*
なんて円滑に事が運ぶのだろう。
私は王牙学園校舎内にある人工芝の敷き詰められたグラウンドで、よく知る"80年前"のサッカーボールを手に思考を巡らせていた。
「お前は、この時代を牽引するために生まれてきたのだ。」
ドレイス・バウゼンの言葉を思い出し、私は瞳に陰を落とした。
違う、"私"はそんなものの為に生まれたんじゃない。
その言葉は私に向けられたものではない。
私に、誰かの代わりに世界を動かすことなんて、出来るわけない。
私は"彼"みたいに国の未来を憂い、時代に確変を起こそうなんていう志は抱いていないのだから。
「"俺"は、このまま代用品として国の統率者となる道を辿るのだろうか。」
……止めよう、今はミッションに集中しないと。
オペレーション・サンダーブレイクのことは、まだ私にしか知らされていない。
ボールを手から滑らせ、軽いリフティングをしてみる。まずはボールを足に馴染ませなければ。ミッションもサッカーが上手くないことには始まらないし、チーム練習を始める際に、リーダーである私がグダグダでは示しがつかない。
「……。」
想像したらまた冷や汗が出た。
気を紛らわすように足に力を込め、ボールを思い切り蹴った。
ボールは壁にぶつかり、弾けた。
「…そろそろ終わるか。」
ボールを片付けて、吹き出た汗をタオルで拭いた。空調はあえて切ってある。ミッション本番は野外で行われるのに、屋内の快適な環境下におかれていては訓練にならないからだ。
表面上、王牙学園はサッカーは禁止しているので、このグラウンドも秘密理に作られた。立ち入りを許されているのは、私とヒビキ提督含む一部教官達だけ。
だから廊下に出た途端、ミストレと出会ったのは予想外だった。
「やあ、お疲れ様。」
「…何をしている。」
「別に?君こそ何してたの?ここ、カードキー無きゃ入れないはずだけど。」
「持っているのであれば問題は無いはずだ。」
私が教官に渡されたカードキーを見せると、ミストレは眉をひそめた。
「何それ…ずるい。」
「用が無いなら失礼する。」
「ちょっと待ってよ。」
「何だ?」
ミストレの顔はもうすっかり元通りとなり、傷痕一つ無い綺麗なそれに戻っていた。
ミストレとはあの日以来話していないし、こんなシーン知らない。
てっきり私が二人を闘技場に呼び出すまで接触はないものだと考えていたから、彼が何を言ってくるのかは見当がつかなかったし、私はまだミストレーネ・カルスが怖いままだった。
「君、最近トレーニングルームに来ないけど、どうかしたの?それに、何で君がこの部屋のカード持ってるの?ここって一体何?」
ミストレの質問攻めに、私は短く息を吐いた。
質問であれば、ただそれにあった答えを返せばいいだけだ。
「トレーニングルームに行かないのは、単に時間が無いから。俺がカードキーを持っているのは、教官にここを使うようにと使用許可を得たからだ。最後の質問にはまだ答えられない。」
王牙学園内にサッカーグラウンドがあることは、まだ話しては駄目。
ミストレは私の返答に対し何故かその大きな目を輝かせ、私に詰め寄った。
「まだ、ってことは、近いうちに教えてくれるの?」
「ああ。君は、必要だからな。」
必要、という言葉は、私にとっては原作に沿うためにという意味だ。
しかし私の顔を覗き込んでいたミストレはその言葉に機嫌をよくしたようで、弾んだ声を出した。
「よく分かんないけど、"必要"ってことはつまり、君はオレを認めてくれたんだ。」
「認めるも何も、君はこの学園において俺を除けば最も優れた人間だろう。正式な数値としても表れている。」
「その言い方は気に食わないなぁ。…まぁいいや、ちゃんとオレも君には適わないって自覚してるしね。」
ミストレが左の結髪を弄りだした。
「それで、いつ教えてくれるの?」
「……。」
ミストレは恐らく、私が何らかのミッションを任されているということに感付いている。流石というか、鋭い奴…。
でも、私もそろそろ話を切り出す頃合いかと考えていたところだ。
「明日の放課後、エスカバと二人で闘技場に来い。話はそこでしよう。」
「エスカバも?」
「ああ。」
ミストレは自分一人でないことに少々不満気であったようだが、すぐに了承の返事を返した。
*
ミストレと別れた後、部屋に戻ってシャワーを浴びた。
練習の疲れと汗を、暖かなお湯が流していった。
自分の腹をなぞると、前世の私には縁の無かった筋肉の線が嫌でも分かった。
腹筋だけじゃない。足も腕も、今の私の肉体は一般女性のそれとは掛け離れ、一切の無駄の無い、スポーツ選手の完成された身体に近いものとなっている。
…入学当初はもっと細かったし、筋肉だってそんなに無かった。
王牙学園での生活は、確実に"私"を削っていった。
*
「…うわ。」
部屋にある小さめの冷蔵庫を開け、私の口からは柄にもない声が出てしまった。
飲み物を切らしてしまっていたのだ。
水を飲めば済む話ではあるが、私はどうしても糖分が欲しかった。
時計を見ると、ディスプレイにはPM21:00とあった。
先程サッカーを練習していた時間帯は、夕食終わりの自由時間に位置する。ミストレはおそらく、取り巻きの情報網で私の居場所を突き止めたのだろうな。
自販機で炭酸飲料でも買いに行こうと、私は携帯と自室のカードキーを持って部屋を出た。
ドリンクの自販機は寮内の至るところに設置されているのだが、私はわざわざロビーへと下りて行った。
というのも、私が一番好きなジュースがそこにしかないというのが主な理由だ。
それにロビーにはゼリーの自販機だってある。
この時間帯はロビーにあまり人はいないし、というかそんなこと関係無しに私が何を買おうが私の勝手。
正直この世界、いや、ここでは美味しい物食べてる時が一番幸せだと感じる。
いわゆる唯一の至福の時間。
味覚の好みは前世と一緒で、今でもお菓子やデザート等の甘いものが好きだ。
ただ、最近は私の"イメージ"を崩さないように自粛しているのだが…。
「……はぁ。」
携帯の電子マネーで炭酸飲料を購入し、私は浅いため息をついた。
ケーキ食べたい。けどゼリーで我慢しないとなぁ…葡萄にするべきか、白桃にするべきか……ぁ、杏仁豆腐入り……悩みどころだな、どうしようか。
「あ、ナマエ。」
「っ!?」
エ、エスカバ。
…見られた?
ゼリーの自販機の前で真剣に悩んでるとこ見られた??
「何だよそんなに驚いて。」
笑っているエスカバに対し、私は動揺を隠そうと必死だった。
「な、何でもない。」
炭酸飲料、というかメロンクリームソーダをさりげなく背に隠してその場を立ち去ろうとしたのだが、私はエスカバの左手にある白い箱に目を奪われてしまった。
「…エスカバ、それは?」
私が箱を指差して言えば、エスカバはああ、これか?と箱を持ち上げた。
「さっきミストレに押し付けられた。女子に貰ったらしいんだけどよ、今調整中だから無理なんだと。」
「ほぅ。」
私の視線は依然箱の中身へと注がれたままだ。エスカバはそれに気付いたのか、ひょい、と腕を伸ばして箱を移動させた。
…反射神経とでも言うのだろうか?
私の目も箱を追って動いてしまった。
私は心の中でしまったと思ったが、時既に遅し。エスカバは私と目が合わない様に横を向いて小さく笑っていた。
私は自分の背中に冷や汗が滲むのを感じていた。
エスカバはそれから、「一緒に食うか?」と私に笑いかけたので、私はしばらく考えてからゆっくりと頷いてしまった。
*
「…途中計算を間違えているぞ。しかも左辺が2乗であることを忘れている。」
「あ、マジかよ。」
私は現在進行形で、エスカバの自室でフォークとショートケーキの乗った皿を手に彼の勉強過程を見ていた。
なんでも今日彼のクラスで出された課題らしく、提出期限が明日なのだそうだ。
テーブルの隅には彼がケーキを食べ終えた皿とフォークが寄せてあり、私は食べたらさっさと片付けるべきだろうにと思っていた。
箱には種類の異なるケーキが3つ入っており、2つ私がいただくことにした。誘惑にはどうしても勝てなかった。
先程購入したペットボトルの蓋を開けると、エスカバがペンを止めてこちらを見ていることに気付いた。
「…何だ?」
眉をひそめてそう問えば、エスカバははっとしてそれに答えた。
「いや、なんつーか…意外だなって思って。」
それを聞いて、私はぴしりと固まった。
「どういう意味だ。」
「べ、別に悪い意味で言ったわけじゃねーよ!」
私が真相を問うと、エスカバはおずおずと私の手にあるメロンクリームソーダを指差した。
「お前、随分と可愛い飲み物飲んでんだな…。」
「……。」
「ゎ、悪ぃ。」
瞳に鈍い光を宿して睨んでやると、エスカバはさっと下を向いて再びペンを走らせた。
「そういえば…。」
私は二つ目のケーキにフォークを刺しながら口を開いた。
「ミストレには聞いたか?」
「ああ。明日の放課後、だろ?」
エスカバは課題に向かったまま答えた。
どうやらミストレはきちんと伝えてくれたらしい。
「…なあ、今話せねえの?」
室内に二人しかいないことから、エスカバは私の目を見てそう言った。
「駄目だ。」
それでは原作に沿えない。あくまでもエスカバにミッションのことを伝えるのは"ある日の放課後"、しかもミストレも一緒でなければならない。
「君も王牙の生徒なら分かるだろう。…アレはSクラスの極秘事項だ。世間はおろか、政府でさえもその事実を知らない。携わる人間にも、しかるべき場所と時間に伝える必要がある。」
二つ目のケーキを食べ終えた私は、二人分の食器を持って立ち上がった。
「あ、置いといて構わねえぜ?」
「いや、今回は俺が君の邪魔をした形になる。これ位はさせてほしい。」
「邪魔ってか……別にいいのによ。」
ご馳走になったのだから、食器を洗うことなんて当たり前だ。エスカバのお陰で久々のケーキにもありつけたことだし。
壁に備え付けの食器洗浄機に入れるにも、皿2枚とフォーク2つでは手で洗った方が水道を無駄に使わないで済む。
部屋着の袖を捲って食器を洗っていると、なんだか懐かしい気持ちになった。
前世の私は、よく母さんの手伝いでこうしてお皿を洗ったなぁ、と思い出してしまったからだ。
少しの間、蛇口から落ちる滴を見つめていた。
ポタポタと落ちるそれは、徐々にその速度を落とし、やがて止まってしまった。
「…エスカ、バ…。」
「……。」
寝てる、だと?
この短時間でか。
君は俺に対して少々気を許しすぎなのではないか?
…そう言っても聞こえないだろうから、心の中で唱えるだけにした。
机に伏したままの寝顔を確認する。…ああ、これは確実に寝ている。
広げられたままの課題を見てみると、粗方終わっているようだった。これなら明日の朝に仕上げれば余裕で間に合うだろう。
起こすのも忍びないが、この体勢で寝てしまってはかえって身体を痛めてしまう。
私は彼のベッドから枕と掛け布団を持ってきて、枕を床に置いた。
エスカバの肩を掴み、起こさないようにゆっくりと上半身を床に倒す。
頭がつくであろう位置に枕を置いたので、エスカバの頭は計算通りに枕に沈んだ。
私は机を退けて彼に布団をかけ、目覚ましのアラームの確認、更に電気を消してから部屋を出た。
未知なる交流
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