なまえが目を開けると、そこは肌色で、白で、赤かった。ぼんやり霞んだ視界に、思考。起き抜けの頭は眠いとか、もっと寝ていたいとか、起きるのが辛いとか睡眠に関する雑念の嵐だ。
なまえはほう、と息を吐き、小さく身震いする。早朝であるが布団にくるまれたため寒い訳はなく。むしろずっとこうしていたいぐらいにそこは暖かく、居心地が良い。無意識ながら体は目の前の何かに擦り寄った。ゆっくりゆっくり、しかし確実に距離を詰める。そしておもむろに手を伸ばした。ふわふわとした思考はただ暖かさを求めただけだ。もっともっと気持ち良くなりたかっただけ。それに触れたら、いろんなものを与えてくれるような気がして。ひたりと、その手は吸い込まれるように触れていた。手のひらが馴染む感覚や体温がじわじわとなまえに広がっていく。
そう、体温だ。その暖かさは人肌によるそれで、目の前にいるのは――

「せん、ぱい」

その声はあまりにも甘く、男に媚びる雌のものだった。



薄目を開けて一部始終を見ていたが、なまえの様子に今吉は吹き出さないようにするので必死だった。今はすっかり背中をこちらに向けて、なまえは寝たふりの真っ最中だ。やっと今吉は口元だけを緩めることができた。
驚いて口を塞ぐその形相、目の色。テンプレートな動きや表情は、コテコテが嫌いじゃない身としては花丸をあげたい。今吉が(決して表には出さないが)腹を捩らせている間にも、なまえは信じられない、と何度も何度も自分を罵っていることだろう。寝惚けて何をしでかすのかと観察していたら、なまえは予想以上の反応を示してくれた。そのお礼はたっぷりとしなければと、今吉は後輩たちに揶揄される人の悪い笑みを浮かべていた。

「みょうじ?」

なまえの呼吸が一瞬止まる。しかし今吉の呼び掛けには無反応で、なまえは何事もなかったかのように寝息のようなものをたて始めた。
アホやと、心の底から思った。

「起きひんなら悪戯してまうで?」

人をおちょくる演技は非常に好きだが、この台詞だけは気持ち悪すぎて言っていてげんなりした。
ぐいっと腰を抱き、なまえをこちらへ引き寄せる。一糸纏わぬ彼女の背中と今吉の引き締まった胸がぴたりと密着する。しっとりとした女の柔肌、子供みたいに高い体温。何故か口からは溜め息が漏れた。なまえが起きたときのような、安堵の籠ったそれ。バスケで勝ったときとはまた違った充足感だった。

――アホくさ。

小さく苦笑しながら、彼女を大きな体躯で包み込む。そして片手を脇腹へと滑らせ、そのままするすると胸元へ。バスケットボールばかり触れていた硬い皮膚が覆う指先が、胸の飾りを弄び、やわやわと乳房を揉みしだく。声は決して漏らさないが、なまえの吐息は確実に大きくなっている。たまにびくりと腰も揺れていた。

――やらしい子や。

声に出して嘲笑ったらどういう顔をするだろうか。羞恥を超えて自己嫌悪にまで陥らせる台詞などいくらでも思いつく。一言一言大事に吐き捨てて、身も心もぐちゃぐちゃにしてやりたい。
しかし、今はそのときではない。

「なまえ、」

意識して、声を低くした。お前が欲しいと、どす黒い欲を孕んだ獣の唸り声だ。ただ、声に表れたそれは半分どころかほとんど演技じゃなかった。

「好きや」
「っひゃ、」

耳元で囁きながら、思いっきり胸の頂点に爪をたてた。強すぎる刺激に耐えることなく、なまえは体を跳ね上がらせる。それと同時に鼻から抜けるような声も漏らして、やはりなまえは口を手で塞いだ。
とうとうバレてしまった。
そんなドギマギとした心情が背中から伝わってくる。そしてそろそろと振り返り、こちらを窺うなまえに、今吉はにんまりと笑いかけた。

「おはよーさんみょうじ」

なまえにとってはさぞかし最低の朝だったであろう。驚愕に満ち満ちた目で自分を見るなまえと、ばっちり視線がかち合う。全てを理解した結果不平不満しかないなまえにも構わず、ぎゅっと抱き締めて、額を背中に押し付ける。背を丸め、声を殺して延々と笑っていた。それはある意味なまえにとってへたな爆笑よりも羞恥心を煽るものだった。

「朝から笑かしてくれるわほんま」
「……起きてたの知ってましたね!」
「さあ? どーやろな」
「趣味悪い!」
「乳首に爪立てられて感じる変態には言われたないなあ」
「……っへ、変態じゃないっ! 変態じゃないです!」
「へぇ、そうなん?」

急速に温度を下げた声色になまえの体が反射的に強張った。強情な態度を装いつつも、続く今吉の言動に過去の経験によって本能から怯えている。何を言えば、素直になってくれるだろう。そのためなら言葉もタイミングも一番良いものを選び抜いてやるのに。無駄に回転が速い頭は、こんなくだらないことにも柔軟に対応する。むしろ勉強よりこっちが本職といっていい。そうやってじわじわとなまえの纏う強情さや虚勢を剥ぎとっていくのが好きだと、どうして理解できないのか。
アホやなあと内心呟きながら、なまえの耳元に唇を寄せた。

「せやったら、ワシに好き言われたから感じてもうたん?」

息を呑み、なまえはごくりと喉を鳴らす。室内は朝の冷えた空気が流れる、張り詰めた沈黙に包まれていた。

「好きじゃ、ないくせに……っ!」

しかし不意に、なまえの震える声が静寂を破った。

「ん?」
「先輩は、私のことなんか好きじゃないくせに!」

普段はへらへら笑って、誰にでも満遍なく愛想を振り撒くなまえが、激昂するなど珍しいことだった。少なくとも今吉の前以外では。自分だけに激しい感情をぶつけるというのは、なまえにとって今吉が特別なのだということが嫌でもわかる。今吉の余裕は崩れない。

「いつも言うてるやん、好きやって」
「嘘です!」
「好きやってなまえー」
「名前で呼ばないでください!」

頑なな態度にしょうのない子やなぁと息を吐く。

「媚びへつらって演技すんめんどいねん。そもそも今更愛してるやなんや言う関係とちゃうやろ。そないなこと言うてほしいや思っとらんくせに」

せやからお前選んだんやで。
ぼそりと今吉が呟いた最後の台詞に、なまえは異様に反応を示した。恋だの愛だの、そんなもの求めてもいないくせに、いざ親密な関係になろうとするとそれを必要とする。恋愛によるものではない肉体関係は、なまえの良識が決して許さなかった。

「セフレって奴ですか」
「ちゃうて」
「……セフレなら他をあたってください」
「やからちゃうて。それに、他の女はお断りや」

こっち向き、となまえの体勢を変えようとすると、彼女は不思議と抵抗しなかった。しょうのない人だと言いたげに、自分の敬愛すべき先輩を見つめている。向かい合わせになったのが気恥ずかしいのか、顔を赤らめるなまえ。その表情はやはり普段と何も変わらず、次第に空気も穏やかなものとなる。

「別にセフレ探した方がいいですって先輩……。こういう関係は歪ですよ」
「そう?」
「はい。私達は先輩後輩なんですから」
「そうなん。セックスしてても?」

なまえの髪をいじりながら、空っぽの返事を繰り返した。茶色く染めた細い猫っ毛の髪を指先に絡めては放していく。

「セ、その、そういうことしててもあなたは私の先輩です」
「せやなあ、」

一度体の関係を持った以上、もう二度とあの穏やかで居心地の良いだけだった頃には戻れない。そんなことは今吉は当然のこと、なまえだって理解している。だからこそなまえの言うことは無駄だし、今吉は彼女を手放す気はこれっぽっちもなかった。

「…………」
「せん、ぱい?」

今朝もそうやってワシ呼んだっけ。
何も言わず、髪をいじるだけの今吉に、なまえは不安そうな視線を向ける。それはこれから自分の身に起こりくる事態を思ってではなく、いきなり黙った今吉を心配してのものだ。視線も表情も思慮も、何もかもがなまえを表していて、その光景を眺めるだけで満足だった。

「自分ほんまワシのこと大好きやな」

しみじみと口にすると、なまえは拗ねたように唇を尖らせる。

「大した自信ですね」
「そりゃ起きた思たら擦り寄ってきて、あんな物欲しそうに名前呼ばれたら、しゃーないやろ?」
「なっ……!」

顔を真っ赤にして目をかっ開いたなまえの顔は、それは見物だった。

「お、起きてたんですね!」
「朝から萌えさせてもらったわ。ワシが萌えるとかなかなかないねんで?」
「うっさいうっさい! 黙ってください!!」
「それに昨日も可愛かったな自分。好き好き言うてワシに跡ぎょーさん残すし、しょーいちて舌っ足らずに名前呼びながら喘がれたらなんや色々もたんかったわ」
「やだあああああ!!」

なまえは頭を抱えて身を限界まで縮こまらせた。耳まで赤くなって、本気で恥ずかしかったのだろう。理性が吹き飛んだときだけ、そういった行動をとるのは、雄を煽る才能があるのかそれとも。

「ヤっとる最中は素直でかわええんやけど、どーして素はこうなんやろか」

可愛いだけの人間なら腐るほどいる。頭が良い人間も同じ。それらを今吉が好きになることはなく、適当にご機嫌をとるのも相手をするのも最初は楽しくても段々と煩わしくなっていった。
けれど、なまえだけは違った。からかっているときも、延々とオチのない話を続けるときも、こんなにも自分が出せる人間は今までいなかった。なまえは周りが引くほどの歪みきった今吉の本性を、仕方ないの一言で片付けたのだから。
なまえと二人でいる、あの落ち着いた日だまりのような暖かな空間。そこで生きていけるなら、そこが居場所になるなら、例え手に入れる手段が多少強引でもいいと思った。

「せやなあ、言い方変えよか」
「?」

これは決して恋ではない。好きだと言ったのも状況に合っていただけで、今吉がその言葉を使うのは相応しくないのかもしれない。

「みょうじと一緒におるん、好きやで」

それでも、なまえとこれからもずっと一緒にいたいという気持ちだけは本物だった。

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -