「ふぅ……。」
湯船にどっぷりと浸かりながら、私は深く息を吐いた。
体調はもう大分よくなっていて、ちょっと頑張れば一曲踊れるくらいには回復した。お風呂に入るくらいどうってことない。
……もう少し入っていたいところだけど、私が目を離した隙にあいつらがどんな雰囲気になるか分かったもんじゃない。
洗って濡れた髪と体を適当に拭いて、パジャマを着る。髪で服が濡れてしまわないよう、使ってないもう一枚のタオルを首にかけた。
リビングに戻ると、ミストレが空間上に個人ディスプレイを表示させていた。
多分、金曜日に出された課題か何かだろう。
ミストレは私を一瞥すると、眉間に皺を寄せて手招きをした。言われた通りに近寄ると、ソファーに座るよう促された。
「何?」
「髪。せっかく治りかけてるのに、ぶり返したらどうするつもり?」
「…ドライヤー面倒なんだもん。課題やってるうちに勝手に乾くし。」
「はぁ…ちょっと待ってて。」
そう言うと、ミストレは開いていたディスプレイを閉じてリビングを出ていった。
1分くらいして戻って来たかと思えば、その手には見慣れぬヘアブラシとドライヤーがあった。
ミストレの、だよね?
「持って来てたの?」
「そうだよ。」
女子か。
そう思ったけど、どうやら私の髪を梳かしてくれるらしいので、余計な口は開かないことにした。
そういえば、この前テレビでかなり古いドライヤーを見た。昔のドライヤーってのは、家電の中でもかなりの電力を消費するし、音もかなりうるさかったようだ。"コンセント"なんて、今じゃ滅多に見ない。
「……っ、」
髪を掬われる際、指がうなじを擦った。
微弱な風の音と、髪に伝わる熱。
他人に髪を梳かされるなんて、何年ぶりだろう。
というか、男の子に髪を梳かされるのは生まれて初めてなのだがちょ、これ、緊張するぞちょっと…。
「どうかした?」
「な、なんでもないっ!!」
毛先から徐々に解して、根元からするするとブラシが通る感覚が気持ちいい。
優しい手つきに、この男が本当にあのミストレーネ・カルスなのかと疑ってしまう…なんて、女慣れしたミストレだからこそこんなに優しくできるんだろうと下唇を噛んだ。
「…ありがと。」
思わず漏れてしまった言葉に、一瞬だけ、ミストレの手が止まった。
「…うん。」
頭上から降ってきた声に、少しだけ心がほっこりとした。
*
「お姉ちゃん。」
「ん?」
私がミストレと同じように課題に手をつけていると、自分の部屋から出て来た妹に声をかけられた。
ちなみに、奴は今お風呂だ。
「何、どうしたの?」
「ミストレさんさぁ…。」
うわぁ、はいきました、はいきたよコレ。
何?ミストレがなんですか?
「どうやって落としたの?」
「は?」
落としたって、いや、だから落としてもなければお互い好きでもないって。
「え、ちょ、なんなのその質問?え、おま、どした?」
しかもなんでそんなむくれちゃってんの?
「……。」
彼女は口を尖らせると、私の隣に座った。
「ミストレさんって、すっごい誠実な人なんだね。」
は?なんだと??
「どうして?」
「だって、あたしが誘ってもキスの一つもしてくれないんだもん。」
「お前なぁ!」
誘っても、って、誘ったんか!!
「ごめんって、だぁってミストレさん素敵な人なんだもん…。」
「あれは猫被ってるだけだよ!?あいつなんてただの遊び人の女敵…って、え?」
あれ?
「ウチの学校の男の子ならすぐに落ちてくれるのになぁ。」
彼女の言っていることは正しい。なんせ、あのオトンの娘なのだ。
「アンタ…ミストレに何した?」
「押し倒してちゅーせがんだ。」
こいつ、私がお風呂入ってる隙にぃ…。
つーかお前が襲い掛かったのかよ、私の心配を返せ。
「……うーん。」
にしても、それが本当なら、あいつ調子でも悪いのかな?
*
「……うん、かっこいい。」
結った髪を解くと、緩いウェーブのかかった髪が広がった。
鏡に映ったオレは、相変わらず綺麗な顔立ちをしている。
別にナルシストってことは自覚してるし、自信のある事を誇って何が悪いんだ。
広くもなく狭くもない浴室は、よく手入れが行き届いていて、黒カビひとつ見えなかった。
水面に着いた髪が、ふよふよとお湯に揺れている。
…相手が病人だからだろうか。
さっきフランの髪を梳かしている時、オレは何もする気が起きなかった。
その気になれば、しっとりと濡れたうなじに舌を這わすことや、耳に口付けることだってできた。触れてしまえば壊れそうだなんて、微塵にも思っちゃいないし、寧ろ繊細な女を壊すのは好きだ。
まあ、フランはそんなに軟弱じゃあないんだけど。
髪を洗おうかと思ったけど、シャンプー類を忘れた。
仕方ないからあるのを借りようとしたけど、なんだかボトルが沢山ある。
「え、何、どれがどれなの?」
シャンプー、リンス、コンディショナー、ボディーソープ、洗顔フォーム等々。
しかもそれぞれ三種類ずつ。
多分、フランと妹、それからご両親の。
試しに、ひとつを手の平に出してみた。
「……。」
淡い翡翠色をしたソレは、まったくもって色気無い香りで。
確かに、フランの香りだった。
本人のいない場所で
それぞれ、色々と考えてる。
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