06

「そうか、そんな事が……」


マーベリックさんはため息混じりに呟く。どこか残念そうな声音だった。
時が経過するのは早いもので、彼女の一件からもう3日程過ぎていた。
気持ちの整理は未だについていないが、マーベリックさんには報告しておく必要があるだろうと思い、無理を言って時間を作ってもらい、こうして彼女の事を話したのだ。


「私も彼女についてはあまり知らなかったんだよ。まさか機械だったとはね……」

「ええ……」

「君の気持ちはよくわかる。君は彼女を慕っていたからね……気持ちが落ち着くまでには時間がかかるかもしれないが……」

「大丈夫です。ご心配おかけしてすみません」


そう言って、マーベリックさんに笑ってみせる。
本音を言えば、あまり笑える気持ちではないのだが……それでも、マーベリックさんに心配をかけさせたくなかった。
そんな僕の心情を察してか、マーベリックさんは僕の肩を優しく叩き、今日はもう帰りなさいと言ってくれた。


「今日だけでもゆっくり休みなさい」

「ありがとうございます。……それでは、失礼します」


マーベリックさんに深々と頭を下げ、僕は部屋を後にした。
綺麗に清掃された廊下を歩く。足取りは重たく、小さな溜め息が溢れた。







「ロボットが人間の感情を持つ? ……そんな馬鹿な話があるものか。あの機械の記憶も、その内どうにかしておく必要があるかもしれないな……」








広い玄関から外へ繋がる扉を開くと、賑やかな音が耳に入った。
不意に、彼女と手を繋いで歩いた時の記憶が蘇ってしまい、それを払うように首を横に振る。
彼女はもういない、自分自身に言い聞かせる。また一つ、深い溜め息を吐いた。
おーい、バニー! 呼ばれた声の方に顔を向けると、虎徹さんが大手を振ってこちらに駆けてくる。


「虎徹さん、どうしたんです?」

「斎藤さんに頼まれてお前を迎えにな、お前に用があるってよ」

「斎藤さんが? わかりました、行きましょう」


虎徹さんを車の助手席へ促し、僕も運転席へ乗り込む。
エンジンをかけて車を発進させた。賑わう街中を車で横切っていく。
虎徹さんが何か言いたそうにこちらに視線を向けてくるのが気になり、前を見ながら何ですか? と問いかける。


「いや……なんつーか……大丈夫かな、と……」

「大丈夫ですよ。子供じゃあるまいし、ましてや僕はヒーローですよ? いつまでも落ち込んでいられません」

「そりゃ、そうだけどよ……その、お前にとっちゃ、大事な人だったんだろ……?」

「……ええ、とても大切な人です」

「……悪ぃ、馬鹿な事聞いちまったな」


気にしないでください。溜め息混じりに謝る虎徹さんに、そう答えるしかできなかった。
二人の間に少々気まずい沈黙が流れる。
虎徹さんなりに僕を励まそうとしてくれているのはよくわかっているつもりだ。
ただ、今それに対して感謝を伝えられないのは……まだ僕の中で彼女の事を引きずっているからだろう。
重い空気に耐え切れずに口を開いたのは僕だった。


「彼女から何かデータは取れたんですか?」

「いや、斎藤さんが言うには機能が停止する寸前にすべてのデータが消去されるようにプログラムされてたらしい、結局何もわからないままだと」

「そうですか……」


彼女のマスターの正体もわからず、ウロボロスの手掛かりも失ったけれど、それで良かったのかもしれない。
彼女のデータや記憶を必要以上に調べるような事はしてほしくはなかったから。
僕と共に過ごした記憶さえもなくなってしまったのは少し辛いけれど……彼女との繋がりであるオルゴールは歪な音だが今も動いている、それだけで十分だ。
きっと彼女も、静かに眠れるだろう。そう思いたかった。


「でもな、1つだけ消えてないデータがあるんだと」

「えっ?」

「なんか厳重に鍵が掛かってるらしいけどな……最後の最後に保護プログラムが働いたんなら、多分お前の事じゃないかって、斎藤さんが」

「……そう、ですか」


上手く言葉にできなかったが、胸の内から何か温かいものが込み上げてくるような、そんな気がした。
彼女の記憶がなくなって、それで良かったと思っていたのに。
確証のない、不確かな事なのに……それでも、そうであれと切実に願う自分がいる。
自然と顔が緩んでいたらしい、何ニヤけてんだよ! と虎徹さんに肩を叩かれた。
ニヤけてなんていませんよ、冷静に返すが自分でも正直あまり人に見せられた顔ではないかもしれないとは思う。
そうこうしているうちにアポロンメディアに着き、駐車場に車を止めて二人で斎藤さんの元へと向かう。


「………………」


数日前と似た光景だと感じた。
こうして向かった先には彼女がいて、彼女がウロボロスに作られたロボットだと知り、彼女と戦い、そして……。
時間からすればたった数十分ほどの事だっただろう、それでも……僕の記憶の中でそれは長く、それは鮮明に刻み込まれている。
何度自分に言い聞かせても、やっぱり彼女の存在は僕の中で大きくなっていく。
やっぱり、彼女を忘れる事ができないのだ。
本日何度目かの深い溜め息を吐く。
自動ドアが僕と虎徹さんの存在を感知してゆっくりと開いた。


「失礼します。斎藤さん、用件は……」


室内へ歩を進めながら口を開いて、そのまま言葉が途切れた。同時に身体も動きを止めてしまう。
数メートル先には椅子に腰掛けた斎藤さん、そしてその隣には……見知らぬ少女がいた。
歳は10歳ほどだろうか、一見少年にも見えるほどとても短い黒髪、その色を映したような漆黒の瞳、対して肌は病的なまでに白く透き通っている。
黒いタートルネックに黒いジーンズ、黒一色の姿をしたその少女。
幼い姿をしているが、彼女だと理解するのは早かった。


「……嘘」

「嘘じゃないさ。斎藤さんが壊れた部分を修復したんだ、損傷が激しい所もあったから身体が小さくなっちまったけどな、紛れもなく本人だぜ?」

「本当に……?」

「本当だ、さっきも言ったけど、データは残ってない。まだ何にもわからない、小さな子供だ」


虎徹さんが僕の肩を軽く叩き、彼女の元へ行くように促してくれる。
虎徹さんに言われるまま僕は彼女の元へと歩いていく。
彼女はジッと僕を見つめていた。その瞳からはやはり感情を読み取る事はできない。
彼女の目の前で立ち止まり、彼女と同じ目線になるようにしゃがみ込んだ。
記憶を持たない彼女、僕が誰なのかもわからないだろう。
数年前、彼女と初めて会った時と逆の立場だと気付く。まさかこんな再会をするなんて思ってもみなかった。
彼女に微笑みかける、そしてゆっくりと言葉を発する。


「こんにちは。初めまして、バーナビー・ブルックスJr.です」

「……バーナビー?」


彼女が不思議そうな声で僕の名を呼ぶ。
小さく首を傾げて、ただジッと僕を見つめていた。
その仕草が僕には、彼女が何かを思い出そうとしているように映る。
その名前に心当たりがあるのか、もしくは……ほんの小さな期待が胸の内に膨らむ。
真実を確かめる為に彼女に問いかけた。


「覚えて、いるんですか……?」

「いいえ。私には記憶というものがありませんので」


彼女は静かに首を横に振り、僕の問いかけを否定する。
そう、ですか……。気力の無い声で返答してしまう。
小さく膨らみかけた期待がすぐに萎んでしまう、そんな都合のいい話があるわけないと……わかっていたのに。


「……ただ、」

「……ただ?」

「その名を聞くと……何故かここが温かくなるような、そんな感じがいたします。……私には心がないというのに」


胸に手を添えながら、彼女は静かにそう告げる。
奇跡という言葉を、僕は初めて信じられたような気がした。
記憶がなくても、彼女の身体はきちんと僕を覚えている。
今にも消えてしまいそうなくらい、それは脆くて微かなものかもしれないけれど……。
彼女の身体はそれをしっかりと覚えているのだ。
部品の一欠片一欠片が、僕の記憶を失わぬようにしているのだ。
嬉しい、なんて言葉では足りないくらいだった。
知らず知らず、涙が零れ落ちた。


「……? どうして泣いているのですか? 悲しいのですか?」

「……すみません、違うんです。……嬉しくて、泣いているんです」

「……人は、嬉しい時も涙を流すのですね」

「えぇ、そうです。……今度は、僕が貴女に教える番ですね」


彼女の手をそっと握る。壊れ物を扱うように優しく、でも決して離さぬように強く。
彼女は、僕に沢山の事を教えてくれた。
だから今度は、僕が彼女に沢山の事を教えてあげる番だ。
そうすれば、きっといつの日か……彼女に残されたたった一つの記憶を、思い出させてあげられるかもしれない。




「世界は貴女が思っているほど、残酷なんかじゃないんです」



その時は、あの時伝えられなかった言葉を、貴女に……。


fin



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