小説 | ナノ

「自由になりたいなー」
 大きく口を開いて飲みかけの炭酸ジュースを飲み干して彼女は口を開いた。
「どうしてだい?」
 荒れたコンクリート、錆びた鉄柵、血の匂う屋上で、彼らは最期の時を密かに待ちわびていた。その日は徐々に、徐々に迫ってくる。彼女は何もかもを諦めて、彼は何もかもを知っていて。この世界へいきる希望を亡くしてしまった二人。脇には大きな肉の塊がコンクリートの破片と共に横たわっている。
「この肉を食べれば自由になれる?」
バタバタと走り、彼女は巨大な肉の塊の前でしゃがんで肉をつついている。なんたる光景だろうか。こんな世界を望んで此処へ来たわけではないというのに、そう少年は瞬きを三回ほどした。
「なれないと思うけどなぁ、そもそも誰も自由にはなれないよ」
「えー、どうして?」
 自由に執着する彼女が愚かしくも美しく見えてきてしまう。これはなんだろうか、人間シンドロームとでも呼ぶべきなのだろうか?確かに言えることは、これは僕の持っていた独自の感情から芽生えることの無いものだ。
「自由なんてこの世には無い。地面を作られるだけで、体を与えられるだけで、神経を与えられるだけで、味覚を感じるだけで、そこから自由は一つ一つ消えていく、だから完璧な自由は無理なんだよ」
つまり僕らは自由を手にする事は永遠に不可能ということになる。この地球、惑星、宇宙、意識が有る限りには。
「…じゃあ、死ねば自由になれるのかなー、意識もない、体もない、痛覚もなにも感じないし。」
 口を尖らせて拗ねるように言えば彼女は立ち上がって、柵へと向かう。下を除こうとすれば橙色と赤が混ざったような色の海が広がり、空の青を映して、水面が紫のように見えているはずだ。神秘的な景色に少女は子供らしさを発揮し、柵へと腕を立て足をブラブラと楽しそうに見つめている。
「…死=自由は違うよ、それは死という体の機能を停止したという事実に縛られてしまうからね。…そうだね、言うなれば自由≒無、かな」
 顔を上げれば、いつの間にか彼女は目の前に立って笑みを浮かべていた。その笑顔は恐れなんて抱いていない、本当の笑み。正真正銘の笑顔。
「じゃあ私は今自由なんだってことになるね」
 そう言えば、彼は驚いたように私を見つめている。この世に二人しかいない世界。食べるものはまだあるけれど、後もう少しで消えてしまう世界。彼は言う。私に興味が湧いたから、そのために私だけには少しだけの生の猶予をあげる。それを要約すれば私は彼の好奇心で生かされている存在であり、彼は神様なのだと。なんという幸運なのだろう!そう喜べば彼は今と同じような顔をして驚いたのだ。
「…今ここにいる時点で、自由じゃないって今さっき教えたよね?」
じゃあなぜ私は自由なのか。肉体もあるし、重力もある、地球もあるし、地面もある。痛覚も今足の裏がジンジンしていたいし、口のなかはさっき飲んだジュースの味か残ってて仄かに甘酸っぱい。そこには自由は無いし、彼の私への興味が無くなれば、そこから自由はまた無くなってしまう。
「でもさ、ここでは二人っきりじゃん、何をしてもいいんだよ、何を思ったって誰に左右されることもない、何かと縛ってきた親もいなければ、学校だって、働くことだっていらない。それはある意味、人間としては自由と呼べるものなんだよ!」
「でもこれは屁理屈でさ、本当は貴方の言う通り、これは本当の自由なんかじゃない。私は自由になりたいと思ってたけど、本当は自由になりたいんじゃないんだよ」
 彼は黙々と私の話を聞いてくれている。その赤い瞳がまた綺麗で、私達には持っていないようなものを持っていて、なんだか胸が妬けちゃうな。
「……一人に、なりたかったの。一人で、誰にも構うことなく、一人で過ごしたかったの。自由…、左右されることもない人生、気を使わないで生きていける自分を……。ただそれだけなんだ」
「でもね、こうして貴方が二人っきりの世界にしてくれたことでわかった。一人は、一人じゃ生きていけない。確かに構われることはない、でもそうすれば見てくれる人はいなくなる。達成感とか、生きる世界で必要な感情が与えられなくなる。それじゃあ生きている意味がない。人間で言う自由とは、『人としての生と意義を殺してしまったこと』を指すの。私達人間は、何かに縛られてなければ、生を全うすることはできない…」
「だから、貴方がいてくれて本当に良かった、私に、最期に教えてくれてありがとう」
 彼女はそういってまた笑った。訳がわからない。人間の想像力はたまに想像を越えてしまう。どうすれば、どうしたら、彼女に言葉をかけてあげることができるだろうか。彼女の目は、この人間から見ての自由、という名の束縛から開放してくれ、という意思表示が伝わってくる。だからそれは自由とでも何でもないのに。彼女の言う自由は僕にはまだ早いようで。
「…どういたしまして」
そう言うしかなかった。だってしょうがないだろうに、興味を持ったのは好奇心だけじゃない、好意も持ってしまったんだから。

そしてこの言葉を今回で初めて僕は聞いてしまったのだから。

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