かしゃかしゃ。
ボールと泡立て器がぶつかり合う音だけが耳に届く。単調なリズムを刻むその音は、あんまり好きじゃない。わからないけど、好きじゃない。しかし、突然部屋いっぱいに広がる甘い香りに、そんなことどうでもよくなった。くんくんと反射的に犬みたいに匂いを嗅いでしまう。良い匂いだね。そう伝えると、彼女は人間の科学力はすごいねぇとちんぷんかんぷんな回答をした。俺が首を傾げると、なまえはくすくす笑う。その甘い香りがまがい物だと知ったのは、あとからのことだった。
なまえは物知りだ。お菓子作りに関してだけ。にゅーかとか、めいらーどはんのうだとか小難しい単語を並べて、お菓子は科学だと目を輝かせて俺に力説する。なまえの説明は噛み砕いていて分かりやすいのだろうが興味がないためか、さっぱり頭に入ってこない。やっぱり俺には理解できない。お菓子作りなんて、内心非効率的だとすら思う。コストや時間を考えるなら絶対しない。買った方が早いじゃん。なのになまえはいつも一生懸命だった。お菓子作りが好き、だから。作ってるあいだも、食べるときも好き。でも、一番好きなのは俺に食べてもらうときなのだと、なまえは笑った。そのなまえの笑顔が、なまえが、俺はやっぱり好き、だったんだ。けど、

「バッカみたい」

吐き捨てずにはいられなかった。
なまえよりお菓子作りが上手な奴なんか山ほどいる。きっとそこらのケーキ屋さんのお菓子の方が美味しいだろう。そんなこと、決まってるのにどうしてあんなに頑張るのだろう。
バッカみたい。
バッカみたいバッカみたい!

「そんなに一生懸命やって、何が楽しいの?」

意地悪を言いながら後ろから彼女の細い腰に手を回すと、なまえは手を止めて俺を見上げた。悲しそうな、雨に打たれた子犬のような顔をすると思えばひたすらに無表情だった。俺の声はきちんと耳に届いていて、彼女は受け止めている。内心を読ませないままに、なまえは真っ白なクリームを一掬い。口に含んで、緩く幸せそうに微笑む。
ボウルの中には甘い生クリーム。
今日の部活後のおやつはショートケーキ。

「味見する?」
「は?」
「いっつもしてるじゃん」

にこにこと機嫌良さそうに甘く笑いながら、なまえは俺の言葉を軽く無視した。むっとして眉間に皺が寄るけど、なまえはどこ吹く風だ。訝しげに彼女を見るも、瞳の中は何も考えてないのが分かる。
しかし、彼女の提案はある意味魅力的であるのは事実。無言でクリームに指を突っ込み、ひんやりとした感覚が指先を包み込む。そしてクリームから出すと、人差し指の第二間接までべったり付着して、今にも垂れ落ちそうなそれをゆっくりと舐めとる。

「甘い」
「うん」

口の中にはあまやかな味が広がって。ふんわり卵味のスポンジと、甘酸っぱい苺と合わさったときのことを想像すると、この組み合わせを考えた人は天才だと言うなまえの言葉に心底同意してしまう。だから、ついぽろっと本音は漏れてしまった。

「……おいしい」
「でしょー」

にやりと笑うなまえの顔。
悪戯が成功したときのような、どこか勝ち誇った表情。あいつらと同じかお。ぱっと手を離して、何も言わずになまえに背を向ける。彼女は俺の気も知らずに再び作業に戻っていった。知らず知らずのうちにギリ、と歯噛みする。歯こぼれするぐらい、忌々しく、激しく。エナメル質が削られるんじゃないかと思うほどに。

嫌い、だった。大好きなのに、大好きなものへと向かって頑張るなまえは嫌いだった。いとおしく思うのに、ふとした瞬間手を伸ばす。ひねりつぶしてしまいたいと、俺の本能が叫び声を上げる。
わからないよ、なまえ。


なんで、なんで。大好きでいられるの?

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