自分の中で渦巻く醜い感情に呑まれそうになって、それが嫌で私は目の前の猪口にまた手を伸ばした。ああ、辛い。どうしてこんなに泣きたくなるのだろう。ごくり、ごくりと喉を潤す。駄目だ。満たされない。ぼやぼやと歪む視界の理由は涙なのか、酔いからなのか、もうよくわからない。ふと顔を上げれば、眉を顰めた司馬昭と目があった。あははと笑えば、ぺちりと額を叩かれた。地味に痛い。


「おい名前、お前ちょっと呑みすぎじゃねえのか?」
「昭はいいよねー…元姫ちゃんはなんだかんだいって昭に夢中だし。お互いに想い合ってるし、お似合いだし…」
「あー…だめだこりゃ完璧に酔っ払ってる…」


はあ、と盛大に溜め息を吐いた昭と、昭を誘うことを許してくれた元姫ちゃんに申し訳ない気持ちが一杯で、私はそっと目を伏せた。ふと、腕につけた時計が目に入る。後30分もすれば12時を跨ぐ。ああ、もうこんな長い時間このお店でこうやって呑んでいるのか。


「ごめんね、昭…わざわざ付き合ってくれて…」
「別に構わねえよ。同僚且つ元クラスメートのよしみだしな」
「元姫ちゃんにも謝っておいて…」
「元姫だって気にしてねえよ。だからお前は早く元気だせ、な?」


ポンポンと手を頭において私を励ます昭にじわりと視界が滲む。私ってだめだね。こんなことで落ち込んだりして、だめだね。ただの嫉妬なのに。沈む私を「そんなことねぇよ」と昭が慰める。本当に情けない。昭に甘えるのもそろそろ終わりにしないと。最後に一杯ぐい、と目の前の猪口を呷れば、ぐらりと激しく身体が揺れた。あ、れ?


「名前!!」


焦ったように私を呼ぶ昭の声に答えることも出来ず、私の意識はそこで途絶えた。



* * * * * * * * *


つい二日前のことだ。同じ部署のとある女性社員が、過労のために社内で倒れた。私はその時その場にいなかったので詳しいことはわからないが、外での仕事を終え会社に戻ってきた私が見たのは、ぐったりとした女性を抱きかかえ、医務室に入るトウ艾の姿だった。
トウ艾は私の同僚で、実家が近かったということもあり旧知の仲である。今の会社にはいってからも、偶然同じアパートで隣の部屋。そんなことがあってか、同僚の中では一番馴染みやすく、そして一緒にいることが多かった。そんな彼が、目の前にいた。けれど私は動揺した。軽々と女性を抱き上げ、そして苦しくないよう気を配り優しく運ぶ彼の姿に、私は一瞬呼吸の仕方を忘れた。知らない。私は彼のそんな姿を知らない。そんなトウ艾を、私は知らない。

しばらくして昭が私の肩を叩くまで、私はその場に貼り付けられたかのように動くことが出来なかった。その後昭から聞いた話によると、トウ艾は善意で彼女を運ぶことを申し出たという。誠実で真面目で気配りができる、なんとも彼らしい話だった。けれど私は落ち着かなかった。否、落ち着けなかった。

私は気がついてしまった。私はあの時、あの女性社員に嫉妬していたのだと。私は、トウ艾のことがどうしようもなく好きだったのだと。


* * * * * * * * *


まるで船の上にいるかのような、ゆらりと揺れる感覚。そっと目を開けば、そこは一面の闇だった。遠くに町明かりが見える。ぼんやりとする頭で、ここがどこかと考えていると、ずきりと頭が痛んだ。それに寒い。僅かに吐き出す白い息にまみれるアルコールの匂い。ああそうだ、たしかあれからトウ艾を見る度に嫉妬する自分が嫌になって、そんな私を昭が気にかけてくれて。誘ったら承諾してくれた昭と一緒にお酒を呑んで励ましてもらって。それで、

―――それで?


「起きられたか名前殿」


響く、馴染みのあるその声。
酔いも、寒さも、何もかもが一瞬でとんだ。心臓が狂ったかのように激しく跳ねる。まって、まってくれ。どうして、なんで。戸惑いながら、けれどしっかりと。私の口からこぼれる彼の名。


「 トウ、艾」


起きられたのならよかった、と安堵する彼に、私はようやく自らの状況を悟った。ここは家への帰り道だ。いつもよりはやく遠ざかる街並み、いつもより高い視線。私は、彼に背負われている。そう思った瞬間、かつてないほどに私の顔は真っ赤に染まった。


「どう、して…」
「司馬昭殿から、名前殿を迎えに来てほしいと連絡を受けた故」
「昭が…」


意識を失う前、目を見開いて私を呼んだ昭の顔が浮かぶ。昭には本当に申し訳ないことをした。彼に対する罪悪感でいっぱいだ。
けれど、何故トウ艾に頼んだんだ昭。今まで意識がないまま彼の首に回していたであろう腕をひっこめ、少しだけコートを握る。確かに家のことを考えればトウ艾に頼むのが一番いいだろう。だけどこんな、いくら私が酔いつぶれていたからって、背負われたまま運ばれていたなんて。恥ずかしい。いや、その…嬉しいけれども


「……その、ありが…とう…」
「いえ…自分はこういったことに慣れていないので、名前殿に負担をかけないかどうか心配だったのだが…」
「―――、」


息が、詰まる。
こうやって女性を運ぶことに慣れていないのに。なのにどうして私はおんぶであの子はお姫様抱っこなの。まるで自分が女性としてみられていないみたいで、無性に腹がたった。駄目だ。また醜い嫉妬。全部ただの言いがかりた。トウ艾は悪くない。なのに、なのに――気持ちが抑えられない。


「――下ろして」
「、名前殿?」
「運んでくれてありがとう。もう大丈夫だから」
「しかし…」
「私こないだの子みたいに軽くないし、トウ艾のお荷物になるの嫌だから…だから、下ろして…」
「名前殿…」
「お願いだから…下ろして…!」
「、」
「それに、好きでもない女を抱えて夜道を歩くなんて、嫌でしょ…?」


声が震えた。抑えられなくなった感情がポロポロと涙としてこぼれる。こんな自分が嫌になる。本当に、本当にダメな女だ、私。勝手に嫉妬して、勝手にあって、身勝手すぎるにもほどがある。


「―――名前殿」
「トウ艾、お願いだから…ッ、」


刹那、身体が浮いた。
突然訪れた浮遊感と、目の前の光景に思わず目を見開いた。さっきまで見えていた広い彼の背中はどこにもない。至近距離に、彼の、トウ艾の顔がある。予想もしなかった展開に、どうすることもできなかった。好いた男性に抱き上げられるとは、お姫様抱っことはこんなにも恥ずかしいものだったのか。そもそもおんぶの状態からどうやってこうしたのか。それに何故こんなに顔が近いのか。私は今、あの時の彼女のように彼の逞しい腕に支えられているのか。頭の中がぐるぐるする。もうわからない。


「…申し訳ないが、その申し出は聞けない。それと、自分は善意だけでこの夜遅くに女性を迎えに行けるほど出来た人間ではない」
「、」


やめて。やめてくれ。そんなことを言われると、私は自惚れてしまいそうになる。暗闇の中でもわかるほど真っ赤になっているであろう私の顔を見て、彼が微笑んだ。


「自分は、名前殿を放っておくことができない。あなたがいないと落ち着かない…この数日間、自分はようやくわかった。あなたには、自分の隣でずっと笑っていて欲しい」


だめだ、こらえきれない。溢れる感情に涙腺は簡単に決壊した。「それじゃまるでプロポーズみたい」と言った私の涙を拭いながら、「そのつもりだったのだが…」と困ったように告げる彼にまた涙が零れ落ちる。好きだ。どうしようもないくらい彼が好きだ。この気持ちの伝え方がわからなくて、思わず首もとに腕を回した顔をうずめる。名前、殿。少し戸惑うような、けれどどこか嬉しそうな彼の声に胸がきゅんと苦しくなった。私はどれだけ彼に魅了されればいいのだろう。アパートへの道のりはまだまだ長い。



真夜中の闇に融解

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おんちゃんお誕生日祝い
おめでとうございます!




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