「明日お祭りがあるらしいんスよ」

そう何気無く口にする黄瀬くんは、一見すると普段通りだ。けれど、注視していると何かが違う。ちらりとこちらに向けられた視線は、探るような、慎重そうな印象を受ける。

「へぇ、知らなかった」
「ここらへんじゃ大きめの祭りで、夜には花火もあるらしいっス」
「秋なのに珍しいね」

何より彼の雰囲気があっさりとした口ぶりと裏腹に、昨日今日のクラスの女の子達に少し似ている気がした。色めきたって、そわそわしてて。ああ、お祭りに行きたいんだなぁとなんとなく思った。

「一緒に行かないっスか、なまえっち」

黄瀬くんが出来るだけ平静を装おうとしているのだけは伝わった。そして声に普通の人にはわからないぐらいに緊張を滲ませているのも。
全て不可解だった。一番に考えたのは、何故私なのかということだ。いくら周りに黄瀬くんのタイプの女の子が群がらなくても、一人ぐらいいるだろう。可愛い子もいくらでもいるだろうが、ふと前に黄瀬くんが芸能人並みの美人は気疲れするとこぼしていたことを思い出す。私を選ぶとはよっぽど疲れているのかもしれない。多分、黄瀬くんの知り合いの女の子で、一番気楽なのは私のはずだ。

「ど、どーしたんスかなまえっち。俺とお祭り行くのそんなにイヤだった?」

じっと黙った私に、黄瀬くんはおろおろと訊ねた。不安げに瞳は揺れて、雨に濡れた子犬のようだ。

「そんなことないよ」

私は即座に首を横に振り、しっかり否定する。疲れた黄瀬くんを癒せるのなら、私はお祭りに行きたい。別にそういう意図がなくても黄瀬くんと遊びに行くのは大歓迎だった。
けど、ごめんね。

「明日は模試なんだ」

一瞬だけ、黄瀬くんの歩くテンポが遅れて、元に戻る。

「ごめんね」

申し訳なくて俯いていると、黄瀬くんは仕方ないっスよと笑った。その笑い方はいつもと同じようで、やっぱりどこかぎこちなかった。



携帯を見ると、既に7時を過ぎていた。そうやって時刻を確認したのは何度目だろうか。携帯を開いて、嘆息するの繰り返し。トモダチからの連絡は山ほどあっても、今の俺には申し訳ないけど意味がない。

「黄瀬ー、いい加減にしないと帰るぞ」
「すみませんっス、先輩!」

ドリブルの音が体育館いっぱいに響き渡る。俺は急いでゴール前まで駆け出した。目の前では笠松先輩が俺を睨んだままドリブルを続けている。
自主練後、帰ろうとした先輩を無理矢理引き留め、1on1を頼み込んで早1時間。森山先輩なんか珍しく自主練をせずに部活終了後速攻で家路についたというのに、女性恐怖症と噂されるほど女が苦手な海常の堅物は、平日と同様に残って練習を続けていた。

「っし、」

先輩が口を開いたと同時に体勢を低くして左に動く。小柄な体を活かした俊敏な動きは、俺でも抜かれるときがある。しかし、きちんと体はその動きに対応し、先輩の前へと再び立ちはだかる。きゅっとバッシュが床を擦り、先輩は一つ舌打ちをしたと思えば後方へとジャンプしながらシュートの体勢に入った。ディフェンスが成功した油断で反応が遅れ、俺がジャンプしたと同時に先輩の手からボールは放たれる。シュートを放つ瞬間の先輩は俺になんか目もくれず、ひたすらボールへと集中している。指先へと神経は張り巡らされていて、このシュートは決まると唐突に理解する。その証拠にボールは俺のブロックを越えていき、弧を描いてゴールへと導かれるように落ちていった。

「先輩、もっかい! もう一回お願いします!」
「は? 一体何時まで続けるつもりなんだお前は」
「8時までって一応決めてるっスけど」
「お前な、」

8時は、花火が始まる時間だった。なまえと祭りに行けなかったから、自主練に打ち込んでいる。半ばヤケだ。先輩には本当に感謝している、と思った瞬間だった。いきなり飛び蹴りされてバッシュが脇腹に突き刺さる。

「女と祭り行けなかったぐらいでへこんでんじゃねぇ!」

内臓が壊れるかと思った。



――俺、待ってるっスから。

ほんの少しの希望に期待を寄せて、忠犬のようにそう告げた彼。純粋に嬉しく思うが、やはり忍びない。間に合うかわからない私が、黄瀬くんの時間を奪ってしまう。他の子と行った方が、と自分勝手な寂しさを引きずりながら言おうとした瞬間、それを察知した黄瀬くんはバスケをするときのように強気に笑った。

――俺は、なまえっちと行きたいんス。

模試の会場である予備校から足早に飛び出して、私は携帯を取り出した。時刻は7時をまわっている。いてもたってもいられなくて、携帯をもたつきながら操作するも、うまくボタンを押せない。アドレス帳のか行から、きせを見つけ出すが、くまでいっていらっとしながら一つ上がる。
そう、私は焦っている。
本当は、模試をもっと早くに終わらせることはできた。最後に解いたテストは私の得意科目だ。ひとつひとつ吟味することなく、駆け抜けるように解いていっても、そこまで酷い点数はとらないだろう。でも、違うと思った。黄瀬くんはそんなことしても喜ばない。そう思ったから、いつものように時間をかけてじっくりと解いた。これでよかったのだと思う。しかし、時間は決して待ってくれない。花火まで1時間を切っている。海常までの距離は遠く、開始までに間に合うかはわからない。それでも、すがりつくように黄瀬くんと歩く数十分後の未来に賭けようとする自分がいる。

私、黄瀬くんと、お祭りに行きたい。



「おい黄瀬! 携帯鳴ってるぞ!」
「はい!」

先輩からの怒号なんか気にならなかった。俺が一心不乱に携帯の方へと向かう間に彼は片付けを始めている。俺の時間潰しに何も言わずに付き合ってくれた先輩に心の内でお礼を言いつつ、体育館の端に打ち捨てるように置いていた携帯をひっ掴んだ。誰からかなんて確認しない。多分、声を聞いた瞬間に誰かわかるから。逸る気持ちを抑えながら、俺は通話ボタンを押したのだった。

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