な、なんでこんなクラスの人気者的存在である御方が、しがなく目立たない存在である私に声をかけているのだろうか。 というか男子との会話ってどうすればいいんだっけ?
どうしよう、緊張で変な汗出てきた。彼を不快に思ってはいないんだけど、できれば早く立ち去ってほしかった。
「色塗るんだよね?絵の具持ってるし。」
「ま、まあ、一応。」
あれ待てよ、名前本当に雨宮太陽で本当に合ってるのかな? 間違えてたりしたら非常に失礼だし、悪い印象与えるよね。
そう思ったから、会話中に彼の名前を口にすることは出来なかった。私はさも彼の名前を知っている提で、
「そっちも部活中なんじゃないの?」
と聞いた。 ちらりと雨宮さんの方を向けば、彼は右側の額にタオルと氷をあてていた。
「ちょっとぶつかっちゃって。一応保健室行くところ。」
「あらー…大丈夫?」
少し口元が引きつってしまった。私も同じところをぶつけたことがあるから、その痛みはなんとなく分かる。でも本気で心配しているわけじゃなくて、この場合大丈夫かと聞くのが"正解"だと思ったからだ。口元が引きつったのはそのせい。
「平気だよ。」
あ、笑った。よかった、やっぱり私の返しは間違ってなかった。
しかしその言葉を最後に、数秒間沈黙が続いた。
正直私はすごく気まずい、なんなんだこの人、保健室行くんならこんなところで立ち止まってないで早く行ってよ、用も何もないでしょ!?
どうしても、男子は苦手だ。
でも男嫌いってわけじゃなくて…難しいけど、嫌悪感ではなく、緊張感みたいな。 紙の上を走る鉛筆も、自然とスローペースになってしまった。
「名前さんさ、」
雨宮さん私の名前知ってたの!? そりゃあ去年一緒のクラスだったからかもしれないけど、よく覚えてたなあ。
「手綺麗だね。」
「え!?…うーん、まあ手ぇぐらいしか綺麗じゃないですけどね。」
何を言いだすのかと思えばこの男…。
「なんか、自然と女子が喜ぶようなこと言えてすごいね。」
流石、モテる男は違いますね。
「そうかな?素直に言っただけだよ。」
「あは、は。純粋だねえ…ほ、ほら保健室行くんじゃなかったの?」
「うん…じゃあね名前さん。」
「さよなら。」
彼が去った後、私は深く息を吐いた。
なんだったんだまったく。
彼が隣にいた時に描いていた線は丁寧の欠片もなく、その時の私の心情の乱れが影響して酷く粗雑なものだったので、消しゴムで消して描き直すことにした。 とりあえず手を動かさなきゃと対象の形をよく捉えることが出来なかったからだ。
「はぁ…。」
画用紙に余計な消し跡はつけたくなかったのになあ。
消しカスは何時ものように地面に落としてしまった。
*
「苗字。」
「はい?」
四時間目の美術の授業が終わり、美術室を出ようとしたところ。退出直前、先生に呼び止められてしまった。 私は友人に先に教室に戻っててと伝えると、手招きをする先生の近くに行った。
「何ですかぁ?次ご飯なんで手短にお願いしますよ。」
あくびをしながらそう言えば、先生は笑いながらどどんと大量の資料集やら画集なんかを取り出した。 ああ…なんだかもう、嫌な予感しかしない。
「一年の授業で使ったんだが…図書室に運んでおいてくれ。すぐに出張なんだよな…。」
「はぁい…お気をつけて。」
先日のように、確かに慣れない相手だったらそりゃあもうガチガチになる。でも、慣れたら普通に接することができる。多分、というか絶対、私は人見知りが激しい。
「一人で大変だったら誰かに頼んでもいいから。」
「了解です…。」
先生は軽く手を振って美術室を出て行った。 ああ、こういう時部員だったことを恨んじゃうよな。 なんて心の中で悪態をつきながら、私は持っていた美術の教科書と筆入れを机に置いた。
図書室か…遠くもなく近くもなく。先生はああ行っていたけれど、わざわざ教室に友人を呼びに行って手伝ってもらうのも悪い気がするし、たまたま廊下を通った人に声をかける勇気も無い。それに、やろうと思えば充分一人で出来る仕事だ。往復するのは時間かかるし、一回で片付けようかな。
「よっ…ん!」
一番下の本と机の間に指を入れ、胸元まで積みあがったそれを持ち上げる。 あ、ちょっときつい…でも運べないこともないな。
明らかに重い足取りで、私は廊下に出た。
長い廊下を経て、やっと図書室下に設置された昇降口の近くまでやってきた。 学校の図書室というものは、殆どが昇降口の上に造られるのだそうだ。せっかくならその隣に美術室を造って欲しかったと、私は切実に思った。
ここまで距離的にはそんなにない筈なのに、すごく長く感じられた。
体育が終わったのか、昇降口から入って着たジャージの生徒達が上履きに履き替え、階段を上がって行く。
ってあ、階段…しまった忘れてた。
階段の一段目で立ち止まり、転ばないように気を付けようと息を吐いた時。
「名前さん。」
「え?」
誰かに名前を呼ばれて、私は振り返った。
聞き慣れない声だなと思ったら、そこにはまた、オレンジの髪の彼がいた。
「重いでしょ?手伝うよ。」
うお、雨宮さん…?どうしてまた。
「そんな、これくらい平気だから。」
そう言っているのに、彼は私の持っている本の大半を手に取ってしまった。
「どこに持ってくの?」
あ、これはもう断るタイミング完全に逃した。
「えっと、図書室。」
「分かった。」
ジャージ姿の雨宮さんはそう言って笑うと、軽快に階段を上がって行った。
彼のおかげで結果的に私の普段も減り、楽に階段を上がることができた。
「あの、名前さんさ。」
「何?」
一体何を話してくるのだろうかと、私の心臓は嫌な音を立てた。
「僕の名前知ってる?」
あああぁ…。 遂にこの問題と直面することになってしまうとは。
こんなことなら、誰かに聞いておけばよかった。 というか何故私にそんなことを聞く、一庶民である私が貴方様のお名前を知っていようと知らなかろうとどうでもいいじゃないですか。
…仮にも元クラスメイトなんだし、間違えたらすごく失礼だ。
よし、一応念のために保険かけよう。
「えっと、間違ってたらごめんね?」
申し訳なさそうにそう言ってから、私はおそらく彼の苗字であろう四文字を口にした。
「…雨宮、さん。」
「下の名前は?」
なんだと!? 名前自信無いのに!!
「た、太陽?」
私がうろ覚えな名前を口にすれば、彼は嬉しそうに笑った。
「正解!合ってるよ。」
あ、よかった合ってた。
「知ってたんだ!?」
「まあ、去年一緒のクラスだったし…。」
さも当然のように発した言葉。うろ覚えだったくせにと、自分で自分を毒づいた。
あめみやたいようあめみやたいよう…よし完璧。
運んだ本をカウンターに置けば、司書の先生が預かってくれた。
「ありがとう、手伝ってくれて。」
「うん、どういたしまして。」
教室は同じ廊下沿いにあるため、途中まで一緒に行く羽目に…なんて言ったら失礼なんだけど、とりあえずそうなった。やっぱり何を話していいのか分からなくて、自分の教室前に着いた時はほっとした。
「じゃあまたね!」
「うん、ありがとう。」
"またね"だなんて、私の性格上咄嗟のことでも嘘はつけなかった。コンマ数秒間精一杯言葉を探した結果、再びありがとうという言葉が出てきてしまった。失敗した。
しかも。
「…はぁ。」
筆入れと教科書、美術室に忘れて来ちゃったし。
結局、私は一回であの重い本達を運んだにも関わらず、美術室に戻ることになってしまった。 だったら最初から二回に分けて運べばよかったと、私は肩を落とした。
*
それから何日か経った今日。何時もと何ら変わり無く部活が始まった。 私もここ数日と同じように道具を準備し、そしてまた同じようにあの場所へと向かっていた。
…そういえば、こっからグラウンド見えるんだ。
視界の右端で動く男子達に、私は改めてそれに気付いた。 芝生の上を転がる白黒のボール。ああ、この時間帯のグラウンドはサッカー部が使ってるのか。
ん?というかもしかしてあそこはサッカーグラウンドなんだっけかな?体育はテニスと室内競技しか選択してないから分からないな…。
絵の具を広げながらそう考えていると、ふと、あのオレンジの髪が目についた。
雨宮太陽さんだ。
表情がギリギリ分からない程度に遠い距離。それでも、彼が楽しそうなことは分かった。
紅白戦だろうか、二色のチームがフィールド上を走っている。
「…上手だな。」
流石と言うべきか、まるでボールが足に吸い付いているかのように軽やかなドリブルだった。 サッカーのルールなんてゴールにボールを入れる位単純なことしか分からないし、特に見たいというわけでもなかった。それでもなんとなく、私はその試合を観戦していた。
それからすぐのことだった。
雨宮さんのシュートが決まった。 ああ、あれは確かにかっこいいな。 大会で決めたとなればより一層輝いて見えるだろう、皆が騒ぐのも納得だなあ。
一人そう考えているといきなり、雨宮さんがこちらを向いて…なんと目が合ってしまった。
げ、と、私は即座に目を逸らして姿勢を変えた。
何見てんだよこらとか思われてたらどうしよう、ああぁぁごめんなさい!! 背中からじわじわと嫌な熱が広がっていき、後悔の波が押し寄せた。
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