ビル先輩!…セクハラですか?

入社から2年、仕事に慣れて、後輩はできたものの、まだまだ半人前だ。ビル先輩についてあたふたと走り回っている状態だ。


「サラ、外回り行くよ」


天下のグリンゴッツと言っても、外回りがあるのだ。正直いうと、ただ窓口に座るだけの仕事だと思っていたから予想外だった。


「ジャケット着て。」


ほら、とビル先輩がハンガーにかけていた私のジャケットを投げた。


「暑いのに嫌だなあ…。」


一年中雨降りのイギリスでも、やはり夏は暑い。印象と信頼勝負の外回りだからピシッとジャケットを着なくちゃならないのは分かるけど、文句がこぼれてしまう。ビル先輩は私の独り言を聞きつけて「外回りでは着なくちゃね」ともっともなことを言う。



「僕は薄着の方が好きだけど。」


と余計な一言がついたけれど。これくらいのセクハラは序ノ口なので、相手にするまでもない。はいはい、と受け流して投げつけられた上着を羽織った。


鞄を持って、すでにエレベーターの扉を開けてくれているビル先輩に追いつく。こういう行動がナチュラルに出来るのはすごくジェントルマンで、モテる理由だ。それじゃあいってきます、と職場に残る銀行員たちに挨拶をした。


「ちょっとこっち向いて。」


扉が閉まると同時に、先輩の指示により私は彼に向き直った。すると彼から両腕が伸びてくる。なにも言わないから警戒してあとずさるけど、なんせここはエレベーターの中。後ずさりすればすぐ壁。特に理由はないけど、焦ってしまう。


「え、ちょ、セクハラは良くないです。エレベーターですよ!誰が入ってくるかわからないし、」


誰も来ないならいいの?と軽口を叩いてもらうはずが、端正な顔にじっと見つめられて、自分の声がすぼんでいくのが分かる。キスでもされるんじゃないかというぐらい真剣な顔だから、ついついドキドキしてしまう。この人の顔に弱いんだ、私は。


だけど、その手が私の頬に添えられることはなくて、単純に、私のジャケットの襟を触った。


「襟がたってちゃ台無しだ。」


…襟を直された。拍子抜け。
なんなんだよ、ドキドキして損した、ややこしいことしないでよ、と頭の中で軽く悪態をついていれば、ビル先輩はクスクスと笑う。「キスの一つでもすれば良かった」なんて爆弾発言を加える。


「…キスしたら、本当にセクハラで訴えますよ。」


軽く睨んでみれば、怖い怖いと思ってもいないであろう感想が返ってきた。チン、とエレベーターの到着の音。こんな人でも上司は上司、先に出てもらおうと開けるボタンを押そうとするが、私より先に先輩が閉まるボタン押さえた。



ほんの一瞬の出来事。



彼の胸の中に引っ張られて、つむじに柔らかいものが触れる。これは、ドキドキする間もないほど一瞬。



そして、ビル先輩は、私が事を理解するより早く、颯爽とエレベーターから降りて行ってしまった。



…だから、セクハラはいやなんだ。



私に触れたのは彼の唇だって知っているのに、恋人関係にない私たちにとってはそんなの間違いなくセクハラでしかないのに、私には彼を批判する余裕なんてなくて。今更になってバクバクと音を立てる心臓を無理矢理おさえつけて、彼を追いかけることしかできないのだ。



ビル先輩、これもいつものセクハラですよね?


(...............................)
(サラ?どうしたの黙っちゃって。)
(わかってるくせに聞かないでください!)


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