音にならず逃げるだけ
・フィーラとハイドくん
結界をはられ、周りから隔離された学園。その学園内にフィーラはあえて残っていた。自国であり、自分が通う学園での出来事。そこから逃げ出すことは彼女のプライドが許さなかった。
「精霊は何処にいるんだ……!」
先程までは意気揚々と歩いていた彼女も、あまりの進展のなさに苛立ちを隠せずにいた。
それでも、妙な気配にいち早く気付くことが出来たのは、周囲への警戒を怠らなかったおかげである。
「なん、だ……あれ……」
その妙な気配の正体は、小さな少女だった。この異常自体でなければ、迷ったのかななどと思うところだ。しかし、今はそう楽観してもいられない。
身を隠しながら近付いたフィーラは、目を見張った。
少女の背中には、青とも緑ともとれる透き通った羽があったのだ。
「あれが、精霊……?」
イメージしていた姿とは、だいぶ違うものだが、彼女が普通の人間ではないことは明らかだった。
どうしようか様子を伺いながら思考を巡らせるフィーラの肩を、後ろから誰かが叩き、思わず「うわぁ!?」と声をあげてしまう。
「なっ、だ……っ!?」
「僕だよ、フィーラさん」
「お、お前か……。いきなり来るな! びっくりするだろ!」
「ごめん、一応何度か声は掛けたんだけど」
驚愕し、上手く言葉が出ないフィーラに、少し困ったように微笑んだのは、同じクラスメートであるハイド・リリーだった。
一応許婚という間柄でもあるが、それについては有耶無耶になったまま。フィーラ自身に負い目がある為、面と向かって聞けないまま時ばかりが過ぎてしまった。
フィーラはハイドの袖をぐいぐいと引き、先程まで自分が見ていた少女を指差し興奮気味に話し出した。
「なぁ見ろよ、あれ! あれが噂の精霊かな?」
「ん? ……あぁ、あれは精霊じゃないよ。区別するなら、妖精……かな?」
「ようせい?」
こてんと首を傾げたフィーラに、ハイドは少女――妖精からフィーラに視線を移した。
「詳しくは僕もわからないけど、あれが精霊じゃないことは確かだよ。あれと同じような少年少女を何人も見かけたし、倒してるところも見たから」
「こ……、殺した、のか……?」
「いや、正しくは『消した』かな? どういう訳か、妖精はやられると跡形もなく消えてしまうんだ」
どんな相手であれ、痛々しい姿など見たくない。それが幼い少年少女なら尚更のことだった。
ハイドの答えにフィーラは安堵の溜め息を吐き、胸を撫で下ろす。
「あいつはどうしよう? 倒した方がいいのか?」
楽しげに窓から外を眺めている少女を指差し、フィーラは困ったように訊ねる。
いくら消えてしまうといっても、幼い少女に攻撃を加えることは、出来れば遠慮したいところである。放っておいていいものなら放っておきたい。
ハイドもそんなフィーラの気持ちは察しているのか、ちらりと少女を見た後、優しく微笑んだ。
「僕達には気付いてないみたいだし、放っておいていいんじゃないかな? 妖精は数も多いみたいだし、手当たり次第倒してたらキリがないと思うよ」
「見つかったら、襲ってくるのか?」
「そうだね。微力ながら魔法も使ってくるし、数が多い分、囲まれると厄介かな」
「じゃあここは退散す……わっ!!」
フィーラが立ち上がろうとした途端、その腕を掴まれ、少し強引に座らされる。
何とか体制を整え、文句を言おうと口を開けば「しっ!」と鋭い一言で窘められる。
「噂をすれば、ってやつかな」
そこには、いつの間に集まったのか、十を越える妖精の姿があった。
この数を前に、戦わずして逃げ切るのは不可能だと理解するのは容易いことで、フィーラとハイドもそれぞれ媒体を取り出して構える。
「結局戦うのか……」
「流石に避けられないね」
「うぅ……、しょうがない! 突破するぞ!!」
幸いなことに、こちらの存在には気付いていないようなので、先制攻撃を仕掛けることが出来る。
同じクラス故に相手の魔法はわかっているので、互いに目配せするとフィーラが先に影から飛び出した。
「いくぞ!」
掛け声と共に数個の大きな砂の塊を妖精に飛ばす。不意を突かれた2人の少年に当たり、姿を消した。どうやら一撃で仕留められたらしい。
「本当に1人1人は弱いんだな!」
にやりと笑ったフィーラに他の妖精が一斉に敵意を向けてくる。その敵意から身を守るように砂嵐を起こし、相手の視界を奪う。
「今度はこっちの番だよ」
その砂嵐の隙間を、ハイドが魔法を利用し、凄まじいスピードで駆け抜ける。そのまま怯む妖精に媒体であり、武器でもあるサーベルで、固まっていた数人を一気に切り裂く。魔法で応戦するものもいたが、スピードをあげたハイドを捉えられるものはいなかった。ハイドはまるで遊ぶように、右へ左へ避け、妖精との距離を詰め倒していく。
何人かハイドの横をすり抜けてフィーラの元へ向かう妖精もいたが、地面に仕掛けられた地雷によって吹っ飛んだ。地雷の威力は微弱のものだが、幼い妖精相手だとそれなりの威力があるらしい。
数分もすると、十を越えるほどいた妖精達は、片手で数えられる程に減っていた。
「そろそろ終幕といこうか」
ハイドがサーベルを一振りし、突風を巻き起こす。その突風に当たった妖精全員の周りの空気が真空状態に変わる。戸惑い動きの止まった妖精に向け、フィーラは最大の砂嵐を巻き起こした。
「吹き飛べ!!」
竜巻と呼ぶべきその砂嵐は、妖精の小さな体を凪飛ばし、治まった時にはただ1人の姿もなかった。
「なんだ、楽勝だったな」
「数の割には早く終わったね」
「あぁ。じゃあ、精霊とやらをさが……っ!」
「どうしたの?」
移動しようと足を上げようとしたが、思いに反して足は動かなかった。見ると足首まで蔓に絡まれ、動かすことが出来なくなっていた。
「なんで……!?」
「フィーラさん! 上だ!」
訳が分からず、足を動かそうと躍起になるフィーラにハイドが叫んだ。上を見上げると、少年が1人天井へ浮かんでいた。フィーラの真上にいたので砂嵐を喰らわずに済んだらしい少年は、フィーラを見つめにたりと笑う。
少年は鋭く尖った木の枝のようなものを手にフィーラへ突っ込んできた。
「っ、避けろ!!」
ハイドの声につられ身をよじり、そのまま体制を崩し尻もちをつく。
少年が放った一撃は、フィーラの足の間にあった。動かず立っていれば頭に直撃していたに違いない。
呆然と座り込んだままのフィーラの頭上で風を切る音がし、フィーラの足に絡まっていた蔓が消滅した。
「ハイド……」
「大丈夫!? 怪我してない?」
「あぁ……」
珍しくハイドが慌てている、などと関係ないことをぼんやり考えながら、フィーラは生返事を返す。ハイドはほっと一息吐くと、フィーラに手を差し伸べた。
フィーラは一瞬躊躇ったものの、その手を掴んで立ち上がる。
「……ありがと」
「大切な……クラスメートに怪我がなくて良かったよ」
その言葉で、ハイドもフィーラを許嫁として扱うべきか、ただのクラスメートとして扱うべきか定めかねてることがわかった。
今が聞くチャンスではないのか、とちらりと思ったが、やっぱりそれは口には出せず胸の内に閉じ込めることしか出来なかった。
「意気地なし……」
「ん?」
「いや……、精霊とやらを捜しにいこうぜ!」
「そうだね。早くこの異常も終わらせたいし」
情けない顔を見られまいと、フィーラは張り切って歩くふりをしながら、ハイドの先を行くのだった。