狭い世界の外




・アリスとフィーラ(アリス導入話)




まだアリスがアリスと名乗っていなかった頃、とある貴族のパーティでカトレア家の養女――フィーラと出会った。



「こんにちは、カトレア家のお嬢様」



父が少女に恭しく頭を下げる。それを受けて少女もドレスの裾を摘み、優雅に一礼をした。



「こちらがカトレア家の御令嬢、フィーラ様だ。フィーラ様、こちらは私の息子の――」


父が隣に立つ兄を紹介し、兄もまた恭しく頭を下げた。家では見ることの出来ない謙虚な姿勢を、アリスは薄笑いを浮かべながら見ていた。
アリスは父の側にはいない。例え父の側にいたとしても、彼の目に自分は映らない。
それは物心ついた頃からそうであり、アリスは社交場へと連れて行かれる度に一人壁にもたれてホール全体を見渡していた。
打算でしか動くことの出来ない醜い人間。不思議なもので、一歩引いてみると、その醜い心がよく見えた。



「どいつもこいつも、醜いね」



1人呟き、薄笑いを浮かべたアリスは、飽きずに父を観察し続けた。
それこそが未練の表れと気付かないままに。







「はぁー疲れた。だからあたしは嫌だって言ったのに……。何が嬉しくて機嫌取りなんか」

「へー、それがお前の本音かー。初めっから作ってるなーとは思ってたけどね。でも、仮面を外す前にもっと周りを見ないと」

「っ!?」



アリスが声を掛けたのは、先程まで父と兄と言葉を交わしていた少女――フィーラ・カトレアだった。
フィーラがこっそり会場を後にしたのを視界の端で捉えたアリスは、自身もこっそりと姿を消し、後を追いかけてきたのだ。



「えっと、人混みは苦手でして……。少し風に当たろうと思いまして」

「その変な喋り方やめなよ。俺に媚びを売る必要なんてないんだから」

「……何のことでしょう?」

「どーせ俺も似たようなものだからね。“あの”エフィティア家の妾の子だから。噂くらい聞いたことあるでしょ?」



フィーラは少し考える素振りは見せたが、聞き返してはこなかった。代わりに大きな溜め息が返ってくる。
そして、まっすぐ見つめられた視線からははっきりと敵意が感じられた。


「…………だから馴れ合おうというの?」

「馴れ合い……ね。そんなことは思ってないよ。ただ俺は、お前の仮面が気に入らないんだ。気持ち悪い」



アリスの無遠慮な言葉にフィーラは露骨に顔を顰めた。先程の貼り付けた笑顔は消えていた。どうやら取り繕うだけ無駄だと諦めたらしい。



「その観察眼は素晴らしいと思うが、あたしはお前なんかに興味はないし関わる気もない。何のつもりか知らないが放っておいてくれ」

「別に何も企んでないよ? ただこの社交場において似たような立場のお前の素が見たかっただけ。だいぶ変わるんだねー」

「ふん。ただでさえ周りから低く見られてるのに、これ以上舐められるわけにはいかないだろ」

「そっかぁ。お前は周りが敵だらけなんだね。俺はね、家の奴らがみんな敵なんだ。似た者同士なのに面白いね」



へらりと笑うアリスに対してフィーラは眉間に皺を寄せたまま睨むようにアリスを見続けた。
『何が面白いんだ』彼女の顔にはそれがありありと浮かび、それにまたアリスは笑う。



「ねぇ、家を出ようよ」



突如差し出された手を、彼女は一瞥しただけでパシッと払った。
微かな衝撃だけで痛みはなかったが、『痛いよ』と大袈裟に手を摩った。



「あたしは逃げない」

「逃げるわけじゃないよ。そもそも俺は、逃げることが悪いことだと思ってないけど。まぁそれはおいていてさ。変えること、変わることも必要だと思うんだ。その現状維持の姿勢は素晴らしいと思うよ。でもさ、お前はその狭い世界で死んでいって満足?」

「…………」

「人間は変化を嫌う。その方が楽だからね。無意識に楽な道を選んで生きてる。家を出るということは、険しい道に逸れるのということ。それ相応の覚悟が必要だよね」

「敷かれたレールの上を歩くことすら楽じゃないのに、さらに険しい道を歩くなんてバカじゃないのか? それが正しい道かもわからないのに」

「そうだね。回り道どころか行き止まりで、引き返さなきゃいけないなんて可能性もあるね」

「でも、それが近道だってありえるということか」

「そーいうことー」

「そんで、お前はどうするんだ?」

「ん?」

「惚けんなよ。似たような者だと初めに言ったのはお前だろ。お前こそ、その狭苦しい世界で生きるのか?」



惚けたわけではなかった。偉そうに語っていた言葉が、全て自分に返ってくると気付いていなかった。
アリスはぱちくりと数回瞬きをし、フィーラを見つめ直す。そしてニヤリと口角をあげた。


「言ったからには俺も手本を見せないとね」





――1年後、2人は王立シャウローラ学園で再び出会うことになる。





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