ニーナの水没 |
「おかーりなさー」 夕暮れに差し掛かる前に家へと足を運ぶ。解錠し扉を開くと帰って来たのが予め分かっていたのか、玄関にちょこんと立って手を広げて待っていた。目線をあわせるようしゃがんで全身で受けとめる。 「ココしゃん、ぎゅーっ」 「はは、いつもより甘えん坊じゃないか。どうしたんだい」 「いいの、いいの」 何が「いい」のかは分からない。ただ彼女はいつもそう言って話を自己完結させるものだから、ココも自らすすんで聞き出すようなことはしなかった。ちっぽけな世界がゆるゆると動き出す大きな大きな歯車は、叫び声のように悲鳴をあげて尚、動こうとし、金きり声ように耳障りな音を紡ぐ。それを止めているのは自身であるのだと、ココは見て見ぬふりをした。 変化を恐れていたのかも知れない。 「お野菜は?」 ご飯を待っていた動物のように、嬉しいのかぴょんぴょんとその場で跳ね始めた彼女に、ああ、そういえば、と荷物を渡す。 「重いよ?」 「らいじょーぶ」 その晩の飯は野菜をふんだんに使用した鍋で、なまえも笑顔を浮かべて楽しそうに笑っていた。 翌朝、再びココが旅立つ日がやって来た。いつもと違うのは、早起きの彼女が姿を見せないことだった。それはココにとって既に非日常である。何処かに隠れているとは思えず、鼓動が早くなる。 「なまえ!なまえ!しっかりしてくれ!!」 彼女の真っ白な細い足が視界に入った。駆け寄りその身体を揺さぶるも返事はなく、顔は真っ赤で胸も激しく上下している。浅い呼吸を繰り返す彼女を抱き抱えてココは病院に走り出した。 「正真正銘、風邪ですな」 カルテと彼女を交互に見やり、老人は淡々と返事をした。 「ほ、他に何か大きな病気は、」 「落ち着きなされ。まったく、四天王ココとあろう者がこの程度で慌てふためきおって。定休日の文字が見えなかったのかね?」 薬の請求書を看護師に渡しながら、老人はほとほと呆れたとばかりに深く溜息を吐き出し眼鏡のブリッジを押し上げた。 「熱・喉の腫れ・脈拍数の上昇。あとは貧血気味といったところかのう。彼女、食事は?」 「摂取してました…昨晩も野菜をふんだんに使った鍋を…」 「肉は?」 「あまり…」 「ふうむ。これからは肉を多めに摂取するように心掛けなさい」 点滴が終わるまで傍に居てやりな、と診察室から追い出されたココはなまえと一緒に休憩室に居た。点滴が終わるまで、と言っていたがココはそれ以上に予定を変えるつもりで彼女を見つめる。 トリコと小松の二人には申し訳ないが先に向かってもらおう。 「……コ…しゃ…」 「なまえ、気が付いたかい」 「…ごめんなしゃ…ごめ…しゃ…」 大粒の涙を溢してわんわんと泣き出したなまえの涙を拭い、手を握る。 「…ココしゃ、行っていいよぉ…トリコしゃと小松しゃと行っていいの…」 「君は人の心配より自分の身体を気に掛けた方が良い」 「う、うぅう…」 あいあと、あいあと。 うわごとのように繰り返す言葉にココも一筋の涙を流した。 |