明るい雰囲気の校舎内にだって賑わない場所がある。例えば美術室がそう。教室がある棟とは違うところにある所為で滅多に人が来ない。美術の授業で人が来ることもあるけれど、美術の授業は週に何回か。放課後になれば私のように美術部員がやってくることもあるけど、まあそもそも部員も少ない。ここはとても静かで落ち着く、私の大好きな場所。



 ある日の放課後のことだった。いつものように美術室へ行くと、廊下には誰かが立っていた。美術室前の廊下には、私たち美術部員の作品が飾ってある。その中の一枚の絵をその人はじっと見ていた。私はその人を知ってる。私は、というよりこの学校の生徒なら誰でも知ってる。3年の仁王先輩だった。そして、仁王先輩が見ている絵は私が描いたものだった。
 けれど私は話しかけない。私は仁王先輩のことを知っているけど、仁王先輩は私のことを知らない。つまり知り合いではないから。仁王先輩が私に気付いたかどうかは分からないけど、私は静かに後ろを通り過ぎて、美術室へ入った。







「どういうことじゃ!」


 仁王先輩が焦ったような怒ったような顔をして美術室に乗り込んできたのはすぐ次の日だった。他の部員が体調を崩して欠席だったり、委員会の仕事があったりと色々重なって偶々一人だった私は大きく肩を揺らした。それを見た仁王先輩もまた肩を揺らす。と、いうより肩をすぼめた。


「……す、すまん」
「あ、いえ」
「…あの」
「はい」
「昨日まで廊下に飾ってあった、海の絵は」


 仁王先輩は、今日も絵を見に来たのだ。…ところが生憎、その絵を入れ替えていた。今までは夏をテーマに描いた絵が飾ってあったけど今日からは秋がテーマの新しい絵。昨日の部活で、みんなで張り替えたばかりだった。


「すみません、昨日張り替えたんです」
「…捨てた?」
「いいえ、ここにありますよ」


 差し出すと、仁王先輩の目は輝いた。これが私の絵だと言えば、きっと本当の感想を聞けなくなる。私は何も言わなかった。代わりに、「海が好きですか?」と聞いた。仁王先輩は、それを否定した。



「あ、でも嫌いなわけじゃなか。ただこの絵、海だからっていうより、この、青がいいなって」




 仁王先輩が指差したのは、明るい青ではなくて、濃い青。深くて、でも澄んでいて、私も好きな色。ロイヤルブルーという色だった。仁王先輩に似合うとすぐに思った。




「この色、なんだか吸い込まれるんじゃ。見ていると落ちていく感じがして」
「落ちる?」
「ああでも、怖い落ちるじゃなくて、懐かしい感じの。眠りにつく感じの」
「…ふふ、そうですね」
「なあ」
「はい?」
「描いたやつに、もう飾らないんだったら俺にくれないかって頼んでくれんか?」


 一番、嬉しい言葉だった。これで私は本当のことが言える。すぐ後の私のカミングアウトに仁王先輩はすごく驚いて、だけど、「確かに、それっぽい」とクスクス笑った。それから私たちは、少しだけ仲良くなった。









「すみませんここにサボりにくるのやめてもらえません…?」
「なーんでじゃ」
「私だってテニス部員じゃなくても真田先輩怖いんです…!」
「大丈夫、俺、見つかったときは逃げるから」
「そういう問題じゃなくて!」

 だってここ落ち着くんじゃもん、と歯を見せて笑った仁王先輩。私はそれに勝てなくて、いつも追い返せないでいる。



「そういえば」
「ん」
「あの色、ロイヤルブルーっていうイギリスの王室にちなんだ色みたいで」
「…へえ」
「仁王先輩に似合うなって思ったんです、あの時」


 誰でも知ってるテニス部。でも、知り合いにはなれないテニス部。高嶺にあって、綺麗で、近寄りがたくて、でも近寄りたくて。その中にいる仁王先輩。今でもこうやって話していることが不思議なくらいの存在。…だけど、本当の仁王先輩はこんなにも楽しい人で、同じことに感動してくれたりもする。偶に、本当に偶にだけどテニスを楽しそうにやっているところとか、数学を教えてくれたりするところとか、私以外の美術部員(みんなあんまり社交的じゃない)とも仲良くしたりするところとか、尊敬してる。
 何よりも、最近は私の絵の色以外にも興味を持ってくれる。前まで私の中にいた仁王先輩はいない。新しい、きらきらした仁王先輩が私の中には住み着いている。



「だって、テニス部のあの近寄りがたい雰囲気」
「…」
「王室みたいじゃないですか?」
「…」
「あ、でも仁王先輩がもし王子様だったらお城抜け出しすぎて王子様クビになるかな」
「…」
「仁王先輩が王子様って…。ぷっ」
「笑うな!」



 仁王先輩は小さく叫んだけれど、楽しそうだった。その色は深く、優しく、王様のように大きく、私たちを包む。来年の夏もその色を使って海の絵を描こう。それを仁王先輩に言ったら、「じゃあ来年も、飾り終わったら俺に届けんしゃい」って笑った。










おんちゃんへ、愛を込めて!




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -