私と風邪引き
「詩織熱出たの?!」
稲葉の席で、伊織は思わず大きな声をあげた。遊園地にいった昨日の今日だ。よほどはしゃいだのだろう。と稲葉はため息混じりに言った。
「あいつ体弱いからな。
おかげでプリン買って帰らなきゃならない。」
「詩織プリン好きなの?」
「好きというか、暗黙の了解だ。」
ふーん。と相槌をうつと、伊織は暫く思案する様子を見せ、ぱちんと両手を合わせた。
「皆で詩織のお見舞いに行こう!」
「で、本当に俺も行っていいのか?」
「だって太一も詩織の友達でしょ?」
「詩織も喜ぶと思う。
恥ずかしがるだろうが、嬉しいとは思ってるんだ。わかってやってくれ。」
3人でのお見舞いなんて始めてのことだった。いつもより豪勢なプリンに加え、他にものど飴やお菓子が入って重たくなった袋を下げ、詩織の家に向かう。
恐らく、詩織の母も喜ぶことだろう。詩織は今まで友達らしい友達をろくに作ってこなかったから、お見舞いなんて、稲葉以外に訪れたことがなかった。
「ただし!
…………アタシが言いたいこと、わかってるな?太一。」
「うっ、ぜ、善処します。」
「善処だぁ?
わかった。ならその妄想をすべて文字におこしてこい。それを文研新聞に載せる。それで許してやろう。」
「か、勘弁してくれよ稲葉っ」
これまたなんとなく理解できた伊織は、「太一はロリコンだからねぇ」と呟く。その言葉にハッとしたように足を止めた稲葉は手のひらを太一の前に突き出した。
「お前、もう来るな」
「ここまで来て門前払いなのか?!」
「詩織の身が心配すぎる。
そんなやつを詩織の部屋に入れるわけにはいかない。」
「健全な男子高校生を代表して言わせてもらうが、これは一種の生理的現象だ。俺自身にはどうしようもない。」
「なら死ね。」
「し……?!」
といいつつもさすがにここまで来て追い返すつもりはなかったらしい。稲葉はショックを受ける太一をよそに、インターホンを押した。
出てきたのは詩織の母だ。彼女はその訪問者の多さに目を丸くした。稲葉が「詩織の友達です。」と二人を紹介すると、嬉しそうに微笑む。その笑顔が、詩織によく似ていた。
「詩織、アタシだ。」
詩織と書かれたドアをノックをして稲葉が言うと、弱々しい声で稲葉を呼ぶ声が聞こえた。それを合図に稲葉が先頭で部屋に入る。
稲葉を見てふっと笑みを浮かべた詩織だったが、その後続いた二人に「わっ」と小さく悲鳴をあげた。すっぽりと頭まで布団をかぶり、「ぁ、ぁぁ……」とお馴染みの吃りを披露する。
「二人もお見舞いに来てくれたんだ。
プリンもいつもより豪華だぞ。」
「アポなし訪問ごめんね、詩織。
心配だったから来ちゃった。」
「だ、ダメだよ……
私、姫子だけが来ると思ってたから、髪ぐちゃぐちゃだし、パジャマだし、恥ずかしい……っ」
「八重樫くんまで来るなんて……」と顔を見せようとしない詩織。
どうやら風邪の時は少し饒舌になるらしい。
伊織と太一は見慣れないその部屋をぐるりと見回した。勉強机とベッドと本棚。部屋の中心に小さな机がおいてあって、可愛らしいキャラクターものの座布団がちょこんと2つおかれている。家具はそれくらいだろうか。
伊織のイメージでは、詩織の部屋にはぬいぐるみなどがところせましと並んでいた。だが、実際見てみると、ぬいぐるみは見えるだけで1つだ。その1つは、詩織の隣で律儀に布団をかけて横たわっている大きなテディベア。毎日一緒に寝ているのだろうか。そう思うと、伊織の頬は自然と緩んだ。
「ごめんね、その辺に座って。」
さすがに暑くなったのだろう。顔の半分あたりまで布団を下ろした詩織は、その辺、と勉強机についている椅子や、座布団を指差した。お言葉に甘えて、太一は勉強机の椅子、伊織は座布団、そして、稲葉は慣れたように詩織が寝ているベッドに腰かけた。
「まだ熱いな。」
「でも朝よりは下がったよ。
さっき布団にもぐったから熱くなってるだけだもん。」
稲葉が詩織のおでこや頬に手をあて、顔を歪めた。それにばつが悪そうに答えた詩織だったが、その直後に小さく咳を繰り返す。
「はしゃぎすぎだ、バカ。」
「だって楽しかった……」
ついに詩織は顔をすべて出した。本人の言う通り、布団にもぐっていたからか、熱が高いせいなのか、仄かに赤らんだ頬が露になる。
「恥ずかしいからあんまり見ないでね。」と伊織と太一に釘を指し、窓側に寝ていたテディベアを内側にうつした。これで伊織たちから自分を見えにくくしたつもりなのだろう。
「詩織、プリンとのど飴とお菓子買ってきたよ。
食べる?」
「起き上がらなくちゃいけないから今はいらない……」
「そんなに見られたくないか。
いつもならアタシよりプリンに飛び付くクセに。」
「そんなことないもん。」
「皆が帰ったあと一人でおいしくいただきます。」とどこか誇らしげに言う#詩織。いつもより豪華というのが楽しみで仕方ないのだろう。わかりやすいやつだ。と稲葉は苦笑する。
「明日は学校来れそうなのか?」
「行く。」
「無理だろ。」
太一の問いにそう断言した詩織だったが、稲葉はそれを一刀両断した。
むぅ、と頬を膨らませた詩織は、「行けるよっ」と力強く言う。
太一は太一で、自分がいるにも関わらず普段より饒舌だとは思ってはいたが、まさか自分の問いにあこんなにきっぱりと答えてくれるとは思っていなかったようで、わずかに目を見開いて驚いていた。「よかったね、太一ぃ」とどこかバカにするように肘でつついてくる伊織を制しながらも、やっぱり嬉しいとは思ってしまう。
「熱測ってみろ。ほら。」
「大丈夫だもん。」
「その大丈夫ってのを見せてくれ。」
「……大丈夫だもん。」
「詩織、言う通りにしないとテディベア持っていくぞ。」
「やだっ!」
きゅっとテディベアに抱きつき、稲葉を睨み付ける詩織。「なら大人しく言うことを聞け。」と体温計を差し出され、詩織は渋々それを受け取った。
もぞもぞと布団が動き、やがてそれが止まる。30秒ほどで機械音を立てたそれをまたもぞもぞと取り出した詩織は、液晶を見て、なにも言わずに稲葉の持っているケースに手を伸ばした。だが稲葉は素直にそれを渡すわけはなく、すっと詩織からケースを遠ざける。
「何度だったんだ?」
「大丈夫だった。」
「ほー。
なら見せてみろ。」
「ダメ。」
「大丈夫なら見せられるだろ?」
「恥ずかしい。」
「意味がわからん。」
どうやらこの体温計は、ケースに入れないと体温表示が消えないらしい。
ケースを遠ざけながら、稲葉はちらと太一に目配せをする。意味を理解した太一は、そっと詩織に近づくと、ケースに夢中でおろそかになっている詩織の手元から体温計を抜き取った。
「あー!」
すぐに小さな手が追ってくるが、それを難なくかわし、太一は液晶を見る。
「38度3分……」
「ほら見ろ。
どこが大丈夫なんだバカ。」
「大丈夫だもん!
姫子のバカ!八重樫くん嫌いっ」
「え……」
「あら、太一に100のダメージ!
効果は抜群だぁ!」
やっと話してくれるようになったと喜んだ直後の嫌い宣言。まるで妹に言われたような気分になった太一は、思わず固まった。それを伊織は面白そうに見ている。
稲葉は詩織の発言にむっと眉を寄せると、詩織が顔を埋めるテディベアを奪い取った。
「これは没収だ。」
「っ!、やだ!」
「なら太一に謝れ。」
「……やだ。」
「なら没収だ。」
「やだぁ!」
テディベアを抱えたまま部屋を出ていこうとする稲葉を止めるため、詩織は今まで恥ずかしがっていたことも忘れ、ベッドから起き上がった。ひしとテディベアに抱きつき、行かせまいと踏ん張る。
「じゃあ謝れ。」
「…………」
「あーぁ、このテディベアうちのどこに置こうかなぁ。」
「!、ごめんなさいっ」
「ちゃんと太一に向かって言え。」
「八重樫くんごめんなさいっ」
ペコリと下げられた頭。太一は妹を思いだし、思わず口端をあげた。
「いいよ。」といつも妹にやるように頭を撫でてから「しまった」と思ったのだが、熱のせいか、詩織は怖がる様子もなく、むしろ嬉しそうに笑った。
その姿に不覚にもどきりとする。バレてしまっただろうか、と慌てて稲葉を見ると、どこぞの暴力団のような鋭い目を向けられ震え上がった。
「よし、テディベアは返す。
アタシも、いじわるして悪かったな、詩織。
アタシたちはもう帰るから、ゆっくり寝るんだぞ。」
「え、もう帰るの?」
「そうだね。
このままだともっと熱上がっちゃうだろうし。」
「危険なヤツもいるからな。
明日もくるから、大人しくしておけ。わかったな?」
「……はーい。
ばいばい、姫子、伊織ちゃん、八重樫くん。」
テディベアを抱き締めながら、詩織は名残惜しげに手をふった。それに三人が振り返したのを最後に、ドアは閉まった。
ところ変わって帰り道。
腕を組んだ稲葉が、妙な笑顔を浮かべながら、太一に詰め寄った。
「さて太一。
アタシに何か言うことはないか?」
「……ナンノコトデショウ。」
「とぼけるとはいい度胸だ。
選ばせてやる。走行中トラックの前に飛び出すのと、学校の屋上から突き飛ばされるの、どっちがいい?」
「どっちも死ぬよ!」
ものすごい威圧感を放つ稲葉に本気で震えながら、太一は稲葉の隣でにこにこと笑っている伊織に助けを求めるように視線を向けた。
それに気づいた伊織は、ふぅ、とため息をついて稲葉の肩を叩く。「助かった」と太一が安堵した矢先、
「稲葉ん、どうせならもっと苦しめた方がいいよ。」
「な、永瀬まで……」
ここに自分の味方はいないようだ。太一は自分の身を案じ、全速力でその場から退散した。
「あ、逃げた。」
「まぁいい。
どうせ明日学校で会うしな。」
そんな会話が、自分の後ろで行われているとも知らずに。
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詩織が持っているテディベアは稲葉からの誕生日プレゼントだったりするといいな。
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