*
"80年前"の空も、やはり青かった。
この地自体は知らないものの、この時代の町並みは"私"がかつて生きていた時代の風景に酷似していた。
しかしそれを懐かしんでいる暇も無く、私達は早速歴史の介入へと踏み込んだのだった。
オペレーション・サンダーブレイク第二段階、オペレーション・オーガ、フェイズ1。
成すべきは本来雷門と決勝を争うはずだった世宇子の撃破。
フィールドに足を踏み入れると、芝の香りが私の鼻腔を擽った。
本物の草を、土を、私は久方ぶりに踏み締めた。
世宇子のキャプテンはアフロディと名乗る少年。まだ影山零治の支配下にある亜風炉照美。
「……。」
彼は私の想像以上に美しい顔立ちをしていた。
シュミレーションの時点で何度かディスプレイ上では見たものの、実物はやはり違う。堅苦しい軍人は持ち得ない柔らかな物腰、そして彼自身が元より持ちえる雰囲気。
いよいよミッション本番だというのに、私は不思議と緊張しなかった。
しかし……
韓国、人?
あの容姿でか?
「ナマエ。」
いやいや嘘だろう、肌が白いのはともかく韓国人で金髪って。ひょっとしたらハーフなのかもしれないが…。
「ナマエ〜?」
しかし"この世界"では髪色の固定概念こそ無いものの、顔の造りに国による違いが出るのは確かだ。王牙にも海外の血が混じった生徒はいるし、私自身のファミリーネームも日本のものではない……でもそれはこの時代から80年も後の、
「ナマエ!!」
「!?」
急に腕を引かれ、私は危うくバランスを崩しかけた。
顔をそちらへと向ければ、ミストレが私の腕をきつく掴んだまま私を睨んでいた。
「…何だミストレ?」
「今どこ見てた!?」
「……は?」
「はぁ?じゃないよ!何回呼んだと思ってんの!?あんな奴に見惚れちゃってさ!?わけ分かんないっ!!君ってあーゆーのがタイプだったの!?」
ちょっと待て、何だこの状況は。
「ミストレ、君は一体何を言って…。」
「はっ、信じられない、趣味悪っ!?オレの方がずっと可愛い顔してるのに!!」
いやいや、お前は私の彼女かっ!
「ナマエ、残念だけどアレ男だから!!」
「…承知している。」
当たり前だろう。
というか"残念だけど"って、私一応女の子……まあ仕方ないか。
「敵の姿を確認して何が悪いんだ?」
「それはっ……。」
私がそう問い掛けると、ミストレは視線を反らし、私から離れて行った。
さてと。
そろそろ試合を始めようかな。
自身に眠れる力を起こそうとしないまま、強化ドリンクに頼ってしまうなんて、馬鹿なことをしたものだ。
「世宇子中…神を気取っているが、所詮は神のアクアなどという強化ドリンクに頼るだけの、ただの人間。」
ただの人間、か。
特別な人間なんていない。
人類全てが"ただの人間"であるはずなのに。
「俺達は、鬼だ。人間はおろか、神をも食らう…鬼だ。」
鬼?
いいえ。
鬼の面を被り、自らを鬼と称するただの人間。
「オペレーション・オーガ。フェイズ1。スタート」
まずは一点。
*
「神が…適わないとは…」
試合終了、否、前半戦さえ終えることなく、世宇子中のメンバーは全員がフィールドに崩れた。
この瞬間、この世界の歴史は歪んだ。
「フェイズ1、コンプリート。」
FWの二人を見やると、彼等は小さく頷きを返した。
世宇子イレブンが倒れた今、これ以上の試合続行は不可能。
36対0、勝者、王牙学園。
その結果を事実として刻み、試合は幕を閉じた。
やがて担架を持った救護班が世宇子イレブンの手当てに取り掛かるが、やはり人数が間に合わないようだった。
私は一番近くに倒れていたアフロディに近寄り、彼に手を伸ばした。
「ナマエ!!」
背後から私を声で制したのは、やはりミストレだった。
一度手を引っ込めて後ろを振り返ると、ミストレとエスカバがそれぞれ違う表情で私を見ていた。
「敵に情けなんざかける必要無いだろ、任務が終わったんだからさっさと帰るべきなんじゃねえのか?」
「エスカバの言う通りだよ。それに、そんな奴どうでもいいじゃないか!」
彼等の言葉に、私は冷淡な声で返した。
「異論があるのであれば、俺を置いて先に帰れ。」
「なっ、」
「何言ってんだよナマエ!?」
二人は私に対して言いたい事があるみたいだったが、私が鋭い眼光で睨めば、彼等は言葉を飲み込んだ。
「"世宇子中"を倒し、フェイズ1を終えた今。彼等は最早"敵"ではなくただの傷を負った人間。怪我人が倒れていれば、手を貸すのは当然のことだ。」
少なくとも、私はそう考える。
だって、こんなのサッカーじゃない。彼等は私達の"戦闘行為"によって傷つけられた、被害者達だ。
私は再びアフロディに手を伸ばし、彼の腕を私の肩にかけた。
「…あっそ、分かった。じゃぁお言葉に甘えて、オレは先に帰る。」
「は?ちょ、おいっ!?」
機嫌を損ねたミストレ、それを追うようにしてエスカバが姿を消した。
私は彼等の行動こそ、チームオーガとしての正しい行動だと思った。
エスカバの言った通り、情けなど必要ない。
もしかしたら、後々バウゼン教官に咎められるかもしれない。
そんなことを考えていると、誰かが私の肩に手を置いた。
見上げると、そこには小さく笑ったサンダユウの顔があった。
「あんま気にすんな。俺はナマエのそういうトコ、いいと思うぞ?」
ぽんぽんと私の肩を軽く叩くと、彼は近くに倒れていた平良に自身の肩を貸していた。
「…立てるか?」
そう聞けば、アフロディは私に体重を任せたままゆっくりと立ち上がった。
私はなるべく彼に負担をかけないようにと体勢を変え、その身体を支えた。
「…何故だ…我々は神、いや、神をも越える力を、手に入れたはずなのに…。」
耳元から、そんな言葉が聞こえた。
「…楽しかったか?」
私がそう聞けば、彼は虚ろな瞳で私を見た。
「薬物服用という罪を犯し、偽りの神となった夢は楽しかったかと聞いている。」
「……。」
「神を越える力と言っていたが、そもそも神などという物は、人が生き縋るために作った虚像に過ぎない。」
私は感情を表に出すこと無く、淡々と言葉を述べた。
「お前達の敗因は、己が持ちえる本来の力…いや、自身を信じなかった点にある。大した努力もせずに馬鹿な水に溺れ、偽りの力を得た。積み重ねによって得ることの出来る、真の力を目覚めさせようともせず。足に腕に、痣一つとして無い、美しいままの自分を過信した。」
「…違うよ。」
「違わない。」
インカムの通信は切ってある。私達の会話が未来に届くことは無い。
「神になろうなどという愚かな夢は捨てろ、強い"人間"に成れ。君はただ自らの力を誇示するためだけに、フィールドに立っていたのか?」
彼の紅茶色の瞳には、薄らと涙が滲んでいた。
「……違う。」
彼はおそらく、自らの過ちに気付いたのだろう。
私は少しだけ柔らかな声音で、聞いた。
「亜風炉照美。サッカーは好きか?」
返事の代わりに、彼は私の服を掴む手に力を込めた。
うつむいて下を向く顔から、汗とは違う滴が芝の上に落ちた。
*
帰還した私に、提督や教官はただご苦労だったと言っただけだった。
先に帰った2人はもう自室に戻っているらしく、後で声をかけておこうと思った。
「…余計な手間をとらせた、すまない。」
報告を済ませた後、私は自身の後に続くメンバーに声をかけた。
「…謝る必要は無い。」
「俺達はあんたに従うだけだぜ、隊長。」
ジニスキーとドラッヘが小さく笑った。
「……各自部屋に戻って構わない。一時間後に練習場に集合、明日のミーティングを行う。」
*
空いた時間に、私はミストレの部屋に行くことにした。
「ミストレ、俺だ。」
部屋のインターフォンに向かって話し掛けると、返事も無く扉が開いた。
勝手に上がれということらしく、私はミストレの部屋へと足を踏み入れた。
「……何か用?」
「先程の件についてだ。」
ミストレは私服に着替え、私に背を向けた状態でベッドに横になっていた。
ミストレがこちらを向くことは無く、私も一定の距離を保ったまま、膝を折らずに話を続けた。
「教官に咎められはしなかったものの、俺がミッションから外れた行動をとったのは事実。本来であれば君達が正しい。隊長という立場でありながら、正論を言う部下を非としたこと、君の機嫌を損ねる様な態度をとってしまったことを、謝りに来た。」
「……。」
ミストレの背中が少し縮んだ。
「…そんなこと言うために来たの?」
「ああ。」
正直、ミストレーネ・カルスが私をどう思っていようと、彼の機嫌が良かろうが悪かろうが、どうでもいい。
しかし、チームメンバー同士の間に亀裂が入るのはミッションの遂行に好ましくない。
勝敗は決まっていようとも、私はそれまでの"流れ"も完璧にこなさなければならない。
ミストレーネとエスカとは、三人で協力技を打つ必要がある。そうでなければ、円堂守の新たな必殺技を引き出すことが出来ない。
「別に、君がミッション外の行動をとったことなんか気にしてない。」
「…そうか。」
けれど、ミストレの口調は相変わらず尖ったままだ。
これでは解決したことにならない。
「だが、君はまだ俺に対して嫌悪を抱いている。その理由が知りたい。」
「ぇ……はは、何それ。」
ミストレが自嘲気味に笑った。
「嫌だね、言いたくない。」
「しかし、」
「ナマエは悪くない…オレが勝手にいじけてるだけなんだ。だから気にしないで?」
「…そうか。50分後に練習場に来い、明日のミーティングを行う。だが体調が悪いのであれば、」
「ううん、行くよ。」
「…分かった。」
ミストレの返事を聞き、私は部屋を出ようとした。
「…どこ行くの?」
ミストレが身体を起こして私を見た。
「エスカバの所だ、彼にも謝罪をしに行く。」
私が後ろを振り返ってそう言うと、ミストレーネはまた不満げに口を尖らせた。
「ここにいて。」
ミストレは上目遣いで、私を制するような強い口調で言った。
「それは出来ない。」
…面倒な奴。
親衛隊はいても男友達いないから寂しいのかよ。
「どうして?」
「必要性が無い。」
ねだればなんでも思い通りになるとでも?これだからモテるナルシストは。
さっきエスカバの所に行くと言っただろうが。それに私だって休む時間位欲しいし…。
…自尊心の強いお前といると、妙に緊張するんだよ、ミストレーネ・カルス。
エスカバの言う通り、いつ寝首をかかれるか分からない。
私が前を向いて足を動かそうとすると、ミストレが再び口を開いた。
「シュークリームあるよ。」
「……。」
おい私、何故足を止める。
「ナマエ〜、一緒に食べようよぉ?」
ミストレがベッドから降りて私の腕を掴んだ。
「……。」
どうする。
どうするんだ、私。
シュークリーム…食べたい。
いや、すごく食べたい!
でもエスカバの所に…しかしこの機を逃しては……。
「……10分。」
ぼそり。
口が勝手に動いた。
それをしっかりと聞いていたミストレはにっこりと笑い、
「うん、待ってる。」
そう言って私の腕を放した。
優しい鬼神
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