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愛してなどやるものか



「メフィスト、いる?」

締め切られたドアの向こうにある高い声に、メフィストはにぎやかな色の椅子に腰掛けたままごく短く、「ええ」とだけ返した。それを聞いたのか聞いていないのか、言葉と同時にドアが開く。子供特有の柔らかい直線をした身体が、男のいる机の前へと部屋を駆け抜けた。

「お帰りなさい、今日はいかがでした?」

言いながら、椅子を回転させて子供を招き入れる。なまえはまるで当たり前のように白のかぼちゃパンツの上によじ登り、小さな身体を抱え込まれた。その暖かいにおいに、子供は頬をゆるめる。
メフィストからはいつもちょっと甘い香りがする、きっといつもお菓子をいっぱい持ってからなんだ!
目の前の身体に抱き付こうとしてようやく、子供は自分の手にあまいものを持っていることを思い出した。

「あのね、燐とね、クッキー作ったんだよ!ちょこちっぷも入ってるの!」

「なるほど、美味しそうですねえ」

メフィストは薄く笑い、小さな布で纏められた甘味を受け取る。
あの兄弟と仲良くしておきなさい。言葉を言葉通りに受け取ることしか知らない子供は、暇を見付けては彼らのいる男子寮に行っているようだ。元来子供のような奔放さを持つ兄には自然に、義務で固められた弟には、理事長の名前をちらつかせて、良く懐いている。もっとも、後者は無意識だろうが。
メフィストが手土産を受け取ったことを確認すると子供は満足そうに笑みを浮かべ、普段よりも更に甘い瞳で男を見た。

「でもね、じゅくで忙しいんだって。だからぼくも、じゅく行きたいなあ!良いでしょ?」

なにかを強請るときに使う高い声。子供は子供なりに、自分の強みを理解しているらしいな、メフィストは思った。幼い子供は祓魔師の意味を分かっていないのだろう。それどころか、魔傷を受けていないこの綺麗な身体は、悪魔の存在すら理解してはいない。
笑いを堪えながら、メフィストは子供に言い聞かせる。

「塾に入ったら、祓魔師にならなくてはいけませんよ?」

言い聞かせるような口調、エクソシストという言葉、それはまるで誘惑のように、子供の頭に響いた。

「ただ楽しいだけでは済みませんよ、悪魔と戦うのですから。みんなを助けられるようになるかも知れませんが、死んでしまうかも知れません。それでも、良いのですか?」

なまえはぼうっと、メフィストを見つめる。次第に長い睫毛が伏せられ、少し考え込むような仕草を見せた。
子供は死を知らなかった。祓魔師のことも、兄弟が頻繁に作ってくる傷跡、そして目の前の男から聞いたまるで伝説のような話以外は、何も知らなかった。
男はあえて何も言わずに子供を見下ろす。しばらく続いた沈黙のあと、なまえは噛み締めるように、小さく口を開いた。

「うん、ぼくね、じゅく行きたい」
「ほう、では祓魔師に?」

細められるメフィストの瞳。

「祓魔師になる!祓魔師になって、それでね、」

子供の細い身体が、メフィストの腹に埋まる。もぞりと、頭をすり付けるように動かせば、子供特有の甘いにおいがした。

「メフィストのこといじめるわるい悪魔がいたら、ぼくが追い払ってあげるんだ!」

思わず、なまえを見下ろす。何も言わない自分を不思議そうに見上げてくる大きな瞳、そこに映った自分の姿を見て、メフィスト・フェレスは普段浮かべているものとは少し違う笑い方をしてしまった。ふふ、笑い声がもれる。

「それはそれは、頼もしいですねえ!」

ああ、無知とはこれほどまでに罪深いものなのか!
この子供は、自分の保護者が、正十字学園の理事長が、祓魔塾の塾長、彼の実の両親を激戦地に送り込んだ正十字騎士團日本支部長が、この私が、正しく彼の言う“わるい悪魔”であることを知ったとき、どんな表情でこちらを見上げるのだろうか。どんな言葉を、私に吐いてくるのだろうか。
メフィストが喉の奥で笑う。それを聞いて更に嬉しそうな顔をした子供の頭をゆるく撫でてやれば、またどこかあまいにおいが部屋に広がった。
そして、穢れのない身体に記念すべき1つ目の傷を付けてやるべく、白い首筋へと手を伸ばす。


愛してなどやるものか。神をも恐れぬその愛で、もっと私を楽しませておくれ。








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