生と死と矛盾と




・琥翼と天音、梨世先生(琥翼導入話)



「こよ兄……ちょっといい?」


かちゃり、と遠慮がちな音をたてて、自室の扉が開かれる。様子を伺うようにそっと顔を覗かせたのは、妹である天音だった。
普段と違う様子に、教科書を閉じて天音に向かい合う。



「どうした? なんかあったのか?」



出来るだけ優しい声でそう問いかければ、天音はそろりと中に入って俺のベッドに腰を掛ける。
顔をあげて口を開いたが、何も言葉は出てこなく、そのまま俯いてしまう。そしてまた顔をあげて口を開く。その繰り返し。
俺は黙って天音の言葉を待ち続けた。数分経って、漸く天音は話し出した。



「こよ兄は、ボクが……、セナン国立魔法学院に入りたいって、言ったら、反対する……?」

「……しないよ。天音が行きたいと思うならいいんじゃないか?」

「ほんと?」

「ああ。でも知ってるのか? お前が3年になる年に何があるのか」

「わかってる。ボクは、それに参加したいんだ」




先程まで自信なさげに話していた天音は、しっかりと俺の瞳を見つめて告げた。天音の本気がひしひしと伝わってきて、思わず笑みが漏れる。



「何で笑うの!?」

「いや、天音の本気が伝わってきて、お兄ちゃん嬉しいよ」

「む……なんかバカにされてる!」

「してないよ! それにしても、何であんな自信なさげだったんだ?」

「…………凪に、猛反対された……」



ぷくーっと頬を膨らまして天音は拗ねて言った。珍しいこともあるもんだ、と目を丸くしながら天音を見つめる。



「凪音は――」

「でもこよ兄が賛成してくれたからいいんだ! 凪なんて知らない!!」



質問をしようとしたが俺の言葉は天音の声にかき消された。多少の疑問は残るものの、天音の嬉しそうな笑顔に口を閉じる。



「ね、ね! ボクが活躍したらみんな誉めてくれるかな? 表彰とかされるかなぁ!?」



興奮気味に語り出す天音。俺はその言葉に疑問を抱く。



「あのゲームの勇者みたいだね!」



ああ、そうか。彼女は何もわかってはいないんだ。




「天音。ここは、ゲームの世界じゃないよ」

「お、にいちゃん、まで……」



天音は信じられないものを見たような表情をし、顔を翳らせた。理解出来ない苛立ちが、隠せない天音を前に、俺は全てに合点がいった。天音が何故あんなに自信なさげに入ってきたのか。何故凪音が猛反対したのか。
凪音は、すぐに気付いたのだ。天音の純粋さ故の危うさに。
フィクションは所詮『偽物』でしかない。お綺麗な物語は現実には存在しない。


――天音はまだ知らない。


――“生”の反対には“死”があるいう現実を。



「なんで、凪もお兄ちゃんもそんな顔をするの!? ボクはわからないよ! わからないよ……!!」



天音は泣きそうにくしゃりと顔を歪めると、俺の部屋を飛び出していった。

きっと、きっと……天音はそれでも進むだろう。なら、俺は――――









「おいそこ! やる気がないなら即刻立ち去れ!!」



手を抜いてる男子生徒に注意すれば、そいつは不満気に顔を歪めた。それでも動かす足は先程よりも良くなっている。
手を抜いてる生徒をひたすら怒鳴る。中にはついていけず泣きだす生徒もいる。それでも俺は妥協しない。それを許されない。


チャイムの音が響き、授業終了の号令を掛ける頃には、生徒は疲れ切った顔をしていた。雑談すらなく思い足取りで教室へ帰っていく生徒を痛む胸を抑えながら無言で見送る。



「流先先生」

「あ、英先生」



職員室に戻る途中で声をかけてきたのは保健医であり同期である英梨世先生だった。



「先程足の怪我で保健室に行った生徒は……」

「軽い捻挫ね。特に生活に支障はないわ」

「そっか、良かった」



ふぅ、と溜め息を吐けば英先生はじっと見つめきた。



「ねぇ、琥翼クン」

「……なに……?」



いきなりの公私混同の呼び方に訝しげな視線を向けるが、冷え切った瞳にそれ以上の言葉が紡げなくなった。



「琥翼クンの授業は厳しすぎる。生徒もだけど、貴方自身が傷付いてどうするの?」

「俺は、別に怪我なんて……」

「――心が、悲鳴をあげてるわ」



梨世は俺の胸を――心臓を指さし、それだけ告げると保健室へ歩いていってしまった。



「心が、悲鳴をあげてる……か」



それでも妥協は許されない。その妥協が生徒を殺してしまう。



「あと、一ヶ月か……」



窓から外を見上げぽつりと呟く。
戦争の為に生徒を鍛えているのに、その戦争がこなければいいと思っている。相手を倒す術を教えているのに、自分の生徒は誰一人やられないことを祈っている。



「なぁ天音、正義とは、なんだろうか」



呟いた声は、誰にも届くことなく空に吸い込まれて消えた。


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