラス対戦するらしいよ。」
「へー。」
「そういや昨日さ…」
いい感じの日光の下でほくほくとお喋りをして二十分ちょっと。 なんだか異様に人が少ないことに気付いた。真面目にテニスをしていた人達も何人かいなくなってるし、皆何処に行ってしまったのだろう。
「ねえ、周囲に人少なくなってない?」
私がそう言うと、二つ隣に座っていた子が答えをくれた。
「男子のサッカー見に行ったんじゃないかな?」
サッカー。その単語から、私は彼を連想した。そういや雨宮さん、何組なんだろ。
「ねえ、うちらも見に行こうよ!」
「よし、行くか!」
え、別にいいじゃない!?ここでだらだらまったり過ごそうよお。とは言えず、私は皆の後に続いて、重い腰を上げたのだった。
黄色い歓声とは正にこのことを言うのだろう。自分のクラスの応援をしている女の子達は、かなり盛り上がっていた。 得点板を覗いてみると、どうやら1対0でうちのクラスが負けているようだった。
「…あ。」
雨宮さんだ。
「ん、どうかした?」
「いや、何でもない。」
そっか、雨宮さんクラスここだったんだ。得点板に書かれた1の上にあるクラスナンバーを見て、私はぼんやりとそう考えていた。
私は少ししんどいなと思いつつも、わいわいと応援をしている中に加って一緒に試合を見ることにした。 しかし私はボールを目で追うこともせず、ただ向かい側の緑を見て、明日は確か新刊出るから単行本買いに本屋にでも行こうとか、次古典寝ちゃいそうだなあとか、いろいろ考えていた。
すると、周囲の歓声が突然高くなった。 あ、2-0。 どうやら皆クラス関係なしに、試合そのものを楽しんで応援をしているらしい。 太陽かっこいー!!愛してるー!!球技大会とかの類の、ノっていて元気な応援が聞こえた。 おお、雨宮さん得点決めたんだ、流石サッカー部。 視線を動かすと、彼は自分のクラスの男子とハイタッチをしていた。 二点差だぞー!!女子の誰かがそう叫ぶと、こっちクラスの男子は控え選手込みで円陣を組み直していた。
活気のある声が響いた。なんか少し野球部みたいだねと、隣の子と少し笑った。
再びボールが動く。互いに何人か選手交代をしたようだけど、雨宮さんは変わらずフィールドにいた。全員がサッカー部というわけではないのだから、プレー中のミスは少なくない。でも皆それを分かっているから、誰も失敗を咎めたりはしなかった。
特に考えることも無くなったので、私は試合を皆と同じように"観る"ことにした。
私がまともに試合を見始めて、十分かそこら経った時のことだった。 ひとまずタッチラインからボールを出そうと考えたのか、相手選手に囲まれた一人の男子がこちら側に向かってボールを力任せにして蹴った。 しかし力の加減を間違えたのだろう、ボールは勢い余って、私の隣に立っていた友人へと襲い掛かろうとしたのだ。
私はボールが彼女に当たる寸前、咄嗟に片手で彼女の腕を引き、自分の方へと引き寄せた。 でもうっかり後ろ足のバランスを崩してしまい、私は彼女を抱き抱える形で地面に尻餅をついてしまった。
バランスを崩した瞬間、私の足には鋭い痛みが走った。
「っごめん、大丈夫?」
「え、わー!?ありがとう、名前ちゃんこそ大丈夫!?」
彼女は急いで立ち上がると、あたふたと手を振った。
「大丈夫、どういたしましてだよ。」
私は足に嫌な違和感を感じながら、苦々しく笑った。 悪い、大丈夫か!?ちょっとあんた気をつけなよ!!てか名前ちゃん今めっちゃ格好良かった!! ボールを蹴ったであろう本人と、それから何人かが自分を取り囲んだのが分かった。
立ち上がろうと足をずらして姿勢を変えれば、目の前には誰かの手があった。
一人で立てるけど、断るのも失礼だなと思い、私はその手を取った。
視線を上げて、その人の顔を見て、私は目を見開いた。 何故なら、私に手を貸してくれたその人が、まさかの雨宮さんだったからだ。
「立てる?」
「あ、うん。ありが、とう。」
…またありがとうかよ。 嬉しいとか恥ずかしいとか申し訳ないとか、とにかくごちゃごちゃとした感情の中で私はそう思った。
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