次の日の放課後、ミストレとエスカバは約束通りに闘技場へとやって来た。
まずはこの二人にサッカーの技術を身に付けてもらう必要がある。
王牙内において、今まともにサッカーの知識及び技術を持ち得ているのは私ただ一人だ。私だけでメンバー10人に一気にサッカーを教えるわけにもいかないし、当然コーチを雇うなんてことも出来ない。それにザゴメルについては、ゴールキーパーとしての特訓を行わなければならない。
「君達二人にはただちにサッカーをマスターしてもらう。」
と、ひと通りの流れを終え、私は"台詞"をこなせたことに対し息をついた。
さてと、これからどうすればいいのか…。
「…あ、そうだナマエ。」
「?」
それまで怖い位に瞳をギラギラさせていたエスカバの調子が元に戻った。
「昨日はその、なんか悪かったな。」
エスカバはばつが悪そうに頭をかいた。
「いや…特に不快には感じていない。…それともやはりベッドに運んだ方がよかっただろうか?」
「いやそれはさすがに!!」
私が真剣に問うと、エスカバは全力で否定していた。
「ちょ、ちょっと待ってよ。え、何、ナマエ昨日の夜エスカバの部屋にいたの?嘘でしょ!?」
「事実だが…それがどうかしたのか?」
私がそう言えば、ミストレは目を見開いて体を硬直させていた。
「な、何しに行ったの…?」
「……。」
ミストレのその質問に、闘技場内には沈黙が流れた。
ケーキを食べに、なんて口が裂けても言えない。それは"彼"のイメージからかけ離れている、あくまで甘い菓子が好きなのは"私"だ。
いや、もしかしたら本当に好きなのかもしれないけど…。
ともかく、今こいつにだけは絶対知られたくない。
ミストレーネ・カルスに弱みを握られては、いろいろと厄介だ。私の心情を察してか、エスカバも変な方向に視線を逸らしている。
「何で二人共黙っちゃうの?まさか、オレに言えないようなことでもしてたの!?」
「ばっ、おま、そんなわけねーだろ!!」
いや言えないようなことったら言えないことなんだけど…。
とりあえずこの状況を何とかしないと。
「ミストレ……あれだ、その…昨夜はエスカバの課題を…。」
歯切れが悪いっ!!
「そ、そうだ勉強!勉強見てもらってたんだって!!んで昨日は俺んトコ戦闘訓練三時間ぶっ通しだったろ?途中で疲れて寝ちまって…」
エスカバが必死にフォローしてくれてはいるものの、彼を見るミストレの目は冷たい。
どうしたものか…。
「つーかお前何を疑ってんだよ!?男同士でんなことあるわけねーだろうが!!」
「だ、誰も肉体関係の有無なんて聞いてないだろ!?これだから思春期のお子様は!!」
「誰がだ!」
「やるのかいエスバカ?今度はオレが君の鼻を潰してあげようか!?」
……。
話が逸れてくれたのは嬉しいが、早いところ練習を始めたいのだが……。
*
3日後、王牙学園内グラウンド。
2人のサッカーも大分様になってきた。流石というか、感心を通り越して恐ろしい。
必殺技の開発までには至らなかったが、ここまで出来れば他のメンバーの見本となるには十分だ。
オーガとなるべき生徒の名前は、既にヒビキ提督に提出済みだ。
おそらくは明日にでも百対一の"テスト"が行われるだろう。
「明、日……。」
ああ、そうか、もう……。
「?、ナマエ、どうかし…!?」
私の顔を覗いたミストレは何故か目を見開いて驚き、言葉を失っていた。
「…すまない、少し抜ける。」
「ぁ、待って!!」
私が携帯を持って練習場を出ようとすると、ミストレが咄嗟に私の腕を掴んだ。
異変に気付いたのか、エスカバもボールを置いてこちらを見ている。
「…何だミストレ。」
「どこ行くの?」
「君には関係ない。」
悪いけど、今はミストレとまともに話せる気分じゃない。
「そうだけど、君が練習を抜ける程の用事って何なの?」
「……。」
訳が分からない。
どうしてこいつはこうも私に突っ掛かってくるんだ。
「ミストレ、」
「?」
「悪いが、君にそれを教える必要は無い。君は確かに共にミッションをこなす仲間だ。」
仲間?
違う。ミストレもエスカバも、私が原作に沿う為の駒でしかない。
「しかし、それだけだ。…余計な干渉は不愉快なだけだ、ミストレーネ。」
無理にミストレの腕を解き、私はその場を後にした。
*
「…っ、何だよそれっ!!」
ナマエが練習場から出て行った後、ミストレは足下にあったボールを力任せに蹴っていた。
「どうかしたのかよ?」
「、ナマエが!!」
俺が聞けば、ミストレは歯を食い縛って俺を見た。
「ナマエが…すごく悲しそうな顔してた。あんなの、オレが知ってるナマエじゃないよ。」
「知ってるも何も、まだ関わって1ヶ月も経ってねえんじゃねえの?」
正しいことを言ったのに、何故か睨まれた。
「余計な干渉は不愉快だって!?こっちは心配して言ってあげてるのに!!」
ミストレは声を荒げて壁を殴った。
「携帯、持ってったし…。」
ドリンクやタオルをそのままにしておいたということは、そのうち戻って来るのだろう。しかし携帯を持って行ったということは、教官以外の人物と連絡をとるため。しかも俺達には聞かれたくない内容。
まああっちにもあっちの都合ってもんがあるだろうしな…。
「…なぁんか悩み事でもあるみたいな顔してたけど、どうしたんだろ。」
「さあな、好きな女でも出来たんじゃねえの?」
冗談半分で言ったつもりだったのだが、ミストレは綺麗に結われた頭を抱えて"あり得ない!"と叫んだ。
「…よし。」
「何?」
まあ正直なところ、俺も気になるっちゃ気になるんだよな。
「つけるか。」
「はぁ!?何言ってんの、ナマエが自分のこと尾行してる奴を気付かないはずないだろ!!」
「けどお前も気になって仕方ねえみてぇだし?」
「……。」
「決まりだな。」
まだそう遠くへは行ってないはず。
*
「悪いな、急に呼び出して。」
「構わないって。で、頼みって何だ?」
練習を抜けた私は、自室にサンダユウを呼び出した。
「…写真を撮ってほしい。」
「写真?」
「ああ。自分では上手くいかなくてな。……明日、俺は額に王牙の紋章を刻む。」
「な、マジかよ!?」
あの刻印を得ることは、王牙に名を連ねる者にとってこの上なく栄誉のあることだ。
しかし、私はそれがあまり嬉しくはなかった。
代用品という認識の無いままに得たものであったなら、あるいは心の底から喜んだかもしれない。
「光栄ではあるが、肌に色を置くんだ。親にもらったこの顔に…。」
もしかしたら、一生消せないかもしれない。
私からしてみたら、顔に大きな傷跡を刻むようなものだ。
「小さいかな、こんなふうに思うなんて…。」
口に出すつもりなんてなかった。
けれど胸から零れた言葉は、喉を通って声になった。
私の呟きが聞こえたであろうサンダユウは、何かを言い掛けた後ににかっと笑った。
「よし、ナマエ、笑え!」
「え?」
携帯のカメラをこっちに向けたサンダユウは、明るい顔をしていた。
「写真、撮るんだろ?」
「ぁ、ああ。」
「なら、やっぱり笑ってた方がいいだろ?ほら、ナマエ。」
少し抵抗はあったものの、私の口元は自然と緩い弧を描いていた。
*
「あれって…」
「サンダユウじゃねえの?」
エスカバの提案で尾行を開始したはいいものの、ナマエは自室に戻っただけ。
暫くすると、隣のクラスのサンダユウ・ミシマがナマエの部屋に入って行った。
「ナマエが呼んだのかな?」
「それしかねえだろ。」
ナマエが部屋に他人を呼ぶなんて、一体どんな用事なんだろう。
そんな事を悶々と考えているうちに、サンダユウがナマエの部屋から出て来た。
「サンダユウ!」
そこから少し離れたところで、エスカバが彼に声をかけた。
「エスカバ?ミストレも…お前等こんなところで何やってんだ?」
「それはこっちの台詞。君こそナマエの部屋でなにしてたのさ。」
オレがそう聞くと、サンダユウは言葉を濁らせた。
それでもしつこく追及するとついに折れてくれたようで、サンダユウは一言、写真を頼まれたんだよと言った。
「写真?」
「あー…うん。」
「見せて!」
「いやそれは…。」
「俺も!なっ、いいだろ?」
2人で手を合わせてお願いすると、サンダユウは携帯を取り出した。
「まあ、ナマエに何も言われてないしな。」
「やった!」
画面を覗けば、そこにはカチューシャで前髪を上げたナマエが小さく笑っていた。
「…なあ、これ送ってくんね?」
「はぁ!?」
「あ、ずるい!オレも欲しい!!サンダユウ、送って!!」
交渉の末、俺達はナマエには内密にその画像を手に入れた。
まあ、その後グラウンドに先に戻っていたナマエに、練習を抜けたことを咎められたのは言うまでもないんだけど。
*
「ナマエ。準備はいいか」
闘技場最上層、強化ガラス越しにバウゼンが私を見下ろしてそう言った。
「いつでも」
複数の浮遊装置が、私を見ている。緊張のせいか、それがなんだか人の眼球にも見えて気持ち悪かった。
バウゼンが何か言っている。彼の言っていることはあまり聞き取れなかったけど、自分が何を言えばいいのかは分かる。
「では自分は五分以内に」
大丈夫、出来る、出来る。
「ほう。大きく出たな」
当然。
「……。」
腕をだらりと下げ、瞳を閉じる。
張り詰めた空気の中、突然現れた百の殺気。一切乱れの無い完璧な動き。だからこそ一撃で倒しやすい。
「……。」
敵、敵、自分以外全部敵。
怖い、怖くてたまらない。
失敗も痛みも、何もかも。
だからこそ、
「だからこそ…」
できる。
己を追い詰め、その恐怖を払おうと自己の能力を高めることが。
極限状態の中で醒める力を発揮することが。
「……。」
目を開くと、鋭い殺気の槍が私を襲った。
怖い、怖い。
怖いから、排除する。
撃つべき一点を見極め、私は右脚を蹴り上げた。
空間の反転。
一瞬で、そこに立つ者は私1人となった。
「見事だ。ナマエ・スリード」
バウゼンの声がした。
上を見上げれば、彼と視線が交わった。
「やはり我が部隊を率いるのは、お前だ。」
……違うよ、本当は。
私じゃない。
「この一撃、まさに必殺技。誇り高き王牙学園の紋章を額に刻む栄誉を与えようではないか」
その言葉が、私の脳内をぐるぐると回った。
額に刻む栄誉、与えよう、王牙学園の、額に、刻む……。
「栄誉……。」
額に紅い光が注がれる。
私は目を瞑ってその光の熱に身を委ねた。
――鬼が、私の額にキスをした。
「……ありがとうございます、教官。」
それはとても光栄なこと。
熱いはずの右足は、何故か冷たく感じた。
額に刻まれた口付け
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