放課後。
フランを迎えにこの教室に来るのも慣れたものだ。しかし物事慣れた頃には大抵終わりの時期が近付いているもので。
特に寂しいというわけでもないが、オレは少々複雑な心境で足を動かしていた。
「フランー、帰……あれ?」
フランの教室に入って、オレは眉をひそめた。
…フランがいない。
いないのに結構大きな声で呼んじゃったよ、あーあ恥かいた。見付けたら頬つねってやろう。
そんなことを思っていると、一人の女の子が声をかけてきた。また何かのお誘いかなと思ってそちらを向けば、そこには案の定頬を桜色に染めた親衛隊の子がいた。
けどまあ、親衛隊の子…なんだけど、確か彼女はフランの友人だったはず。
「あの、フランなら職員室にプリント持ってったよ?」
「あ、そうなんだ。」
どうやら彼女はそのことを伝えたかっただけのようだ。
「教えてくれてありがとう。」
去って行く彼女に、オレは微笑みながら手を振った。嬉しそうに手を振り返すその子の様子は、フランと比べればよっぽど可愛かった。
…さて、これからどうしよう。
ここで待つか、迎えに行くか。
「……待つか。」
机の上に鞄もあるし、そのうち戻って来るだろう。大体、わざわざ職員室まで迎えに行くなんて、まるでオレが早くフランに会いたいみたいで嫌だ。オレが待ってあげてるんだから、ここは普通女の子の方がオレに早く会いたいって急ぎ駆けて来るところだろう。
オレは窓から見えたイチャイチャと一緒に帰るカップルを見て、周りに聞こえない程度に舌打ちをした。
……まあ、正直この時は。
迎えに行っておけば良かった、だなんて、後々後悔することなんざあり得ないと思ってた。
*
「…ミッションコンプリート。」
教官に提出を急かされていたプリント類を片付け、なんとか提出を果たした私は、職員室前で背伸びをした。
うっわもうこんな時間かぁ、ミストレ先に帰っちゃったかな?携帯も教室に置いて来ちゃったし、待ってるとしたら怒ってるよね。
目が笑っていない綺麗すぎる顔を想像して、私は少し肩が重くなった。
しかし帰らないことにはどうしようもない。あまり気が進まないながらも教室に戻ろうとしたのだが。
「フラン・ミョウジだな?」
「……はい、まあ。」
後ろから名前を呼ばれた、嫌な予感しかしない…。
不安を胸に抱いて後ろを振り向けば、そこには男子生徒が三人いた。皆当然の如く私より背が高いし、私の目の前に立っている一人なんか鋭い眼光で私を睨んでいるし、なんかもうやばい凄い怖い。
思わず後退れば、新たに現れた二人に肩を掴まれた。
明らかな悪意が籠もっていてすごく痛い。逃げられないと分かり、下唇を噛んだ。
「…何か用?」
負けじと睨み返してやれば、そいつは口元を歪めて嗤った。
*
はいはい大体予想はつきますよ、ミストレでしょ?どーせミストレ絡みなんでしょ!?分かってんだからな畜生、あの疫病神!!
私は怖い男子生徒五人に囲まれて誘導されるまま歩き、少し涙目になりながらもそんなことを考えていた。
そして辿り着いた先と言えば、男子寮内の一室。多分、この中の誰かの。
…倉庫とかじゃないんだ。
「ここなら防音されてっし、教官が来る心配もねぇからな。」
なるほど、無駄に賢い。
てゆうかですよねー、私の考え方が古典的でしたね。
乱暴に背中を押され、受け身がとれなかった私は床に倒れてしまった。
うわ膝打った、地味に痛い。
どうせ鍵がかかってるだろうから、せめて体が動くうちに顎ぐらい砕いてやろうと思った。けれどすぐに背中を踏まれ、硬い靴底がぐりぐりと押し付けられた。
「…なんで私がこんな目にあわなきゃいけないんですか。」
半ば独り言のように呟いた言葉だった。するとそれまで踏み付けていた靴の感覚が一瞬消えた。でもそれは本当に一瞬のことで。
「自分で考えてわかんねーかよっ!!」
「がッ!!」
一際強く背中を踏まれた。
成る程、勢いをつけるために足を上げたんだ。
「ぐっは、」
うっわしかも繰り返すんかい一回で止めてよ!!背骨折れるってば!!
…そうやってちょっとギャグ風味に考えないと、怖くておかしくなってしまいそうだった。
…ちょっと涙出てきた。
背中を踏んでいる男が何か言っているが、正直痛みでうまく聞き取れない。
でも、その中にはっきりとミストレの名前があったことだけは分かった。
やっぱりか、やっぱりそうなのか。
これはあくまでも私の単なる予想でしかないのだが、彼女さん取られたとか、好きな女子にミストレと比べられたとか。ともかく何らかの事情でミストレがあり得ない位にムカついたのだろう。
んで実力じゃ適わないから、仮にも彼女である私を痛め付けて精神面で傷付けてやろうと。
攻撃が止んだかと思えば、両脇にいる二人が私の腕を掴んで無理矢理向かい直させた。
「…悪いけど、私にこんなことしても無駄だから。」
どうせあと4日で終わってしまう関係だ。あのミストレーネ・カルスが私ごときボロボロになったぐらいで胸を痛めるはずがない。
なのに。
「強がってんじゃねーよ。」
「っ!!」
平手打ち。以前女の子にやられた時の比じゃない。
口元の端から、微かに鉄の味が広がった。
ここは男子寮だから、また友人が助けてくれるという可能性は0に等しい。というか、間違いなく0だ。
「ちょっとは怖がってみせろよ?」
「…あんた等ごとき怖くないから無理。」
嘘、正直すっごい怖い。
私の言葉が頭にきたのか、名前も知らない男子生徒は隣にいた奴から受け取ったナイフで私の頬を叩いた。
「ははっ、これでもかよ?」
「切り傷だったら一生残っかもな!」
んの野郎テメー等全員名前知らないけど顔覚えたからな!!後で見てろよクズがぁ!!…とは思いつつ、実際恐怖の方が勝っているわけで。
そのナイフが頬を切った瞬間、不覚にも涙が零れてしまった。
助けてだなんて、言ったら負けの気がする…いや、負けだ。
そんなの死んでも嫌。
歯が鳴りそうになりながらも潤んだ目で睨めば、その場にいた一人が私の髪を掴み、笑いながら顔を覗き込んだ。
「いいねこういうの、興奮する。」
「っに言って、痛っ!!」
髪を乱暴に放されたと思ったら、私の腕を掴んでいた二人が今度は肩を押し、床に背中を叩きつけられた。
さっき踏まれたせいもあって、ダメージをもろに受けた背中からじんじんとした痛みが全身に広がった。
声を出さないように目をぎゅと閉じて耐えていたら、腹部に強烈な圧迫感を感じた。
…何と言うか、これは非常に嫌な流れだ。
「女ってのはこうされっと傷付くんだろ?」
ニタニタと笑ってそう言った男の手は、私の上半身のラインをなぞっていった。
ボタンが外され、中に来ていたキャミソールはナイフで切られた。
「…最っ低。」
「何とでもどーぞ?」
「悪ぃけど、こっちはあんたの彼氏のおかげでこの何倍も傷付いてるわけ。分かる?」
分かるか馬鹿!こちとら失恋どころかろくに好きな人ができたことすらないんですっ!!
抵抗しようにも、何人かに手足を押さえられていて適わない。
「とりあえず印でも付けちゃう?」
そう耳に届けば、いよいよ胸元に近付いてくる顔。
「ゃ、嫌だ来ないで!!」
もうまともに物も考えられない。
まさか自分がこんな、少女漫画の女の子の如く人生最大のピンチってやつに出くわすなんざ思ってもみなかった。
ああ、今正に白馬の王子様ってやつが助けに来てくれるもんなら一目で惚れてやる。
けれど、願っても来ないもんは来ないって分かってる。
この際ミストレでも誰でもいいから、とにかく助けてほしい。
しかし、素肌に触れた他人の唇の感覚に、私はこれまでに無い嫌悪感と絶望感を覚えた。
いよいよ終わりだ
……と感じたその瞬間。
室内に威厳のある軍靴の音が響いた。
一瞬追加メンバーかと嘆いたけど、次に聞こえたのは誰かの骨が軋む音。
彼の登場に、それまで私を見て笑っていた男子生徒達の表情は一気に青ざめた。
私はこの時、心から神様にありがとうと言いたくなった。
打撃の音が、こんなにも清々しかったことは無い。みるみる間に倒れていった男子生徒達に、私は安堵の息をついた。
大丈夫かと、私の頬の血を拭った掌に、さっきとは違う意味の涙が溢れだした。
私は自ら、彼の胸板に抱き付いてわんわん泣いた。
ああ、惚れたよ、そりゃあ惚れましたとも。
白馬の王子様
流石に馬には乗ってなかったけどね…。
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