1人は2人で、2人は1人
・チェルシー
――異能が使えなくなる、ということが、どういうことだかわかっていなかった。
チェルシーは柱の陰に身を潜めながら、ぽろぽろと涙を流すしかなかった。
ことの始まりは、ほんの数日前だった。
クラス内に数人の欠席者が出た。でもそれは、チェルシーとは仲の良い子でもなく、寧ろ関わりの殆どない子達だったから。
だから無関心でいられた。蚊帳の外でいられた。
次に、異能が使えなくなった。
でもそれも、あまり関係がなかった。
ユーリはいつもチェルシーの中にいるし、表に出る必要もなかったから。ユーリはチェルシーの人格であり、異能によるものではない。だから、常に存在はあったし、会話をすることも出来た。
「幽霊、だって」
『見に行こうぜ!』
「行かないよ! 怖いもん……」
次の幽霊騒ぎについてはその程度だった。実際にうようよしてたら怖いが、霊感のないチェルシーが幽霊を見ることはなかったし、超常現象に会うこともなかった。
チェルシーにとって、今回のシャウローラでの諸々は何ひとつ関係がなかったのである。
――今日この時までは。
柱の陰からちらっと顔を覗かせ、周囲の様子を伺ったチェルシーの視界に1人の少女が目に入った。腰まである長い髪を靡かせ、楽しそうに跳ねる彼女の背中には、青に透き通る羽があった。
それを確認すると、チェルシーはまた柱の影に戻り、被っていたフードを握り締める。
『あんな雑魚、倒しちまえばいいだろ?』
「やだよ……。あたしには出来ない……!」
『遠くからナイフ投げときゃいいだろ。外れたって場所なんかバレねぇだろうし』
「そうじゃないの……」
『じゃあなんだよ! 殺すわけじゃねんだから、いいじゃねぇか』
彼女達妖精は、どういうわけか攻撃を受けると消える。それが妖精にとっての死なのか、単純に消えているのかはわからない。あれが本体かどうかもわからない。
チェルシーが使う魔法のように、分身である可能性もある。
でもチェルシーにとって問題なのは、そこではなかった。
殺すとか殺さないとか、強いとか弱いとか、はたまた見た目とかはどうでもいい。
ただ、“独り”で戦闘という現実に耐えられなかったのだ。
ユーリはいる。確かにいる。
でもユーリを頼ることは出来ない。
そのことを実感してしまった時に感じたのは、底しれない恐怖だった。
「ユーリ」
『ん?』
「出てきてよ……。それで、ユーリがやつければいいじゃん」
『出来るならそうしてるよ。でも出れねーんだからどうしようもねぇだろ?』
「出てきてよ……。出てきてよ!!」
『チェル』
「やだやだやだ! 独りはやだよ!」
子どものように泣きながら駄々を捏ねる。ユーリは、そんなチェルシーの心情をわかっているのか、少し優しい声色でチェルシーの名を呼ぶ。それでもチェルシーの涙は止まらなかった。
「ユーリ。ユーリ。ユーリぃ……」
「ふふっ」
膝に顔を埋めてひたすらにユーリを呼ぶチェルシーの耳に、誰かの笑い声が聞こえた。ぱっと顔をあげたチェルシーの目の前には、先程の妖精だった。
「――っ!」
チェルシーは慌てて身を起こし、逃げ出そうと後退るが、すぐに背中にひやりとしたものに当たった。
前には少女、後ろには壁と完璧に身動きが取れない状態となり、チェルシーの瞳からまたぽろりと涙が溢れて落ちた。
『チェル』
「ゆ、うり……」
『落ち着け』
「どう、しよ……」
『大丈夫だ。替われなくても、俺はいるだろ』
「う、ん」
『俺の言う通り動け。チェルなら出来る。俺は――――お前でもあるんだから』
チェルシーの瞳には、もう涙はなく、代わりに強い意志が浮かび上がっていた。
恐怖はもうどこにもない。
懐から取り出したナイフを少女に向けるのと、少女が飛び退くのは同時だった。
『近距離は俺の専売特許だ。だが、お前だってやれば出来る』
「ほんと……?」
『ああ。素早さなんて必要ない。タイミングを見極めて突け!!』
頷いたチェルシーの右肩に少女が放った電気が当たる。ばちりと電気が走る音が誰もいない廊下に響き渡り、チェルシーはよろりとよろけ――――ぱしゃりと音をたてて水となり消えた。
「!?」
「それは……、分身、だよ」
目の前で水となったチェルシーに少女は狼狽え、きょろきょろと周りを見渡す。
その隙をチェルシーは見逃さなかった。気配を消して少女の後ろに回り込み、
「――ごめんね」
少女の背中にナイフを深く突き刺した。
少女は甲高い笑い声をあげると、音もなく姿を消した。狭い廊下に反響した笑い声だけを残したまま。
「ふぅ……」
『出来たな』
「うん。ありがとう、ユーリ」
『俺は何もしてねぇよ。やったのはチェルだ』
「うん……。でも、ありがとう」
ユーリはわけわかんねぇ、と呟いていたが、それには返事をしないままチェルシーは歩き出した。何か宛があるわけでもない。庭園にいるらしい精霊を捕まえる気もない。
だけど、何だか歩きたい気分だった。
あたしはあたしで、あたしはユーリで。ユーリはユーリで、ユーリは――――あたしで。
チェルシーはぽつりと呟くと小さく笑みをもらした。