鏡ノ葉2
――例え相手が幼い少女であれど、それが『敵』ならば、私は容赦はしない。
妃咲は小さく呟くと、愛用の刀を握る手に力を込めた。すぐ隣では、同じく愛用の銃を握る那由が立っている。
相手の魔法は地面から火を出したり、火を宙に火の玉のように浮かび上がらせ、弾丸のように直線距離を飛ばすものらしい。
しかしそれらの魔法は、幼さか、種族か、はたまた彼女が不得意なだけなのかはわからないが、強力なものではなかった。
威力も早さも対したことはなく、気を抜くことさえなければくらうこともないだろう。それでも少女は余裕そうな笑みを浮かべたまま交戦してきた。
初めは警戒して距離を取っていた妃咲だが、足に力を込め、地面を蹴ると一気に距離を詰めた。
間合いに入ると同時に刀を一振りし、少女の身体を斬り裂く。
少女は自分の身に何が起きたか理解出来ないように、数回瞬きをし、やがて小さな笑みを浮かべると消滅した。
「妃咲」
「平気です」
「なら良かった。それにしても、倒すと消えるんだな。まぁ血塗れの子どもとか遠慮したいけど……」
「…………」
那由の言葉に頷きそうな自分に気付き、妃咲は沈黙を返した。代わりに文句の一つでも言おうと思ったが、那由には全て見透かされる気がして、それさえも止める。
「とりあえず、先に進も――」
そう妃咲が口にする前に、バチっと電気が走る音を聞き、慌ててその場から飛び退く。
くすくす、と先程聞いた笑い声が、周囲から響く。
ぐるりと周りを見渡せば、そこには10を超える少年少女の姿があった。
「いつの間にこんな……っ!!」
先程の少女に変わった点は見られなかった。しかし知らず内に仲間を呼んだのか。それとも消えたら必然的に仲間が集まるようになってたのか。偶然近くに潜んでいたのか。
答えなどわかるはずもないのに、答えを求めたくてぐるぐると回り出す思考を、無理に止めて刀を構え直す。
「とにかく倒しますよ!」
「おう!」
妃咲は再び刀を握る手に力を込め、刀を大きく一振りする。
「風刃!」
その斬撃の軌跡を辿るようにかまいたちが起き、一気に3人の妖精を斬り裂いた。
反対側では那由が、まるで散弾のように銃を乱れ撃ちしていた。
「爆砕!!」
その声に反応するように、ボンッと爆発音をたてながら、次々と弾が爆発し、側にいた妖精達を消していく。
「あと、1人……」
無我夢中に魔法を駆使して戦っていた妃咲に、不意に那由の声が届いた。
気付くと、そこに立っていたのは1人の少女のみとなっていた。
妃咲も那由も手当てをするほどの傷は負ってはいないが、相手の魔法で擦り傷をいくつも負っている。1人1人は弱くとも人数さえ集まれば、全ての攻撃を躱すことは至難の技となる。
――正直疲労が激しい。その場に膝をついてしまえればどんなに楽だろう。
――でも、そんな無様な姿は晒せない。
「これでおしまいです!!」
妃咲は自分を奮い立たせるように大きく叫ぶと、刀を手に少女へと向かっていった。
一気に距離を詰め、刀が届く寸前に、少女と目が合った。
大きくて綺麗な蒼い瞳がうるりと潤んだかと思うと、はらはらと涙を流して妃咲を見つめた。
少女の唇がゆっくりと動く。
「ひとりは、いや……」
さらりと風に流れた桃色の髪が、その瞳が、何故か幼い自分と重なり、妃咲はその場から動けなくなった。
「違う……わた、し、じゃ……ない」
いつの間にか、手から離れていた刀が、地面に落ちてカランと音を鳴らす。その音すら耳に入っていない妃咲は、ただその場に立ち尽くした。
「――妃咲!!」
那由の声に気付いた時には、少女の魔法である氷の刃が目の前に迫っていた。
刺される――……
目を瞑った瞬間に、那由に腕を引かれ、妃咲は大きく後ろへ仰け反る形となる。
「これで終わりだ!!」
妃咲が那由の胸にもたれ掛かるのと、那由が少女の額を撃ち抜いたのは、ほぼ同時だった。
跡形もなく消え去った少女に、妃咲は安堵の溜め息を吐く。
「な、ゆ……。手が……」
安心したのも束の間、妃咲を庇うように抱き締めた那由の右手には、刃で斬られた赤い線が引かれていた。真新しいその傷は、妃咲を庇った時に負ったものだとすぐにわかる。対した怪我ではないが、妃咲の心にダメージを負わせるには充分なものだった。
そっとその腕に自分の手を添えて、妃咲は震える唇から声を絞り出す。
「ご……めん、なさい」
「いいから。気にすんな」
「で、も……」
「それより、大丈夫か?」
たった一言。
でも、その一言で、妃咲は張りつめていた気持ちを、ふっと和らげることが出来た。
那由から離れて向かい合い、妃咲は小さく微笑んだ。
「大丈夫。もう、大丈夫です」
妃咲がそれだけ答えると、那由もそっか、と小さく笑った。
那由は決して深くは聞いてこない。それが妃咲にはありがたかった。
一瞬でも自分の幼少の姿と被った少女に、無意識に感情までを重ねてしまった。そしたら、動けなくなった。
そんな弱い自分がほとほと嫌になる。でも今だけは、那由に甘えてもいいかもしれない。
「そろそろ行きましょう! 早くしないと、誰か精霊を倒しちゃうかもしれません」
「そうだな!」
那由の袖を掴む。それが自分なりの精一杯の甘え。
那由はそれに気付いていないのか、気付いていない振りをしているのか、何も言わなかった。
精霊がいるであろう庭園に向かう前、妃咲はちらりと後ろを振り返った。
あの少女はいない。自分の孤独を写し出した鏡はもう割れてなくなったのだ。