「……。」
怠い。
何もしないとかえって疲れるものだなぁ。
背を預ける壁も、抱えている膝も、堅い。
皆今頃何してるんだろう。
っていうか私何でこんなこと気にしてるんだろ。
…彼等のことは、極力考えないようにしていた。
彼等と過ごした時間を思い出すと、何故か胸が苦しくなった。
おかしいな、それほど深い交流は無かったはずなのに…。
白と薄く濁った青。この部屋にある色はたったそれだけ。つまらないなぁ。
今日で、えっと…4日目?
なにもしていないといっても、別にすることがなくて暇、ということではないのだ。
謹慎…っていうか軟禁?まあどっちでもいいか。とりあえず私が学校生活に戻る頃にはもうテスト当日っていう馬鹿げた日程らしく、室内にある机の上には充分すぎる程の教材が用意されていた。
6割方済ませているそれらのうちの1つに手を伸ばし、空間上にディスプレイを出現させてデータを読み込ませる。表示された数学の問題を適当に片付け、飽きたところでディスプレイを閉じた。
ああ、ろくに勉強する気も起きない。
まるでテストを片付けた後の休日のようだ。
つい数日前まで提出課題に追われていたのが嘘のように、何もすることが無いのだ。テスト前は、テストが終わったら思い切り遊びたい、あれがしたいこれがしたい、いろんなこと考えてたのに。テストの最終日なんかは、友達と一緒にケーキバイキング行ったなぁ。
なんか懐かしい…。
「……どうしよ。」
やりたいことがあったら挑戦する。言いたいことがあったら、言う。
「……。」
うん、次に食事が運ばれてきたら言ってみよう。
「あの、デザートって無いんですか?あ、出来ればフルーツタルトなんか嬉し……え、ぁ、ありがとうございます!」
*
…言ってみるものだ。
フォークに刺さった苺を口に含みながら、私は考え事をしていた。
私は、別に将来軍職に就くことを望んでいるわけでもないし、王牙学園にいる意味も失ってしまった。
頭では分かっていても、きっと私はエスカバ達を避ける日々に胸を痛めてしまうだろう。
ならば、私はもうここにいない方がいいのではないだろうか?
「……。」
今の私の成績と学力なら、国立の上級学園の編入位容易いはず。
それにこの時期であれば、提督や上官達も私を手放すことを仕方がないと考えてくれることだろう。
離れてしまえば、きっと未練も残らない。
なんだか視界がぼやけてきたので、服の袖で目を拭った。
変な違和感を感じると思ったら、目元を拭いた袖はじんわりと濡れていた。
*
一週間ぶりに、私は制服の袖に腕を通した。
鏡に映った自分を見て、少し足が軽くなった。
足、というか、実際物理的に軽くなったのは頭。つまりは髪を切ったのだ。
光の加減によって薄紫に輝く銀の髪は、軽く肩につくかつかない位に短くなった。
薄く透かれた毛先は、歩く度に風に揺れる。度々頬をかするその感覚が、私は好きだった。
部屋を出て校舎へ向かおうとすると、エスカバの姿が見えた。
彼は私に気付くと、いつものあの笑顔で話し掛けてきた。
「よ、久しぶりナマエ!」
最後に交わした言葉があんなものだったため、エスカバの態度の豹変ぶりには驚いた。
「…久しぶり。」
そのため、喉から出た声はあからさまに不自然になってしまった。
思わず足を止めてしまったが、ここから何か話を発展させた方がよいのだろうか。しかし、エスカバと話すことなんか何も…。
「あの、さナマエ…悪かったな、あんなこと言っちまって。」
私が困惑していることに気付いたのか、エスカバは苦笑を浮かべてそう言った。
「ずっと後悔してたんだよな。だから、今日言えてよかった。」
「……。」
私こそごめん。
その一言が、どうしてか言えない。
「ナマエ!!」
「?」
急に大声で名前を呼ばれ振り向けば、そこには息を切らしたミストレがいた。
「ミストレ、どうし、」
エスカバを無視し、ミストレは両手で私の二の腕を掴んだ。
「ナマエ、どうしたの!?」
「ぇ、」
「髪だよ髪!!まさか上官に切られたとかじゃないよね!?一週間も大丈夫だった?何もされてないよね!?」
「ちょ、ミストレ落ち着けって…。」
エスカバがミストレを私から離そうと彼の後ろ首の襟を掴んだ。
よかった。
この様子だと、提督は彼等には手を出さないという約束を守ってくれたらしい。
「何も心配することはない。髪は自分で切ったんだ。それに授業に出ていなくとも学力に支障が出ないよう、充分な環境も整えられていたしな。」
「っ!?……ぅ、ぁ、そう。」
「?」
私が一通りの言葉を言い終えると、ミストレは何故か目を見開いて驚いたような仕草を見せ、即座に私から目をそらした。
「ぃ、行こうエスカバ!!」
「え、いや俺はナマエと…」
「いいから来いよ!!」
ミストレに強制連行されていくエスカバと目が合った。
しかし彼もまたミストレと同じように目をそらし、すぐにミストレの隣に並んで早足で歩き出してしまった。
一人置いて行かれてしまったけれど、特に孤独感は感じなかった。
……と、私の脳は言っていた。
*
「…ねえ、オレおかしいのかな。」
「何が、とはあえて聞かねえでおく。」
オレは現在進行形で、エスカバと寮の廊下を歩いていた。
歩いて、というか、かなり早足。
「ミストレ、お前朝からすっげー顔なってっけどソレ大丈夫なのかよ。」
「知ってるし、大丈夫じゃない。こんな顔じゃあ女の子達に会えないね。我ながら視線で人が殺せそうだよ。君こそ顔真っ赤だけど、大丈夫?」
「全っ然大丈夫じゃねえ…。」
多分、というか絶対。
エスカバは今オレと同じことを考えている。
「……見た?」
「見た見た。」
オレが問えば、エスカバも歩きながら首を縦に振った。
「ナマエが、」
ちっちゃかったけど、ほんのちょっとだったけど。
「…笑った。」
嬉しい気持ちと比例して、悔しい気持ちも大きくなった。
円堂守。
ナマエがオレ達に向かってあんな顔をできるようになったのは、間違いなく円堂守のおかげだ。
ナマエの心を動かしたのは、共に汗を流して鍛練を積み重ねた仲間ではなく、たった一度の試合を交わした敵の男。
オレが触れることすら許されなかった彼の蝋の心臓を、円堂守はいとも簡単に溶かしてしまった。
あの揺らぐ紅玉の瞳の先にいたのも、震える手を取ったのも、あの滝の如く烈しい感情の先にいたのも全部。
オレではなく、円堂守。
向けられた背中に手を伸ばすことさえ出来なかったオレは、敗北して尚その威厳を失わない、10という数字を見つめていた。
オレは、ナマエに何もしてあげられなかった。
「ぁ、謝るの忘れた。」
「あーらら。俺はちゃんと言って来たぜ?」
「別にいいよ、これを口実にまた会いに行けるんだからね。」
「は、何?お前理由が無えと会いに行けねーの?」
エスカバの言葉に、オレは言葉を詰まらせた。
「…まったく、こういう時ばかりは自分の性格が憎らしいね。能天気な君が羨ましいよ。」
「そりゃどうも。」
エスカバになりたいとは微塵にも思わないが、羨ましいというのは本当だ。
変なプライドが邪魔して、用事も無く会いにいくことが出来ない。
隣を見ると、エスカバの顔はまだ赤いままだった。ということは、オレの眉間のシワもおそらくとれてはいないのだろう。
「……やべぇ、俺おかしいかも。」
「その台詞、さっきオレが使ったばかりだよ。」
「そうだけど、よ…ナマエは男だろっ!」
「…信じたくないね。」
他人に対して、こんな感情を抱いたことは今まで無かった。
酷くもどかしく、それでいて愛しい。焦がした砂糖のように、甘くて苦い。
「初恋の相手が男だなんて、笑い話にしかならないね。」
憎々しげにそう吐き捨てれば、エスカバは自嘲気味に「笑えねぇよ。」と言った。
ねえ、君は、
こんなオレ達を笑うかな?
さよならの序章
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