「馬鹿じゃないの」

冷たい声音と、続いて冷蔵庫が閉じる音が響いた。そして今室内の空気を振動させているのは電源がついたテレビから生まれるバラエティ番組の陽気な声のみ。

「え、あの、」

「馬鹿じゃないの、本当」

反論どころか、更に強調された罵声の言葉を生み出されることとなった原因もわからぬままに俺は口を結ぶ。隣に座った彼のことを見ることが出来ずに手元だけを見ていると、居心地の悪さが俺を正座にさせた。

「…あの、おるどさん」

「………なに。死ねば?」

「なぜ、…なぜご立腹なのでしょうか」

時が止まった。時というかおるどさんが止まった。どうしようもない、もう駄目だ、死ぬ。いや、この表現は勿論大袈裟なものではあるのだけれど、なんというか、そう、心がズタズタになるまで言葉という名の武器で突き刺されそうというか、社会的に潰されるんじゃないか、そんな感覚。

「わかんないの」

「………はい、すみません、教えていただきたく候にございます」

「へえ、ふーん、そう。わかんないの。そうなんだ、わかんないの、ふーん。」

ちらり。横に座る彼の顔色を盗み見ると、眉根同士がくっつくんじゃないかというほどに接近している。その上にいつもなら涼しげなその表情が心なしか歪んで見えた。と、そこで聞こえたか細い音。

「………………おれのプリン」

「え、」

聞き間違いであろうか。突如ポップな単語が投げ掛けられたような。

「食べたでしょ、おれのプリン」

プ、リ、ン。カスタードプディング。
プディング - 小麦粉、ラードなどを蒸して固めた料理。カスタードプディング - 牛乳と卵から作る洋菓子。 いわゆる「プリン」。

記憶の糸を辿る。俺は、プリン、を。

「………食べました、ね…今朝」

「馬鹿じゃないの、あれおれのに決まってるじゃん。それくらいもわかんないの。馬鹿なの」

手汗がとめどなく溢れてきた。こわい。あのプリンがおるどさんのものなのは勿論知っている
。何故ならここは彼の家で、プリンが入っていたのはこの家の冷蔵庫の中だからである。

「……すみませんでした」

「おれさ、プリンあるからそれ食べようと思って帰りにアンパンマンの棒つきチョコ買うの諦めたのに」

「あの、買ってきますから。プリン」

立ち上がりかけた俺の腕が掴まれ、動きが制された。え、っと。

「……いい」

「え、プリンいらないんですか?」

「プリンは食べたい。でも行かなくていい」

滅茶苦茶なことを言うひとだ。
じ、と斜め上の表情を窺ってみると少しは怒りも収まったようで。――よかった、と口角を上昇させた瞬間。

「痛っ」

額に衝撃が走った。目の前には焦点が合わぬもののおるどさんの左手。

「取り敢えず今はこれでゆるす」

「…ありがとうございます!」

「でもいい気になるな、プリン倍返ししろよ」

そう付け足してそっぽを向いた彼の頬は少しも赤くはなかったけれど、むしろそのままパソコンに向かってしまったくらいだけど。俺には十二分すぎるほどのしあわせな時間。

「おるどさん、好きです!」

「うざいあついしね」


ずっとこんな時間が続けばいいな、とか。

柄にもなく思ったりして。



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