温く甘く
列車の中である。
ガタタンゴトトン、と規則的に揺れる車体。
たくさんの家々が後方へ流れていく窓の外を見ながら、遠い任務先には何が待っているのか想像して憂鬱になる。
どうせ私を待っているのは、敵にしか見えない人間と、アクマだけである。
「もーさぁ、神田、一緒に逃避行しようよー。アイのトウヒコウってやつー」
はぁ、と深いため行きをつきながら冗談めかして言ってみる。
瞬間、六幻が鞘に入ったまま伸びてきて、私の頭を容赦なく叩いた。
ゴン、と鈍い音。
「馬鹿か」
「あい…すんません…」
じんじんと痛む後頭部に手を当てる。
若干くらくらする視界には、澄まし顔で足を組む神田。
私と思いを通じ合わせた蕎麦野郎の筈なのだが。
…扱いが以前より少しひどくなった気がする。
「…ねえ神田」
「くだらねえことなら次は抜くからな」
「神田の匙加減じゃん」
「ふん」
じろり、とその双眸が私を捉える。
心臓がバクッと大きく打つ。
こんな酷い男でもときめいてしまう自分は、そろそろ変なんじゃないかと思う。
「私と逃げよう、って言ったら、逃げてくれる?」
「…まだその話か」
チャキ、と鞘から数pほど白刃が覗く。
「手繋いで、逃げてくれる?」
向い合わせの座席から少し腰を浮かせて、六幻を抜きにかかるその手に触れる。
相変わらずひんやりとした手だ。
その手が私をどこかへ連れていってくれるのだとしたら、行き先はどこだっていい。
「…何から逃げる」
キン、と六幻が鞘に収まる。
「怖いもの」
アクマ、武器、戦争、世界。
そんなものをかなぐり捨てて。
「…俺が斬り捨ててやる、ンなもん」
「やだ、一緒に逃げて」
戦ったら神田がすり減ってしまう。
というか、戦うのならそもそも逃げようなんて言わない。
まあ、愛の逃避行に憧れているだけなのだが。
「…できねェ相談だな」
「ですよねぇ」
あーあ、とわざとらしく言って座席に座る。
離れる指先から、温もりが消えた。
流れる景色がいつの間にか海になっていて、曇り空に灰色の海が私を暗い気分にさせる。
窓のはまっている壁に頭をつけて寝る体制に入ると、閉じた瞼がふっと暗くなる。
瞼を開けると、目の前に青い双眸。
声をあげる前に唇が触れて、ぬるい体温が伝わる。
薄く開いた青に耐えられず、もう一度瞼を閉じた。
押し付けられた唇から舌が覗いて、私の唇を舐めて離れていく。
空気にさらされて冷える唇。
顔はまだ近いままで、なんというか、壁に追い詰められた感じだ。
さらりと零れる黒髪が、墨のようで美しい。
頬をゆっくり撫でる、固い手。
私の頬が冷たいのか、じんわりとぬるく感じる指。
神田は、温いのだ。
「…俺は教団から逃げるわけにはいかねェんだ」
「愛より、教団?」
はっ、と嘲るように笑って見せる。
殴られるかと思ったが、神田はただ一言。
「かもな」
と、言った。
「ですよね…」
「悪いな、逃げられなくて」
「神田がいればそれで良いよ」
端正な顔の、白い頬に口付ける。
ああ、冷たい。
私に触れる部分はいつもぬるいのに。
「誘ってんのか」
「逃避行にね」
「お断りだ」
「それは残念」
頬に、額に、瞼に。
これは私のものだと、確認するように。
逃げられないのならば、せめて好きな人と添い遂げたい。
それすら恐らく叶わないだろうと、知ってはいるのだ。
「…唇にはしねぇのか」
「百回愛してくれたらしてあげてもいいよ」
「へェ」
「…ねだるなら、話は別だけど」
冷たい頬を両手で包む。
どうする?と首をかしげると、くっと神田の口角が上がった。
「ここで愛してやってもいいけどな」
「あ、お断りで」
「…なんだよ、そういう誘いじゃねぇのか」
「違います」
つまんねぇな、と体を離される。
そろそろ終着駅だからだ。
「次、乗り換え?」
「あぁ。はぐれんなよ」
「ハイハイ」
六幻を持って、神田が振り返る。
振り返った襟首を掴んで引き寄せて、背伸びをして。
リップ音と共に離れた唇は、やはりぬるい。
「すきだよ、神田」
襟首を離して扉を開けると、白い服の探査部隊。
「いきましょーか」
と、その背を押して出口に向かう。
後ろからついてこない神田は、今どんな表情をしているのだろうか。
温く甘く
そして、温かく
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link先の琥珀様に捧ぐ。