04

遠い遠い記憶が、ゆっくりと頭の中で再生されていく。
真っ直ぐに僕を見つめてくる漆黒の無感情な瞳。
知らない人だったものだから、なんだか怖くて、僕はマーベリックさんに視線を向ける。
マーベリックさんは優しく笑う、そしてこう言うのだ。


「バーナビー、今日からこの人が君のお世話をしてくれるよ」

「………………」

「さあ、お利口なバーナビーはきちんとご挨拶できるね?」

「……こんにちは」

「こんにちは。はじめまして、バーナビー・ブルックスJr. 今日から貴方の世話役を任されました」

「……お名前はなんていうの?」

「私に名前はありません」

「お名前がないの? どうして?」

「私には不要なものだからです」


淡々とした返答が返ってきて、突然場面が変わってしまう。
彼女と手を繋いで買い物に行った時の記憶だった。
まるで、つぎはぎだらけで出来の悪い映画を見ているような気持ちだった。
紛れもなく、これは僕自身の記憶だと言うのに。


「ねえ、」

「どうしました? バーナビー」

「どうしてこんなに手が冷たいの? 僕も冷たいけど……まるで氷みたい」

「私には血が通ってないからです」

「嘘つき、血が通ってないなんて有り得ないよ。……あ、でも手が冷たい人は心が温かいって、ママが言ってたよ」

「では、バーナビーは心が温かいのですね」

「君もでしょ?」

「私には心がありませんので」

「……嘘つき」


思えば、彼女は自身が人間でないと仄めかすような言葉を口にしていたようだ。
彼女は意図してその事実を僕に伝えようとしていたのだろうか……? 自ら正体を明かすメリットや必要性があるとは思えないが……。
場面がまた何の前触れもなく切り替わる。
いつの頃だっただろう、僕が熱を出して寝込んだ時の記憶だ。


「バーナビー、具合はいかがですか?」

「……うん。さっきお薬飲んだから、大丈夫」

「そうですか。飲み物を用意しましょうか?」

「いらない。……ねえ、手を繋いでもいい?」

「はい」

「ありがとう。……冷たくて、気持ちいいな」

「そうですか」


いつだって、彼女は僕の傍に居てくれた。どんな事があっても、僕が起きている間はずっと彼女が一緒だった。
世話役として必要最低限の事しかしてくれなかったけれど、僕にとってはそれだけで十分だった。
彼女が傍にいてくれただけで、僕は両親のいない寂しさを忘れられたから。
彼女の、付かず離れずの距離感が何より心地よかったから。
幼いながらに、彼女が自分にとって特別な存在なのだと理解していたのだ。
だから、彼女が僕の元からいなくなる時は、すごく辛かった。
マーベリックさんにどうにかならないのかと我が儘を言った程だ。
場面が切り替わる。僕が10歳の時、彼女とお別れの記憶。


「本当にさよならなの?」

「そういう契約でしたので。お世話になりました、バーナビー」

「……お世話になったのは僕の方だよ。どうもありがとう。……これ、受け取って」

「なんでしょうか?」

「オルゴールだよ。僕の好きな曲が入ってるんだ」

「ありがとうございます」

「……また会える?」

「わかりません。しかし、貴方と再会するその時は、きっと……」

「きっと?」

「……いいえ。なんでもありません」


その時、初めて彼女が答えるのを躊躇ったように思えた。
無感情な瞳に、初めて陰りが見えたような気がした。
僕から受け取った小さなオルゴールと少しの荷物を持って、彼女は静かに僕の元から去っていった。
長いようで短い年月を共に過ごした彼女と、それから出会う事はなかった。
住んでる場所も連絡先もわからなかった僕は、彼女と過ごした時間だけを思い出しては、彼女に想いを馳せていた。
いつか再び彼女と巡り会えるかもしれない。そんな淡い期待を心の奥底で抱きながら、僕は一人……復讐の相手の手掛かりを追い続けた。
……今なら、彼女があの時何を言おうとしたのか理解できる。
彼女は、間違いなくわかっていたのだ。
自身がウロボロスの一員であると、人間ではない機械であると、僕に正体を明かす時が訪れると。


僕と再会するその時は、僕と戦う事になるという事を。


――――――――――


物体のぶつかり合う音が響き渡る。
能力を発動させた僕の力と彼女の力は今のところ互角。
ただし、ヒーロースーツを身につけていない上、こちらには時間制限があるのであまり有利とは言い難い状況だ。
衝撃に耐えられていないのか、彼女の身体の内側からは時折何かが壊れる小さな音と、損傷による警告音が鳴っている。
人工的に作られたらしき皮膚は所々破れてしまっており、破れた部分から神経のように無数のコードが飛び出ている。
しっかりと自分の目に映ってしまうと、それまで心のどこかで否定をしていた自分が突如として消え失せてしまい、あっという間に現実を突き付けられてしまう。
嗚呼、やはり彼女は機械なのだと、人間ではないのだと……。


「左腕上部、96.8%損傷。左腕機能完全停止寸前により、切断いたします。」


彼女が静かに呟いた。
瞬間、ガチャッと何かが外れる音と共に彼女の左腕が落ちた。
違和感のある光景を目の前に、一瞬だけ思考が停止してしまった。
血の一滴さえも流れない。悲鳴の声さえあがらない。
当然ながら痛みなどないのだろう、彼女の顔が苦痛に歪むこともない。要らないものを捨てるように、何の躊躇いもなく自分の身体の一部を切り捨てたのだ。
目を逸らせなかった、逸らすわけにはいかなかった。
これが現実なのだと、自分の倒すべき存在なのだと、理解しなくては……。


「……っ、はああっ!」


迷いを払うように、僕は走り出す。
彼女に向けて何度も何度も蹴り技を繰り出した。
躊躇いが無いと言えば嘘になる、本音を言ってしまえば彼女に向けて攻撃などしたくはない。
それでも、彼女を止めなければ虎徹さんや斎藤さんに危害か及んでしまう。それだけは何としても阻止したい。
ただ無我夢中に彼女への攻撃に専念する。少しでも迷えば隙ができてしまう。
彼女は表情を一切変えないまま、僕の攻撃をよけずに腕や足で防御を繰り返していた。


(……反撃、してこない……?)


ふと気がつけば、先程から攻撃しているのは僕の方だった。
彼女からの反撃は一切ない、ひたすら僕の攻撃を防御して身体にダメージを負っているだけのように感じる。
まだ本気を出していないのか、それとも何か策があるとでもいうのだろうか……。
ガンッ、足が固い金属にぶつかる音が響く。彼女の身体が、壊れていく。


「――――っ!」


狙いが外れて彼女の腰に着いた小さなポーチを蹴り上げた。
反動のせいか、宙に浮かぶポーチから小さな箱が飛び出た。
僕の目に映るその小さな箱、見覚えのある、小さな箱……。


(あれは……)


それが何なのかを思い出す僕を無視して、彼女が走り出した。
地面を蹴り上げて加速し、地に落ちていく小さな箱へ手を伸ばす。
ミシッ、と嫌な音がした。
彼女が箱を手に掴み、落ちていく。
片腕を失った為に身体を支える事ができず、彼女はそのまま身体を床に叩き付けてしまう。
僕の攻撃を受けたダメージと床に叩き付けられたダメージが合わさり、彼女の身体が限界を超えてしまったようだ。


彼女の身体が、音を立てて壊れた。



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