私と青木くん

紹介し忘れていたが、稲葉と離れるため詩織が入った部活と言うのは園芸部だ。学校にある花壇の花を世話することを主としている。
以前入部早々稲葉の元へと逃亡した詩織だったが、それは新入部員歓迎のちょっとした催し物の中で、先輩たちが詩織を撫でくり回したことが原因だ。人見知りの1#も、最初こそは我慢していたものの、「かわいいかわいい」と何かと世話を焼いてくる先輩たちに恐れをなしたのだろう。見たこともない、初対面の人に触れられると言うことは、詩織がもっとも苦手にしていることだった。
それ以来、園芸部員と顔を合わせづらくなった詩織は、自ら水やり係りに立候補した。これなら一人でも出来るし、放課後はもちろん、朝もするものなので、面倒くさがってやりたいという部員もあまりいない。詩織は即、水やり係りに決定した。
そして放課後、今日も今日とて水やりに専念している。

「お、あれは……」

そこに偶然通りかかったのは青木義文だ。ホワイトボードに書くためのペンのインクが切れたから買ってこいと、稲葉にパシられたところだった。せっせと重いじょうろを操り水をやる詩織を見ながら、「あの子園芸部だったんだな」なんてことを思う。
クラスの違う青木は、詩織の認識は稲葉の幼馴染みのみだ。あの稲葉の幼馴染みであり、見ていたところなんだか面白いキャラをしているようだと感じていた青木は、詩織のまた違った一面を見ることができて、少し嬉しく感じた。

「おっと、それよりマジックペンだな……」

早く行かないと稲葉に怒られてしまう。と青木が詩織から目を話した時だった。ガコンッと何かがぶつかる大きな音。それと同時に、「うわっ!」と小さく悲鳴があがった。バシャリと水の音まで聞こえたのは気のせいだろうか。
青木が振り返ると、そこには下半身を水でびっしょりと濡らし、尻餅をついた詩織がいた。そばにはサッカーボールが転がっている。まさか、あれが詩織に当たったのだろうか。
すぐさまサッカー部員が駆け寄り、大丈夫かと尋ねてはいるが、人見知りの詩織はぴしりと固まるのみだ。さらに、何事だと詩織の周りにわらわら集まりだすサッカー部員達を見て、青木は思わず駆け出した。

「あー、大丈夫!大丈夫です!
あとは俺が見とくんで、どうぞ練習に戻ってください!」

咄嗟にサッカー部員と詩織の間に割り込み、距離をとらせる。青木の言葉に、ぞろぞろと踵を返すサッカー部員たち。ボールを当ててしまった部員だろうか。最後に詩織に「ごめんな」と言ってボールを抱えた彼は、青木にペコリと頭を下げて走っていった。
なんだ、いい人なんじゃん。青木は彼に笑顔を向けてから詩織に向き直った。さて、これからどうするべきか。走ってきてしまったが、自分も詩織と話したことなどない。怖がられるのは目に見えていた。だが、あのサッカー部員に比べたらまだマシだろうと詩織のそばにしゃがみこむ。

「えーっと、俺、青木義文。
天草詩織ちゃんだっけ?一応稲葉っちゃんの友達なんだけど、覚えてる?」

青木の問いに、詩織は小さく頷いた。どうやら少し怯えてはいるようだが、なんとかなりそうだ。それからポツポツと質問を繰り返して、ボールの当たった場所、怪我の有無を確かめた。ボールが当たったのは足首のようで、立ち上がれるかと問えば、黙る。失礼して詩織の足首に触れると、ぎゅっと顔が歪められた。

「うーん、詩織ちゃん一人にするわけにもいかないし……」

肩を貸すにも身長差がありすぎる。仕方ない。嫌がりはするだろうが、おぶっていくしかないか。
詩織の目の前にしゃがみ、背中を向ける。「とりあえず、稲葉っちゃんとこ行こう。ここにいても仕方ないし。」と言うが、詩織は躊躇した。

「俺のこと怖い?」

苦笑して問えば、「こ、怖くないっ」と予想に反して力強い答えが帰ってきた。その事に驚きながら、「でも、」とまだ続きそうな言葉に耳を傾ける。

「でも、私、どろどろ、だから……
あ、青木くん、汚れちゃう……」

そう言われ見てみれば、なるほどじょうろの水で地面がグショグショになっている。そこに尻餅をついている詩織のお尻や背中には泥がついていることは安易に想像できた。

「じゃあ、これ着て。」

そう言って青木が詩織にかけたのは自分のブレザーだ。
戸惑う詩織に、青木は笑いかける。

「これなら汚れるのは制服の内側だけじゃん?
もし洗って取れなくても、見えなかったらオッケー!」

青木の制服は、詩織のお尻まですっぽりと覆った。それから半ば無理矢理詩織を背負う。わずかに詩織の体が強ばったが、しばらくするとそれも抜け、耳元で「ありがとう」と呟かれた。

「よいしょっ、稲葉っちゃーん!」

「遅い!何やっ、て……」

片手で詩織を支え、片手でドアを開ける。ずり落ちそうになった詩織を背負い直し、稲葉を呼んだ青木に、稲葉は激を飛ばそうとした。だが、その背中に背負われている詩織を見て、言葉を途切れさせる。
部員たちも心配そうに詩織を見つめた。

「姫子……」

「どうした。何があった?」

「さっきそこの花壇でちょっと、」

青木が事情を話すと、伊織がパイプ椅子を持ってきた。そこに詩織を座らせる。体型が一番近い唯から体操服を借り、男性陣に退室を命じて着替えた。

「青木くんのブレザー、汚れちゃった……」

「手もみ洗いしたらなんとかなるんじゃないか?」

「じゃあ、私家で洗ってくるっ」

部室に帰ってきた青木に、詩織は必死に自分が洗ってくるということを伝えている。
青木が頷くと、詩織は嬉しそうに笑った。

「詩織にまた友達が増えてよかったね、稲葉ん。」

「ろくな友達がいないのが心配だがな。」

「え、それあたしも入ってる?
ねぇ、稲葉ん!」

「私はろくな友達だよねっ」と詩織に同意を求める伊織。訳もわからずポカンとしながら頷いた詩織に伊織は抱きついた。
そんな二人を横目で見ながら、稲葉は青木に「悪かったな」と声を書ける。

「困った時はお互い様だよ、稲葉っちゃん!」

「あぁ、そうだな。
だが、人命救助を称えて、マジックペンのパシりは太一に変更だ。」

「お、俺なのか?!」

「さっさと行ってこい太一。」

腑に落ちない。と抗議しながらも、その足は外へと向かう。断らないところがまた太一らしい。
「いってらっしゃい」と手を振る詩織に見送られ、わずかにその顔を緩めた太一は部室を後にした。

「よし、詩織、保健室行くぞ。」

「はーい。」

その後、詩織は稲葉におぶられ、保健室に向かった。足の怪我はそんなにひどくなく、軽い捻挫だったようだ。そうメールが来て、伊織たちは胸を撫で下ろしたのだった。




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