「……あー、なるほど。」
分かった、これは夢だ。
おろした濃緑色の髪を掻き上げながら、オレはため息をついた。
何時もの様に夜間のトレーニングを終え、部屋に戻った時には何も無かった。
けれど、オレが風呂に入っている少しの時間。その間に、部屋には信じがたい変化があった。
「……。」
…ナマエが、オレのベッドで寝てる。
黒いハーフパンツと白いTシャツ。薄い生地なのか、下に着ているタンクトップが透けている。
夢でないとすれば新手のバーチャルか何かかと思ったけど、近付いて見た限り間違いなく本物。
「ナマエ?」
「……。」
膝を折って声をかけても、聞こえてくるのは規則正しい寝息だけ。
「っ、何これ……。」
風呂上がりに自分のベッドの上で好きな子が無防備に寝てるのに、手が出せないとか…どんな拷問だよ。
まずい、自制が効かなくなる前になんとかしないと。
「っあーもう、ナマエ!!」
「?」
大声で名前を呼べば、ナマエは目を開けた。
「……あぁ、ミストレ…うっかり眠ってしまったか。」
ナマエは横になったまま目蓋をこすっていた。
ちょ、可愛いからやめて、ホントまずいから。
「まったくだよ!ったく、いくら最強だからって男の部屋で無防備にしない!!」
オレの忠告を、ナマエは特に関心も無さそうに聞き流していた。しかも、目を覚ましたくせにナマエは一向にベッドから降りようとしない。
「…ねぇ、どういうつもり?」
そう問いかけても、ナマエはじっとオレの顔を見つめているだけだった。
その視線に耐えられなくなったオレは、ナマエから目を逸らして強くシーツを握りしめた。
「……いつまでもそうしてるなら、襲っちゃうよ?」
「…別に、構わない。」
「!?」
オレの呟き対して返されたであろうナマエの言葉に、自分の耳を疑った。
勢い良く視線を戻せば、ナマエはさっきと変わらない表情でオレを見ていた。
「い、今なんて言った?」
「だから、構わないと言った。」
「だ、だってナマエ…」
「くどい。」
少しむっとした表情を見せたナマエに、オレの心臓は有り得ないくらいに高鳴った。
すぐにでも組み敷きたかったけど、引かれたくないからできるだけ落ち着いた態度をとろうと思った。
縁に座ったままだと不便だから、膝をベッドに上げてナマエに跨った。
ゆっくりと顔を近付けて、頬を撫でる。
…うわあ、本物だ。
ここまで来て、今更夢オチとか無いよね?
一抹の不安を抱えながら、その指先で首筋を撫でる。表情は変わらずとも、眉がぴくりと動いたのが分かった。
多分初めてだろうから、できるだけ優しくしてあげたいんだけど、正直オレも余裕が無い。
ナマエのTシャツの裾に手をかけた、その時だった。
「ミストレー、お前忘れ物してっ!!!?」
「げ!?」
突然の来訪者は、エスカバだった。
室内の状況に、いつもの彼なら顔を真っ赤にして扉を閉めるところなのだが、今は冷たい目で口元を引きつらせていた。
「ミストレ、これは一体どーゆーことだ?」
「ど、どーもこーもないよ!早くどっか行って!!」
「うおっ!!!?」
上半身を起こして枕元の引き出しから取り出したナイフをエスカバに向かって投げ、それを防がんと扉が閉められた瞬間にセキュリティリモコンのディスプレイを表情させて鍵をかけた。
オレの下で、ナマエが呆れたように小さく息を吐いたのが分かった。
何事も無かったかの様に再びナマエの顔の横に両手をつき、事に戻ろうとしたのだが。
「…駄目だな。」
「え?、っ!?」
ナマエは小さくそう言うと、オレの右足に脚をかけて両肩を掴み、盛大に床に突き落とした。
突然のことで受け身が取れなかったことが悔しかったが、それ以上にナマエに拒まれたことが残念でならなかった。
背に走る痛みと期待を裏切られたというショックのせいで、少し目頭が熱い。
涙目になりかけながらも、ベッドの上にいるナマエを見上げれば、彼女は上半身を起こし、いつもより不機嫌そうな顔をしてオレに言葉を放った。
「不合格だ、ミストレーネ・カルス。」
……なにそれ。
*
「改めて聞くけど…不合格って、何が?」
「つーかなんでミストレの部屋にいたのか、そこから説明しろ。」
現在進行形で、オレ達はエスカバ込みで部屋のテーブルを囲んでいた。
「…一から説明するとすれば、長くなる。」
「いーから!」
エスカバが机を叩いた。
細かな記憶まで思い出しているのか、ナマエは少し眉間に皺を寄せて話し始めた。
「…私が王牙学園を離れるのを思い止まった日から約二ヶ月が経過した。その間、私は徐々に女らしくあろうかと努力をしていたわけなのだが、その甲斐あって私にも親しい女友達というものが出来たわけだ。」
確かに、ここ最近ナマエは変わった。まあ、実際目に見える変化と言えば、私服のバリエーションと一人称くらいなんだけど。
「個人の名前は出さないが、その友人の一人がミストレーネ・カルス、つまりは君を好いているらしく、私はミストレ君と仲良くなるにはどうすればいいのかという質問をされた。」
「ほー…。」
「……。」
「しかし、私とミストレが交友を深めたきっかけと言えばぶっちゃけオペレーション・サンダーブレイク以外の何物でもないわけだ。まさか鼻を砕けと言うわけにもいかない。」
「まあ、確かにな。つーかそれ出来んのお前だけだから。」
淡々と話し続けるナマエに、エスカバは目を細めて言った。
「というか、それ以前に、私はミストレーネ・カルスと異性としての交友関係を持つことをあまり推奨しない。」
「え、ちょっと待ってそれどういうこと?」
つまりナマエはオレを友人としては好きだけど"男"としては嫌いってことなの?
「…君は異性交遊が粗雑過ぎる。」
「あー。なんつーか、来るもの拒まず去ろうとするものもしっかりキープの無法地帯だよな。」
そんなことないよと言いたかったけど、この時ばかりは二人の言葉が重く背にのしかかった。
「ミストレの悪い点を思い付く限り上げてみたのだが、なかなか引き下がらなくてな。…あと少し、最後の一押しが足りなかったんだ。」
「鬼かお前は。」
「やめてよそんな悪口みたいなの!!」
「そこで、私は彼女に一つの提案を持ちかけた。」
「?」
「事実、私はこの学園において女子力というものがダントツで低い。」
「……えっと、」
「いや、そーとは言い切れな…」
「世辞はいらん。ともかくだ、その私ごときの安い挑発に乗っているようでは、ミストレの女癖はもう度を越えていると判断し、彼女には親衛隊で甘んじてもらうという約束を果たすためにこうして行動に出たわけだ。
事態は把握したか?エスカバ。」
「おう…まあ。」
なんだろう、ナマエのオレに対する認識って何?
ていうか今回の件でナマエはオレのこと女癖が度を越えてるって判断しちゃったわけ?それはちょっといただけないなあ…。
そう思っていながら、どうにも弁解の余地が見当たらない。
こんなことなら夢の方がまだマシだったと思う。
「不合格って、そういうことか。」
オレはがっくりと肩を落とした。
「用件は済んだ、私はこれで失礼する。ミストレ、邪魔したな。」
「ま、待ってナマエ!!」
咄嗟に、オレはナマエを呼び止めた。
「もし…オレが、"ナマエだから"そういう気持ちになったんだって言ったら、どう思う?」
その問いに、ナマエは顔を顰めた。
そして放たれたのは、氷柱の様に冷たく鋭い言葉だった。
「…両性愛者なのかと疑う。」
ボーイッシュにも程があるだろう。
そう呟いたナマエは、スタスタと部屋を出て行ってしまった。
「……どうして。」
残ったエスカバ相手に、オレは声を張り上げた。
「どうしてオレだけいっつも損な役回りなのさ!?」
「いや知らねえよっ!!」
どれだけ自分を女性として過小評価してるんだ。ナマエは自分の魅力に気付いていない。
「男は皆狼だなんて言うけど、流石にライオンは食えねえよな。」
エスカバがからからと笑った。
枕に残るナマエの残り香に、オレはどうしていいか分からなかった。
狼と獅子
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