八月の慕情




九月である。

残暑厳しい中に、静かな秋の訪れを感じつつある九月上旬。

まだきつい日差しを避け、朝早くに教室に到着したのは、少しでも暑さを回避するためである。

朝方の教室はひんやりとしており、明けて少し経つ空は淡い黄色のような曖昧な色をしていた。

窓際の席からぼんやりと空を眺めてみる。

星の消えた空には、白い雲がぽつぽつと浮かんでいる。

消える星を見送ってきたのだろうか。

我ながら詩的だ、などと思っていると、窓の外に見える小さな影。

小さな、というのはこの教室が地上よりも高い場所にあることももちろんそうだが、

単に見える相手がお世辞にも大きいとは言えないサイズだからだ。

鳥の羽みたいな、形容し難いヘアースタイル。

無造作ヘアーとも言う。

朝日のようなオレンジが目に眩しい。

「…先生、こんな朝から何やってんの?」

閉め切ってクーラーをまわし始めたこの場所からは、いかなる地獄耳でも届かないであろう疑問。

まだ眠気を含んだ自分の声が、誰もいない教室に響く。

うと、と眠気が差してきて、ゆっくりと瞼が閉じた。

一瞬意識が飛んで、はっと顔を上げる。

頭に衝撃。

「ぐっ」

「いった!」

…一瞬どころか、10分は意識を飛ばしていたようだ。

ぼんやりと輪郭の定まらない視界に、頭を押さえて静かに悶える人が映る。

「…せんせ?」

「いってー…悪い、みょうじ…大丈夫か?」

段々とクリアになるにつれ、私が不可抗力とはいえ頭突きをかました相手が、涙目になっているのがわかる。

先ほどまで外にいたはずの直獅先生だった。

「お前案外石頭だな…いてて」

「…あ、大丈夫ですか?」

平気平気、と笑顔を見せる先生。

「みょうじが突っ伏してたから、具合でも悪いのかと思ってな。寝てただけならよかった」

「ごめんなさい…保健室いきます?」

「流石にこんな早くじゃ、琥太郎センセがいないだろ」

「あ、そっか」

ぽん、と手をうつと、まだ寝ぼけてるのか、なんてからかってくる。

先生と二人きり、なんて言うと如何わしい響きを含むが、こうして話している時間は純粋に好きだった。

この時間がもう少しだけ続いたなら、なんて思うこともあるが、先生は常にみんなの先生だ。

呼ばれれば風のように去ってしまう先生に、時折置いて行かれたと感じることがある。

こんなこと、誰にも言えないが。

「先生、さっき外で何してたの?」

「ん?さっき?…ああ、山羊座寮まで用があってさ。朝から一仕事してきたんだぞ」

これでも教師だからな。

教師、という言葉がちくりと胸を刺していく。

「もっとお前らも働いている教師に敬意をだな…」

「払ってる払ってる」

「みょうじー!先生は悲しいぞ!そんなに冷たく言わなくてもいいだろー!」

「うーるーさーいーな、ちょっとお口チャックしててよ、先生」

先生の唇をなぞるように、横一文字を空にピッと引く。

むっつりとした顔で黙った先生を笑うと、更にむっとした目になった。

「あはは、先生小っちゃい子みたい」

「…」

素直に"お口チャック"の状態を守っているところを含めて、である。

少し可愛くていつまでもチャックしたままにしていると、先生の手がのびてきた。

身を固くする暇もなく、頬をむにぃと引っ張られる。

「むぁ、」

変な顔、という表情をして、むっつりとした顔が一瞬で綻ぶ。

可愛い、とも、かっこいい、とも違うその顔。

胸のあたりがきゅんとくぼんで、浸み込むようにじわじわと胸の高鳴りが広がっていく。

こんな感情にさせるから、私が一人で寂しくなるのだ。

先生は何も寂しがらずに、私だけ、置いて行かれた、なんて思うほどに。

この気持ちが世間で何と言うかは知っているし、世間でどう受け入れられるかも知っている。

慕うばかりで追い付けはしない、過ぎ去った夏に似た目の前の人。

むにむにと頬を軽く引っ張る仕草が、早く喋らせてくれよ、という意思表示だったと気が付くのは、あと数十秒呆けた後のことだ。


02.八月の慕情

痛くて痛くて、それでも貴方は、尚甘い。



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