ひとりきり | ナノ



(CPではない)





 いくつか通りを挟んだ向こう、夜の帳を押し上げるように、街の明かりが爛々と瞬いていた。風が木立を揺らし、かさついた音と肌寒さを連れてくる。その合間を縫って秋の虫がざわめく中、足音が石畳の道に高く響いた。夏の名残も色濃い秋口。満月には数日足りない月が、薄い雲の向こうで滲む。静かでやわらかな光を背に、刻雨は自らの下宿を見上げた。重たい荷物を背負い直して、ドアノブに手をかける。

「……ただいま戻りました」
「おかえりなさい」

 返ってきた声が存外にはっきりしていたから、刻雨は僅かばかり驚いた。顔を上げればリビングに続く扉が開き、そこから半身を見せている家主が、瓶数本片手にぷかぷかと浮かんでいるのが見える。ちょうどキッチンから飲み物を取ってきた所らしい。こちらに漂ってきた彼は、大げさな仕草で首を傾げる。

「早かったねぇ。二次会とか、行かなかったの?」
「見ての通りですよ」
「……あー、お水いる?」
「寝入ってるので、今はいいかと」

 背中の荷物こと徒紫乃は、刻雨の言葉通りに熟睡しているらしく、のんきに寝息を立てている。気がついたらこうなってて。そう言い訳めいた刻雨の言葉を、わかっているとばかりに小さくかぶりを振ることでおさえた。みやは後ろに回り込んで、徒紫乃をおぶったままの刻雨から弁当箱やら何やら細々した荷物を奪い取るようにてきぱき受け取る。開いた刻雨の手に冷えた水の瓶を押し付けながら、言い聞かせる口調で笑う。

「どうせこうなってるだろう、って思ってたよ。刻雨くんも、顔、赤いよ? 徒紫乃くんベッドに放り込んでそれ飲んでさっさと寝ちゃいなさい」
「すみません」

 みやは目隠しをしたまま半眼になるという、器用な微笑み方をした。

「…………うん?」
「……ありがとうございます」
「うむ、よし、おやすみ」







オッカムは考える 







 ベッドの上、眠りこけている徒紫乃を放り出す。どさり、と、静かな部屋に反響した音は割合に控え目なものだった。荷物としてなら重いかもしれないが、成人男性としては軽い。それでも運ぶうちに肩は凝っていたらしく、動いた弾みにぱきりと乾いた音がした。ほぐすように肩を回すうち、暖まっていた背中がいきおい冷える。部屋が寒い訳ではない。アルコールの回りきった体の方が熱いのだ。そこでようやく刻雨は、徒紫乃に布団をかけた方がいい事に思い至った。

「……徒紫乃君、布団被る元気ありますか?」

 返事はなかった。だろうな、と嘆息し、水滴の垂れる瓶をベッドサイドに置いて几帳面に畳まれていた上掛けを被せる。水を飲ませるべきか、と考えたあたりでなんだか一気に面倒くさくなった。どうしてここまで気を使っているのか。ベッドの傍らに立ち見下ろせば、徒紫乃は刻雨の心中も知らず、規則正しく胸元を上下させている。そこに半端な形でひっかかっていた上掛けを、肩まで覆うよう引き上げてから、自分に首を傾げ、同じ事を内心で繰り返す。どうしてここまで。
 多分、酔い潰れた彼を見たのが初めてだからだろう。
 刻雨はそう考えながら、小さく息を吐いた。それは納得いく理由に思えた。記憶を辿って数えても、徒紫乃が酔っ払った姿を見たのは片手で事足りる。まして潰れて眠りまでしたとなると。酔っ払った姿を晒した一番最初、春期試験に合格した、その歓迎会の席ですら、タチの悪い酔い方こそしていたが、歩いて帰る事はできていたのだ。

「……ああ、」

 思わず、といったありさまで吐息がこぼれる。過ぎた時間は、5ヶ月に少し届かない程度。それが短いのか長いのか、刻雨には判断しかねたが、あの初夏の日に酔っ払って連れ立って帰った事は、随分昔の事のように思われた。覆い被さるように、いくつかの記憶が呼び起こされる。
 酷く寒い、雨の日の事だった。

「感謝、してるんですよ、これでも」

 刻雨は掠れるほどにささやかな声で呟く。酔いの回った頭と喉は、随分とゆるくなっているらしい。常ならば言わないし、向こうも受け取らないであろう言葉を、アルコールはいともたやすく吐き出させた。目を伏して吐き出される途切れ途切れの独白が、静かな部屋に落ちて消えていく。

「……色々と。世話になって」

 酷く寒い、雨の日の事だった。
 あの日徒紫乃が、刻雨に声を掛けなければ、随分と違う未来が訪れていた事だろう。感謝してるんですよ、と。繰り返した所で刻雨は顔を上げた。大きく肩を落とす。水の瓶を持って、その冷たさに、改めて酔いを思い知った。もう寝よう、と、訳もなく込み上げてくる気恥ずかしさに追い立てられるように、刻雨は背を向ける。さすがに、いま徒紫乃のベッドに潜り込もうという気は起きなかった。冷えたドアノブを握る。

「そのくらい、知ってる」

 振り返った刻雨が目を見開くうち、徒紫乃の手がのろのろと布団から這い出して自身にかかっていた上掛けをずりあげる。そうしてから一度持ち上げられ、ひらりと揺れた。

「……おやすみ」
「……おやすみなさい」

 惰性に任せるようにドアノブを回し部屋を出て、刻雨は扉にもたれかかる。溜め息がこぼれた。そのままずるずるとしゃがみこみ、耳まで赤くなった顔を覆い隠すように腕にうずめ、うめく。それは吐息に紛れてしまうほど小さい声だったから、いくら耳がよくても聞き取れはしなかっただろう。まして、ベッドの中で頭を抱えて同じような事をうなっていた徒紫乃には、なおさらに。

「……明日、どんな顔、すればいいんですか」







(旦那宅刻雨くんお借りしました)
11/11/14




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