05

箱の蓋が開き、そこから聞き覚えのあるメロディが響く。
幼い記憶が蘇る。いつも聞いていた、大好きだったそのメロディ。
彼女との別れ際、彼女に渡したオルゴール……それが、その小さな箱の正体だった。
彼女の身体が悲鳴をあげる、所々で電流が飛び散っている。
それを合図に僕の能力も時間切れになった。僕は急いで彼女の元に駆け寄り、彼女の背中に手を回して彼女の上半身を起こした。
彼女の顔も所々人工皮膚が破けていたが、表情はやはり無感情のままであった。
ウロボロスのマークを映し出した彼女の瞳が僕を見つめる。


「外部損傷87.3%、内部損傷74.8%。至急修繕の必要あり。……貴方の勝ちです、バーナビー」


無感情な声が言葉を紡いだ。
機械特有のノイズが混じり、彼女の声は少しだけ聞き取りにくかった。
壊れかけた手で、大事に握り締められたオルゴール。
僕にはわからなかった。
どうして彼女が僕の攻撃をよける事無く、ましてや反撃さえもしなかったのかが。
どうして彼女が、その身を犠牲にしてまで僕の渡したオルゴールを守ろうとしたのかが。


「……どう、して……どうして僕の攻撃をよけなかったんですか……? 貴女なら簡単によけられたはずでしょう? なのに……!」

「壊れるのなら、貴方の手で壊されたかったからです」

「っ!?」

「貴方と別れた後、あらゆるものを捨てるはずでした。いづれ貴方と戦うその時の為に、不要なものは排除するはずでした。……けれど、貴方と共に過ごした記憶と、貴方から受け取ったこのオルゴールだけは……どうしても捨てることができなかったのです。」


彼女は淡々と答えていく。
感情の読み取れない声色なのに、何故だか優しさを帯びているような気がするのは何故なのだろうか。
僕からの言葉を待たずに彼女は語り続ける。


「記憶を消去しようとすれば保護プログラムがそれを拒否しました、オルゴールを壊そうとすれば防衛プログラムが働きました。……だから、今も壊せなかったのです」

「………………」

「マスターの命令に従うだけの機械である私が、初めてマスターの命令に背きました。貴方という存在を自分の中から抹消する事を拒みました、貴方を殺す事を拒みました。それどころか……貴方に壊される事を、私は望みました」


彼女に大事そうに抱かれたオルゴールは未だに音を奏で続けている。
その音に導かれて、今は遠い昔の記憶が僕の頭の中に浮かんでくる。
いつでも黒い服を着て、いつも闇に同化するために暗い道を歩いて、繋いだ手はいつも冷たくて……いつも無表情で、なんの感情も読み取れない瞳で僕を見つめていて……。
それでも、作ってくれたスコーンはとても美味しくて、眠れない時に本を読んでくれた声はどうしてか優しげで……。
そんな彼女が、今は僕の目の前で壊れていく。
僕の攻撃をその身体で受け止めて、僕の贈ったオルゴールを守ろうとして……。


「……なん、で……選択肢なんて、いくらでもあるじゃないか……! なんで、僕に壊される事を選んだんだ……!」


僕の問いかけには答えず、彼女はゆっくりと僕に腕を伸ばす。
僕の首に手を回して、そっと……僕を抱きしめた。
決して温もりのない手や身体、なのに、なのに……。
どうして、こんなにも温かく感じてしまうのだろうか……。


「ずっと、貴方をこうして抱きしめたかった」

「……っ、」

「今、やっと理解しました。決して感情を持たない私が、こんな事を言うのは間違っているのかもしれません。……それでも……きっと、私が貴方に抱くこの想いは、人の言う『愛情』というものなのでしょう」


彼女の言葉を聞いた瞬間、それまで我慢していた涙が一気に溢れ出してしまった。
瞳から雨粒のように涙が流れ落ちていく。
感情を持たない彼女が、初めて目覚めさせた『愛情』というそれ。
それまで僕の中に渦巻いていた感情がリセットされたような気がした。
僕の首に回していた腕が段々とぎこちない動きをしだす。錆び付いたネジのように上手く動かないような、そんな感じがした。


「貴方に……出会えてよかった。ありがとう、バーナビー。愛して、……ま……」

「っ!」


彼女の声がノイズと共に消えた。
それまでぎこちなくも動いていた腕も動きを完全に止まった。
ピクリとも動かない、まるで、そう、人形のように……。
後ろで何かが落ちる音がした。彼女の持っていたオルゴールだ。
微かな温もりを感じていたのに、触れている彼女の身体からは鉄の冷たさしか伝わってこなかった。
彼女は完全に、機能が停止したのだ。


「……な、んで……僕には、何も……っ、言わせて、くれないんだ……」


彼女の身体を強く抱き締めた。
無機質な機械、決して感情を持たない、ただのロボット。
……違う。僕にとって、彼女は人間だった。
人間としての感情はなかったかもしれない、人間としての優しさもなかったかもしれない。
それでも、僕は彼女の存在かどれほど救いになっていたことか。
孤独だった僕が、どれほど彼女の存在に感謝した事か……。
そんな彼女が、最期の瞬間に理解した……それは彼女が初めて持った人間の感情。
彼女は言ってくれた、僕に会えてよかったと。
それなのに、自分の言葉だけ告げて、僕の言葉を聞いてくれないなんて、そんなの……そんなの……。


「僕だって、っ……貴女に貴女に会えて、どれだけ幸せだったか……僕だってっ、……僕だって、ずっと……ずっと貴女が好きだったのに……!」


嗚咽混じりの叫びは小さな室内にこだまして、そしてゆっくりと……消えていった。
溢れる涙の止め方が、今の僕にはわからなかった。
彼女の落としたオルゴールが、歪なメロディに変わりながらも、静かに音を奏でていた。



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