小説 | ナノ

そう、誰よりも、誰よりも、私が欲しがっていたものに近く、そして、私の欲しがっていたものに対して誰よりも遠ざけたいと願っていたヒト。
ヒトであったもの、とでも言うべきなのであろうか。もうこれはヒトではない。ヒトの形をしたヒトじゃないこの世の憎悪の全て。マイナスと呼ばれている価値観、感情を全て凝縮させ、擬人化させたようなそんなヒトではないもの。
私は彼を知っている。いや、知らない人などいない。必ず誰の近くにでも彼は存在してて私たちを蝕んでいく。そう、憎い、嫌い、殺したい、そんな感情が私たちヒトに芽生えたとき、彼は近くに潜んでいるのだ。
でも私はそんな彼を、一番人間らしいと思う。不器用ながらも憎悪を常に抱え、最弱だと自嘲し私を皮肉る様は、彼が乗っ取っていると言えるであろう少年よりも確かに人間らしいのだ。彼の悪という形が私には悪に見えなかった。どうしてであろうか。彼の生涯に同情しているのだろうか?そんなつもりはない。私はサーヴァントになんか同情はしない。するだけ無駄なのだ。どうせ裏切り、裏切られそうやって進んでいく聖杯戦争に、それを勝ち進めるために使う道具に、心を委ねるだなんてそんなことは。

「そうだな、俺の人生……、一言で言えば、幾度となく殺されてきた人生だったな。でも死んでないんだ。殺されるような致命傷の傷を負っても、四肢切り離されても、死ねなかった。なぜなのかその時はわからなかった。ただ、死ねないことを必死に何回も何回も考えて、死ぬ方法を探した。けどさ、無理だったんだよな。それでさすがに、何もかも疲れた、目を瞑って、何も見なかったことにしたかった。けれど俺にはまぶたが無かった。そ!あいつらは俺に目を瞑ることさえ許してくれなかったわけ。つまり、俺は目を開けたままずっと自分が殺されるさまを、仲の良かった村の人たちから殺されていく様を、ずっとずっと、見ていたわけだ。もうな、目も乾ききって、涙も出なくなって、乾いたままになった。それでもよ、死ぬことはねえんだ。あはは、面白い話だろ?そんでそんで、ある日気づいたんだ。村から誰もいなくなったことを。足音も、生活してますっていう音もしねえ。逃げたのかと思ったんだが、そんなわけねえんだよ。ここは山。高い荒野だから、まず逃げるところなんてありゃしねえ。こんな俺だって行けねえって思ったぐらいの高さと距離なんだ。それじゃあ、どうしたんだろうって思うだろ?
死んだんだよ。全員。死んじまったんだ。なんで死んだのかって?簡単だろ、みんな老いぼれちまって死んだんだ!……まあオレさんの呪いもあるんですけどねー?正直、ざまあみろとは思わなかった。俺は、いつのまにか、世界を呪い始めてた。世界だ、世界。閉ざされない目で変わり行く風景を見つめながら、ただただ、呪ったんだよ。この世を。なんて綺麗な空で、俺は閉じれない瞑れない乾ききった目に焼き付けることしかできない。んでこのザマだ。もう、俺はどうして生きていたのか?なんのために生きなきゃいけなかったのか?俺がいなければ平和?俺がいつ生まれてたら平和だったか?俺が、この村に生まれなかったらどうだった?俺がもしこの役じゃなかったら?俺に存在意義を与える野郎はどこだ?……ってね、イフの世界を考える度に、俺はこの憎しみに逃げ場を無くしていった。どうしようもなく醜い人間が住むこの綺麗な世界を、呪い憎んで憎んで憎んで憎んで憎んで憎んで憎んで憎んで憎んで憎んで憎ん憎んで憎んで憎んで憎んで憎んで憎んで憎んで憎んで憎んで憎んで憎んで、そしたら
いつの間にか消えてて
こうなっちまった」
ケラケラと、笑う彼に悲壮感や憎悪感はない。ただ、本当の笑い話のようにして語っている。その恨みは今ないのだろうか?
「いや、俺はアンリマユ、この世全ての悪だぜ?恨みがないなんて絶対にねえ。俺の本質がそこなんだ、一生切り離されることはないね」
また、口が勝手に動いた。アヴェンジャー、貴方に望みはあるのか?そう言って、私の唇はこわばって、固まってしまう。

「……望み、ねぇ……、……かな…」


あぁ、もう、この答えを聞いてしまった時点で、私は彼に同情という上辺だけの感情を持ってしまっていたのか。
彼の願いを叶えるために、彼自身の願いを利用して、私の願いを叶えるために。それだけのために私は利用してしまったのか。それならば、私も彼を殺した人間の一人と同じようなものじゃないか。そうしか考えられない。だって彼は、彼は元は普通の人間だったのだから。

それなら、彼が人間という誰よりも人間に一番近い、というのも納得ができる。彼が人間という本質を一番理解して、なるべきアンリマユ、この世全ての悪になったのではないかと。そもそも人間語りなんぞ千差万別の事例がある。その一つ一つを語って平均化したところで何のためになるかさえわからない。というか何のためになるというのか。それ自体の真理を彼はわかっていて、そして、この不完全な私のサーヴァントとしていてくれる。この虚ろな四日間の中で、私のかなわぬ願いを叶え、そばにいてくれた。それが無意識に感じていた何よりの私の、幸せであったのだ。

だが、もうこの夢は終わる。終わらせなくてはいけない。

「……アヴェンジャー、本当に、本当にいいのですね」
なぜか声が震える。肌寒いから。そんな理由ではない。でもどこか冷たい風が、私の短い髪を撫でて吹き抜ける。それが嫌に気持ち悪いような、気持ちがいいような、そんなあやふやな感想に突き動かされる。ステンドグラスのようなその大きな空には、マリアの顔と思わしきものが砕け散乱していた。

「辛気臭い顔しないでくださいよマスターさん、俺みたいな最ッッッッ弱のサーヴァントさんとお別れできるんですよー?ここはパーっと笑うところだって!」

「ですが……、あなたの夢の続きは…?まだ、楽しいことが、たくさんあるはず!もう少し、続けても、貴方は……貴方は……」

ふいに、彼の顔つきが変わる。あのいつもヘラヘラとした笑顔を見せているアヴェンジャーが、初めて妙に悲しそうな顔で、私を見つめたのだ。

「…なぁ、マスター。もうさ、いいんだよ」
「この四日間は全部偽りなんだ。俺がどう足掻いたって、現実の、永遠には続かないあちらの世界には、傷痕一つさえ残せない」
「マスターもわかったろ?この四日間で作られた聖杯戦争なんざ聖杯戦争じゃねぇ。ただのままごとだ。だから聖杯を手に入れたってここだけの話。現実ではひっくり返せねぇんだよ」
「今でのあの努力は無駄だったんだ。でも、あんたにとっては死にたくない、っていう願いから来たこの四日間だ。もう十分だろ?」
「もうさ、この半永久的に続いていた日間飽はきちまった。だから終さ、俺はもうわりにしてーの」
「そーすれば、俺もマスターも、一気にモヤモヤ解決!俺は元の場所に帰って大人しくしてるし、…マスターは今致命傷の傷を負ってはいるけど、でも生きてる。大丈夫だぜ?終わったあと誰か助けに来てくれるだろーし、ほら!楽しくやれりゃあそれでいいじゃないの!」

「それに、俺は人間じゃない。
から人間らしく生きることなんてできない」

そう、人間に近くても、彼は人間じゃないのだ。彼は道具、サーヴァントという戦うための、勝つための道具。そして憎悪の塊。聖杯の本当の姿。目的なんて人それぞれだけれど、私のサーヴァントにはあまりにも足りなすぎた存在。だからいつだって彼を見捨ててしまえるタイミングはあった。でも、できなかった。
同情じゃない。ならば?何故私は彼を手放すことができなかった?私は無意識に彼をパートナーだと思っていた。なにかと足りないけれど、でもこんな不器用な私を支えてくれていた、大事なサーヴァントになっていた。いつもヘラヘラと皮肉を交わしながら話してくれる彼が。彼の声が。でも、そんなはずはないだろう。なら?ならば、
そういうことなのか。そういうことだったのか。
無意識に、無意識に伝えようとしてた。あのときからずっとあやふやではあったけど、終わりが近いのも知っていたけれど、それでも、言いたかったことなのだろう。口が渇いてしょうがない。熱がこもる唇を動かして伝えなければ。伝えなければ。
「アヴェンジャー、……私、あなたのこと「…おっと、やめてくれよ、マスター」

向けられたのは、呪いの刻印が刻まれた刃。彼の手は手ではなくなり、刃と化していた。そう、これが、彼が人間ではないという証拠になる。そして共に歩めないという証拠。

「それは、言わないでくれよ」
「あんたには、あんたの人生がある。蔑ろにしちゃいけないんだ、自分の生き方は自分で幾らでも変えれる。だけど他人に預けちゃいけない。その覚悟が無いなら尚更だ。自ら火に入るなんて馬鹿のすることだぜ?そんで俺には俺の生き方がある。こんな縛られた運命だけど、それでもきっと、欲望が剥き出しのままでも、俺は俺の芯を持って歩んでいくんだよ、マスター」
「それが前進であれ、後退であれ、足を動かしたのには変わりねぇ。俺はただ後退していくだけだが、足を動かさないでただ留まり続けるのだけは御免なんだよ」
「俺とあんたは背中合わせだ、だから、進む方向はわかるよな?」
それは、別れの言葉だった。本当に、夢のような、永遠に続くことができなくなった虚ろな此処だけの世界。何も恐れることはないと胸を張って言えたあの頃とは違って、踏み出すのが恐ろしい。それでも彼は、ひたすらケラケラと笑いながらも私の背中を押す言葉をかけてくれる。
「マスターのその図太い神経と素晴らしい体ならなんとか生きていけるって!俺のことは考えないで自分のことだけ考えなさイ」
そして、小さく握っていた手を掴んで、
「じゃあ、行くぜ」
さん、に、いち、と呟き、
手を離した。
私は振り返りたかった後ろを向けずに、ただ前進した。もう、迷うことはない。迷わない。だって、アンリ。貴方は。

最後まで、私に道を作って出口まで連れていってくれるヒトだもの。





 [back]